※お友達からネタを拝借して書きました。お友達の素敵な元ネタは「不死なのをつけ込まれ何度も臓器提供のために無理矢理殺されては生き返る女の子とスティーブン」です。
※↑のネタを自己解釈を交えて書いています。
※原作に出て来る種族や能力などとの整合性がきちんととれていません。
※ごく気さくにカニバリズムの話題が出たり、話自体は明るめ&甘め落ちですが少しだけえぐめ描写があります。
※そしてストーリーが中二です……。
以上ご了解の方のみ、お進みください!!
それは一大インフレーションだった。世界に突如、少女の臓器が溢れかえったのだ。
心臓、肝臓、肺、小腸、腎臓、膵臓、皮膚、心臓弁、血管、耳小骨、気管、それから骨までものが急激に手に入りやすくなったのだ。ただし、17歳の女性の臓器限定で。
出始め、それらは大いに歓迎された。17歳のもの、という制限つきではあるが誰でも、どの部分でもすぐに手に入る。臓器提供のため誰かの死を待ちこがれていた待機列が急速に解消され始めたのだ。
最初期、出回ったロットについていたタグには、律儀にも提供元の17歳女性の名が書かれていたらしい。それから取り、臓器売買界に衝撃を与えた臓物たちはまとめて、こう呼ばれている。マリアの臓器、と。
「マリア」
スティーブンが白い息混じりに呼ぶと、クリスマスセールを告げるショーウィンドウを見ていた少女が、眉をひそめ顔を上げた。
マリアと呼ばれた少女は、つん、と美しいが寒さに赤くなった鼻を少しあげる。
「それ、私の名前じゃないわ」
スティーブンは僅かに目を見張った。一つは、予想外なゆえの驚きだった。スティーブンは何度も彼女がマリアであるとして報告を受けていたし、確かに、業者から彼女がマリアと呼ばれそれに応える姿も見ていたのだ。
そしてもう一つの理由は、彼女が自分の存在に臆せず、返答してきたことだった。先日は、我々の手からまんまと逃げ仰せたと言うのに、今スティーブンがここにいることに驚きも見せず、彼女が応対して見せたのが、また予想外だった。
先週の活動だった。世界に溢れかえったマリアの臓器の出所を突き止め、臓器販売の一切を停止するためライブラが乗り込んだのは。
世界が大量の若い臓器が喜んだのも最初のうちだけだった。
出回る数が多いため、そのどれもが次第に値崩れを起こしたのだ。臓器の有り難みは薄れ、それでも「臓器の割に安い」とそのリーズナブルさが話題となった。が、またその安さが次の問題を生み出した。
時に成人の患者相手に、安く手に入るもので間に合わせようとした医者による医療ミス、訴訟の種となった。時にはタグをすり替えられ、やれ子どもの臓器だ、やれ成人済みの臓器だと偽る等の詐欺にも使われた。騙された者たちの手に渡ったのは全て、マリアの臓器であった。
そしてその臓器たちは何よりも、今まで臓器売買を行っていた裏社会の人間たちを怒らせた。市場に急に過多の商品を流入し、価格崩壊を起こし、詐欺の横行により各ブローカーの信用にまで傷をつけたのだから、数々の臓器は次第に増悪の対象となっていった。
溢れかえる少女の臓器が、裏社会の経済バランスを崩し、争いの元となった。そうなればライブラも黙ってはいられず、スティーブンたちの調査の手が延びることとなったのだ。
調査当初、ライブラの面々はこの事件を大量殺人と捉えていた。何せとめどなく少女の臓器がパッケージングされ売り出されるのだ。
一体何人の少女、それも必ず17歳の少女に限り、殺しているのか。切り出されてくる臓器の数に対し、世界でも少女の行方不明事件が増えた形跡はないが、少女は一体どこから捕まえてくるのか。臓器は全て人工のものでは無いか、とも考えられたが、マリアの臓器を移植した全ての医者が口を揃えてこう言うのだ。「あれは本物だった」と。
いくら考えてもそれらしい実態が浮かび上がって来ず、もしや臓器のための少女が家畜でも飼うように飼育されているのでないかといったぶっとんだ憶測まで飛び出した。
臓器が一体どこから切り出されてくるのか? それがこの事件における最大の謎であった。
明らかに誘拐、赤ん坊の横流し、それらの件数をかき集めても、市場に出回る数の臓器をまかなうに至らない。そしてなぜ、17歳なのか。大量殺人犯は、なぜ17歳にこだわるのか。
様々な憶測をたてたが、蓋を開けてみれば答えはシンプルだった。
全ての臓器の持ち主は、今スティーブンの目の前にいる。先ほどまでクリスマスセールに見入っていた、彼女だ。
全ての答えは、ライブラが郊外の歯医者の地下に乗り込んだその日、軟禁されていた彼女の口から明かされた。
『私、不死だから。ここで臓器提供と再生を繰り返していたの』
ちょうど、再生の途中だったらしい。形成しかけのまつげの先でスティーブンを捉えながら、服を着ないで、恥じらいもなしに、全ての臓器の持ち主はあっけらかんとそう言ったのだった。
あの日、裸で診察台に寝そべっていた彼女も、今はきちんと冬服を着てストリートに立っている。頬には薔薇色の血色が差し、唇にもふっくらと水分を含み、なんとも健康そうな出で立ちである。
本当になんとも無いんだな。スティーブンは内心舌を巻いた。が、スティーブン・A・スターフェイズはそんな心の動きを顔に出すような男では無い。白い息を吐き、返した。
「マリアじゃなかったのか。君がそう呼ばれているのを俺は聞いたが」
「あだ名に決まってるでしょう、そんな古くさい名前。もし本名ならどんだけ敬虔な両親よ! 別に名前なんて教える気無かったから、訂正もしなかっただけ」
「それじゃあ、君の名前はなんて言うんだい?」
「……おじさんには教えない」
スティーブンの顔が思わず引きつった。あの時手をさしのべた診察台の上の彼女には、たとえ血まみれだとしてもマリアと呼ばれるにふさわしい何かがあったのに。
「その古くさい名前が随分お気に入りなんだな」
スティーブンがそう言うと、
「違う!」
と彼女は鮮烈に顔を歪ませてみる。小さな犬歯がむき出しの表情は、聖母の名とはおよそ遠いものだ。
「だってこの名前、便利だったの! “マリア”なんて良い名前じゃない。マリアの臓器なら商品にも箔がつく。マリアブランドの心臓、なあんてねー」
「マリアブランド、ねえ……。君の臓器はあまりに多く出回り過ぎて、ついにはマニアの食用まで行ったわけだが」
「ああ、だから」
今度、スティーブンが売り言葉に買い言葉で放ったものに、彼女は大きな瞳を丸く見開いてみせた。それから唇の舌に人差し指を這わせ、思案の顔を見せる。
「いやほら、ある時期から性器までとられるようになってたのよ。出来るかどうかなんて、私知らないけど、でも性器の移植って聞いたことないじゃない? それなのに毎度毎度持ってかれるからなんでだろうって……。胸ならほら、乳ガンで摘出手術をした、なんて話聞くけど、性器は、ねぇ? 食べるためだったのね。納得した」
「君は……」
スティーブンは急に彼女が早口になったのを感じ取った。何か、こちらが言葉を挟む隙を見せないように、次々と言葉を接ぐのだ。
「良いんじゃない。それこそ“マリアブランド”よ。女の子の臓器ならって、思わない。それに名前が“マリア”ならそう悪い気がしない。私の臓器に顔写真は添付されてなかったはずだけど、最低限清潔そうな名前じゃない」
「……待て、待ちなさい」
「あ、美少年の臓器じゃなきゃって変態もいるか」
自分の肉体が、文字通り切り売りされ、あまりの多さに価値はどんどん下がり、最後には狂った輩の食用までいった。その鼻つまみものの醜悪さとは反対に、彼女はとてもはきはきと、明るい口調で事態を語る。しかし返ってその口ぶりが、事の醜さを引き立て、スティーブンの顔を歪ませるのだった。
「ねえ、私の臓物は美味しかったかしら。ジャンクフードもたまには食べるけど、健康状態は良好よ。目立った病歴なし。風邪もほとんど引かないし、喫煙もしないし! もちろんお酒も。こう見えてまじめだから!」
「なあ……」
「ああでも最近少し太ったけれど……もう出荷済みのやつの頃はキープ出来てたし、食べやすいんじゃないかしら。多分ね」
「なあ、君!」
「何よ」
「そんな顔するなよ。そんなのは……、豚と同じだろう」
スティーブンがやっとそう口を挟むと、彼女は憤慨して声を荒立てた。
「失礼ね! 豚は綺麗好きな良い生き物よ!」
そうじゃない、伝わっていない。街角で彼女を見つけた時から、彼女の突っかかり具合にスティーブンはどこかついていけなかった。だがここまでのコミュニケーション不良を起こされると、スティーブンも参ってくる。彼の垂れ目がぐったりといつもより急な傾斜をつけた。
はあ、と彼が息を吐くのと同時に、ぐう、とお腹の音が鳴った。スティーブンのではない、彼女のだ。
頓珍漢な性格でも、恥じらいはあるらしい。さっと顔を赤く染めて、彼女は咳払いをした。
「失礼。ああもう、こんな時間ね。お昼過ぎてる」
「ああ……」
「それじゃあね、おじさん」
「待って。待ってくれ」
「イタ」
「私がごちそうすると言えば君は待ってくれるのかい」
ブーツを踏み出す足がぴたり、と止まる。
「何が狙い?」
「話を聞きたいだけさ」
スティーブンの言葉に彼女が目玉をぐるりと回して思案した。お腹は空いている。そして彼女の目の前に立つ男は、スーツを着こなし、なめらかに光る革靴を履き、一見すればやり手のビジネスマンだ。少なからず金を持っていなければその体躯にぴたりと合うスーツもコートも靴も手に入れられないだろう。
「良いだろう? 君は、いつでも逃げられるのだから」
そしてその言葉がだめ押しとなって、彼女の行く先をぐるりと、スティーブンの方へ転換させたのだった。
ランチタイム終わりの店に現れた、顔に傷はあるものの、長身の甘い顔立ちの男。彼の恋人と見るには幼い気もするが、透き通るような肌の娘。二人の組み合わせは、道から一番見える窓際へと案内された。
二人連れ立つ様は店の内外の視線を奪ったが、着席した後は明暗分かれた。落ち着き払ったスティーブンに対し、彼女はきょろきょろとお店を見渡している。若さがなければ、彼女はもっとこの店から浮いた存在になっていただろう。この、許されやすい姿で死と再生を繰り返している彼女はスティーブンから言わせると大変ずるい生き物である。
「ねえ、ねえいつもこんな良いところで食事してるの?」
「いや、そんなことは無い。マリア様に少しは良いものを食べてもらおうと思っただけで、いつもならサンドイッチチェーンに一直線さ」
「マリアじゃないってば! 何度も言わせないで!」
「じゃあ、君の名前は?」
「……おじさんは、私の保護観察官か何か?」
質問を、関係のない質問で切り替えされる。結局彼女はマリアであることを否定しても本当の名前を教える気はないらしい。
「保護観察官なんて言ったらまるで君は加害者みたいじゃないか」
「私は自分を被害者と思ったことは一度も無いけど」
「君を更正させようと時間を費やす。俺がそんなお節介な奴に見えるかい」
「お節介なのは本当じゃない。一飯の恩は大きいわ」
「そんな全うな職じゃないのを君はもう知っているだろう」
なぜなら彼女には先週、ひとつの組織を潰したところも見せている上に、地下から引き上げた彼女をそのまま輸送し、ライブラの面々で尋問したのだから。ライブラの全容は掴めるほどの情報も与えていないが、スティーブンたちが堅気でないことは明白である。
「職が全うかそうじゃないかなんて知らないけど、あなたたちは優しかったと思う」
「優しい、ねえ」
スティーブンたちがかけたのは中途半端な優しさだ。
全裸の少女に大人が寄って集るのはどうだろうということで、ひとまず新しい下着とシャツを着せ、簡単な食事を提供したのは確かだ。
だがそれは彼女から情報を引き出すためだった。
彼女は何者、いや何モノなのか。いつから組織に捕まっていたのか。臓器売買の実態、その意図とは。
救出直後の彼女はお腹が空いていたらしい。出されたものを食べている間は、ぽつりぽつりと質問に答えていた。だが食事が終わっても続く質問に次第に顔色を変えていった。
といってもそれは、スティーブンの見立てでは“飽きた”ように見えた。彼女は途中でトイレへと立つと、その一瞬の隙を狙い、洗面所に溜めた水に顔を埋め死んでしまったのだった。
彼女が普通の人間ならそこで事は終わる。が、彼女は地下室で自分の正体を口にしていた。そしてスティーブンはそれをしかと耳にしていた。「私は、不死だから」。
そして今日だ。彼女はストリートにいた。五体満足、血色の良い頬をして、暢気にクリスマスセールなんかをチェックしていた。だからこそ、スティーブンも声をかけざるをえなかったのだ。
「君を把握したいという意味ならそうだけどね」
「え?」
「だから。俺が保護観察官かどうかって話さ」
「ああ、その話に戻るの」
彼女はとことん空気を読まない性格らしい。もう手元のメニューをのぞき込み、各種コースの内容を見比べるのに真剣になっていた。
「これだけは聞いておきたいんだが、君はどうやって我々から逃げたんだい。君は自分を“不死”と言った。しかしレストルームで溺死した君は生き返らなかった。処分にあたったのは俺だから試しに数日待ってみたんだが、君は生き返らなかった。けれど今日ここにいるのはどういったことなんだ?」
「簡単よ。私は再生場所を選べるの」
「……やっぱり、そうか」
やはり彼女にとって逃げ出すことは簡単だ。
一度死んで、任意の場所で再生すれば良い。
「驚いたな」
彼女の溺死体を目の前にある程度の目星はつけていたが、その冗談みたいな目星が当たるとは。そしてあっさりと本人に肯定されるとは。ふたつの意味で驚きだった。
「信じるの?」
「普通なら信じないさ。だけど君の死体は俺が確認した。そして今日、君はここにいる」
ライブラの施設内で自殺を遂げた彼女。その処理を請け負ったのはスティーブンは、確かに自分の手で彼女の死を看取った。白い肌が生気の無い灰色に落ち込んでいくのを、逆に唇が青く熟れていくのを。せっかく与えたシャツも下着も飲めない水道水に濡らし、普通の人間が行う自殺に等しい無責任な死に様が、あの日のスティーブンの手の中にあった。
そして今、肉体を脱ぎ捨てていった彼女は全てを元通りに取りそろえ、向かいの席に座っている。
「そうね。まぁいつでもどこでも、というわけには行かないんだけど」
「そうなのか?」
「うん。でも今は無限に近いかしら。……よし、決めた」
ようやく彼女の昼食が決まったらしい。値段は真ん中の、二皿多いコース。彼女の注文に続いて、スティーブンは「俺もそれを」とウェイターに伝えた。
早くも運ばれてきたサラダをつつきながら、彼女はあくまで笑顔に自らを語る。
「詳しく聞きたいって顔ね、保護観察官さん」
「実際興味深いよ。強い再生能力で、核を元にして何度でも再生する奴ならまれにいる。けれど再生する場所を選べるっていうのは聞いたことが無い」
「私もその奴らとそう変わらないよ。自分の核を元に再生する。その核が、ごくごく小さくても良いのが違いね。何度も同じことを繰り返したからその感覚だけで喋るけど、多分DNAなのよね」
二人の間にスープが運ばれてくる。少し赤みの強いコンソメスープを唇の間に流し込む。彼女ばかりが食事に手をつけていたが、ようやくスティーブンもスプーンを手にとった。
「必要な遺伝子情報が揃ってさえいれば、それを苗床に私は再生できる。ただし、その時有した体が完全に死んだ時のみよ。自分から乗り捨てることはできない」
「へえ」
「……だからあの地下室から、逃げだそうとすればいつでも逃げられたのに」
スティーブンは緩やかな表情を顔に貼り付けた。彼女の再生の核となるのは僅かな遺伝子情報で良いと言う。
それが本当なら、今や彼女は世界中どこにでも行ける。大量に取引されていった臓器全てが、再生のための核に成り得る。死にさえすれば、国境も何もかも関係なく彼女はそこに生まれ直し、“再生”できるのだ。
スティーブンは僅か、目を細めた。スープを平らげ、次の魚料理を目を輝かせて待つ彼女。その腹の中を全て暴き明かそうと心に決めて。
「それはすごいな」
彼女を追ってスープを飲み下し、口調はあくまで軽く、スティーブンは会話を繋いだ。
「じゃあ君はそのために、自分の臓器を売りさばいたのか?」
「まさか! 保護観察官さんは、動機のことまで調書に書かなくちゃいけないのね。ねえ、物事はもっとシンプルだってば。貴方たちの組織は私の臓器の数を見て大量殺人が行われてると思っていたでしょう、だけど蓋を開ければ私しかいなかった。それとおんなじ」
「………」
「あのね、私は、臓器提供がしたかったのよ。それだけ」
待ち詫びた魚料理。シルバーのナイフとフォークを上手に扱い、白身魚の身を解しながら、彼女はまだまだよく喋った。そして聞いてもいない、恋の話をスティーブンにし始めたのだった。
「私ね、初恋の人がいたんだけど、その人には残念ながら別に好きな人がいたの。ふたりは両想いだった。けれど彼女の方が重い病気だったの。臓器提供をずっと待っていた、けれど間に合わず死んでしまった。彼の、悲しむ姿がとてもかわいそうだった。失ったものはやっぱり元には戻らない、その上ひたすらドナーを待つ二人の苦しみも、私は見てしまったから。こんな悲劇が少しでもなくなれば良いと願ったの。だから私が、不死の私が臓器提供しようって考えたの。
それで、私の体を切って捌いて、無限に臓器を流してくれる連中を見つけて、自分が不死であることを明かした。ひとりの体から何度も臓器を提供するためにはそういう奴と手を組むのが一番手っとり早かったのよ。倫理なんて問われても困っちゃうしね。ねえ、知ってる? 殺される報酬も一応もらっていたのよ。ボッタクリだったけど。でも無いよりマシだよね。ちょっとしたお小遣いにはなった」
あの、一方的に殺されていたと思われた彼女に、給料が発生していた。それはさすがに予想外だ。
スティーブンの鼻をあかしたことが嬉しいのか、彼女は唇をまくって笑った。
「驚いた? お互いに利益が合致していたから、私たちは組んでいたのよ」
もう貴方たちが皆殺しにしてしまったけれど。そう言った口ぶりは、おじゃんになってしまった休日の予定を語るのと同じだった。
「彼らは君の仲間だったのか」
「仲間というより、ビジネス上のパートナーね。だから言ったでしょう、私は自分を被害者と思ったことは一度も無い、って」
「じゃあ俺たちは君の仕事をつぶしてしまった敵、というわけだ」
「いいえ。彼らはもう、いいの。どうやら目標は達成されたようだから」
メインディッシュは子羊のシチューだった。元々柔らかい肉がよく煮込まれ、野菜とともにとろとろに光っている。
美味しそう。そう言って、彼女は下瞼をぷっくり膨らませた。
「食用まで行ったなら、世界にほとんど私の臓器が行き渡って余るくらいにはなったってことでしょ。嬉しい。あ、私ね、随分献血もしたのよ。普通の人って生きなきゃならないからちょっとずつしか献血できないけど、全ての血を一気に抜いてもらうと、随分捗るのね。血液は提供者が多いから全体の割合で見るとそうでも無いと思うけど、でもやらないよりは良かったはず」
「ちなみに君は、血液から再生は」
「できる。人の体に流し込まれたものは試したことないけど、血液パックの中から生まれたこと、あるよ。あ、それに髪もね。今頃私の髪、はげたおじさまの頭の上かもって思うとぞっとするわね。どう、少しはすっきりした? 保護観察官さん」
「ああ、よく分かったよ。君が随分バカな子だってこともね」
スティーブンは自分の体から一気に力が抜けるのを感じた。
起こしたことの重大さに比べれば、彼女がしでかしたことはなんて無邪気なのだろう。無邪気で、愚かだ。物量を味方にひとつの市場を狂わし、良くも悪くも、多くの人間を翻弄した。誰かの救いとなることを想定しても、その恨みを買うことなどきっと彼女のあけすけな脳味噌では想定されていない。そこが愚かしい。
しかし愚かであるが、自分では持ち得ない無垢さをスティーブンは感じた。一心に、世界の悲しみを減らすため、彼女は死を受け入れ、次の死のため再生を繰り返していた。いつでも逃げられたのに、選んであの地下に生まれ直した。彼女は文字通り自分の血肉を分け与えていたのだ。
誰が彼女をマリアと呼び始めたのだろう。聖母と言うには彼女は若く、体は未成熟だ。全てを受け入れるような落ち着きも無い。が、スティーブンには、マリアという呼び名が今はもう全く見当違いの名にも思えないのだった。
「うん、そうなのよ、私バカなの。陰謀なんて無いわ。企みはあったけど。どう、納得して頂けた? 保護観察官さん」
「ああ、合点がいったよ。それと、俺はスティーブンだ」
「スティーブン。聞いてくれてありがとう。これでやっと、私の贖罪を終わりにしようと思えた。私の恋も、ね」
「贖罪……?」
「だって私が、もっと早く事を決めていれば、彼は彼女と幸せになれたわ。やり方なんていくらでもあった。彼の目の前から去って、ドナー登録カードを抱いたままどこぞで死ねば良かった。病院名病室を指定して、私の臓器はその子に移植してください! なんてストーカーじみたメッセージも一緒にね。
なのに私は自分が不死だってこと、大好きだった彼には明かせなかった。気味悪がられるのが怖かったのよ。二度と彼に会えなくなることもね。だから不死なんておくびにも出さず女の子ぶってたけど、そのせいで、私、初恋の人を悲しませたわ」
「それは君の責任では無いだろう」
あくまで冷静かつシンプルなスティーブンの反応に、彼女は笑みを深める。その真実を突きつけられるのを、楽しんでいるようだった。
「そう、そうかもしれない。でも、私がもう少し早ければ、きっと今、世界は違っていたような気がするの。……はあ、美味しかった」
彼女はメインディッシュを堪能したようだった。満足げにため息をつくと、唇を拭いた。スティーブンは自分の手が止まり、それどころか彼女ばかりを見ていた自分に気づき、スプーンを持つ手を動かし始めた。
「彼にはちっとも言えなかったくせに、なんの関係も無い大人にばかり自分の秘密を喋って。ほんとこの世は、変なことばかり」
ひどく穏やかな顔で、スティーブンの食事を見守っていた彼女が、柔らかい声色でそう言った。かと思いきや、店の外、言語やファッションどころか種族もバラバラなヘルサレムズ・ロットの通行人を眺めている。
初めてスティーブンを捉えた、形成しかけのまつげ。あれは今綺麗に生え揃い、霧の町を眺めている。
黙っていればかわいいのに。スティーブンにぽつり、と湧いたそんな想いを子羊の砕けた肉で飲み下した。
彼女は最後、デザートまできちんと平らげた。細い体によくそこまで入るなと興味深く見ていたら、さすがにいっぱいだったようで、食後のコーヒーは口だけつけて、残したのだった。
カードの色に戦慄する彼女を余所にスティーブンが約束通り会計を済ませ、二人は未だ暖まらないストリートに戻った。
「よく食べたな」
「だってこんな良いお店、なかなか行けないもの。気合いよ、気合い」
来たときより些かのろくなった足取りの彼女が小さくガッツポーズを作る。
「お話には満足していただけた? スティーブン?」
「ああ。興味深かったよ」
挑戦的に少女はこちらを見上げてくる。しかし街の中に立っているせいか、視界の彼女はひどく小さく見えた。
「マリア」
スティーブンはわざと、確かに音を辿って、その名を呼んだ。
「マリアじゃないってば。よ」
きっと、その名を教えてくれると思っていた。彼女は、意地悪と呼ぶには半端ものだ。事件の真相を知った今、スティーブンには彼女がよく掴めていた。口はうるさいし、無謀な性格の持ち主だが、自分では一生かけても得ることのできない、人の良さを彼女は持っている。愚かさか無謀さか、それでもひとつ事を成し遂げてしまったからか、はスティーブンの胸の内で、どこか永遠にかなわない友と重なった。
街には人が行き交っていた。冷気が頬を打っていた。
自分はの人生の一端しか知らないが、いったいどのくらいの年の差があるのだろうか、とスティーブンは考えた。10年は軽いように思えた。スティーブンが彼女に口付けるには、随分腰を折らねばならないし、顔を近づける毎に肌の違いを感じるのだから。
抱き合うことはしなかった、ただ顔を寄せて唇を合わせた。それでもまだ驚きで抵抗を思い出せない彼女を良いことに、スティーブンはぐっと舌を押し込んだ。同時に小さな顎をつかまえた。
小さな、保護観察官さんなどとよく回ったあの舌を少しつついてからスティーブンが目指したのは、の頬の裏側だった。歯をなぞってから、彼女の左頬裏側をしつこく舌でこすって、粘膜を暴くように押しつけてから突き放した。
そうすればスティーブンの目の前には、ぽかんと虚を突かれたが立っていた。
「君が再生する条件はDNAなんだろ」
「そう、そうだけど……」
「ならこれで、いつかはここで、再生してくれるかな」
そうしてスティーブンが大人げなくに舌を見せつければ簡単にはパンクした。顔を真っ赤にして、何かいってやりたいと口をパクパクさせるが罵倒はいつまで立っても出てこない。
黙っていれば可愛いんだ。スティーブンはそんな、先ほど飲み込んだ言葉を思い出した。