キャスパーさんは言った。タクシーやら長距離バスやらレンタカーやら、あるいは現地のガイドやドライバーを雇い、とにかく使えるもの何でもを駆使して私に追いかけてもらうのは趣味なんだと。キミにはもっと世界を歩いてほしいくらいだ、と。

 結局移動だけで日付が変わってしまった。いや1日で着いたのだから幸運と言うべきか。
 早朝の日差しの中で私はキャスパーさんたち一行と無事に落ち合うことができた。町の簡素なパーキング。一応車の窓を開けていてくれたので見つけやすかった。

「やあ! 待っていましたよ。キミのせいでお腹と背中がくっつきそうだ!」

 キャスパーさんは朝からエンジンがかかっていらっしゃる。一日車に揺られお尻が堅くなってしまった上に、寝不足に朝の日差し。さすがの私も笑顔が作れない。はあ、と気のない返事をした。

「顔が暗いですよ!」
「疲れてるんです。たまにはヘリとかで迎えに来てくれないんですか?」
「キミはヘリが好きなのかい」
「セスナの方が軽快で好きです」
「フフーフ。良いことを聞いた。キミはクラシックなのが好きなのか」
!」
「チェキさん~。おはようございます。みなさんもお元気そうで何よりです。お待たせしました~」
「もう、スーツなんて脱ぎ捨てて来なって言ったのに。ここじゃ目立つよ?」
「そうですかね?」

 銀髪のビジネスマンに、ラフな、しかし体の出来た男女のグループ。見る人が見ればビジネスマンに付いているのがやり手の護衛だと気がつく。キャスパーさん一行の方が目立つと思うのは、私が“その筋”の人間になりつつあるからだろうか。

「おおっと。続きは朝を食べながらにしましょう。乗ってください。は後ろだ」
「はい。失礼します」

今日の車は少し大型6人乗り。私が来ることを考えてくれたらしい。詰めてもらって乗り込んだ。タクシーよりは柔らかいシートにどっと体に疲れが押し寄せた。

「お疲れさま。ネクタイゆるめたら?」
「そんなに苦しく無いから大丈夫ですよ」
「仕事と思わずさぼりだと思えば良いのよ」
「実質さぼってるようなものですよ。こんなの監査でも何でもない」
「相変わらずあんたはキャスパーに甘いね。フロイドさんの親族だから?」
「まさか!」

 確かにキャスパーさん達に会えたのはフロイドさんがきっかけをくれたからだけど、私は彼に恩義などかけらも感じていなかった。

「言ってしまうと面倒なんですよ。ちまちまちまちま嗅ぎ回るの。それで尻尾出すような奴ならわたしも徹底的にやりますけどー、なんといいますか……」

 なんて話したものかな。私がヘクマティアル兄妹を見逃してしまう理由。

「キャスパーさんの考えがわかるとは言いませんけど、あー、キャスパーさんは小悪党じゃないですから。やるとしたら金以外のものか、いや金でも大きな金額引き抜くでしょう。せこせこと積立貯金する人じゃないでしょ、悪い意味で」
「あー、そうかもね?」
「それにすっぱ抜くときはしっかり膨れ上がったもののほうが気持ち良いじゃないですか?」
、聞こえてますよ」
「同じ車内ですよ? 聞こえてない方がおかしいでしょう」
が元気そうで何よりです!」
「会話の流れが見えないのですが。……ちょっと、何ですか? この雰囲気?」

 私とキャスパーさんのやりとりがウケたのか、雇い主の機嫌の良さが嬉しかったのか。チェキさんもエドガーさんも、アランさんも。みんなが何故か微笑を浮かべていた。

 数分で騒々しい朝の市場につき、私たちは屋台前のプラスチックのイスに腰掛けた。店先の揚げ物のにおいが私の胃を突く。もうちょっと優しげな匂いのする場所が良いなと思うのだけど、このお店を選んだのはキャスパーさんだ。朝からフライとかこの人神経だけじゃなく胃も図太いのかと呆れてしまうが、キャスパーさんには逆らえない。
 斜めになってる料理が机に揃った。

「さあ食べましょう」
「美味しそー」
はそれだけで良いのかい」
「胃と相談させてください」

 微妙な不快感がお腹に回っている。私が頼んだのは魚介をベースにした塩味のスープだ。

「タイはいつぶりだい? 研修以来か?」
「まさか。3週間前にも通りましたよ、飛行機の乗り換えで」
「ふーん。意外にあちこち行ってるのねぇ」
「はい。マイル相当たまってますよー。使い道がなっかなか決まらなくて。お肉とかもう食べ飽きたし、一番良いなのはワインに変えちゃうことなんですけど。日持ち抜群ですし」

 湯気放つ朝食たちにくだらない会話。ここに集うのは死の商人だが、机を取り巻くのは陽気な空気だ。
 無邪気な側面を持つ軍人は珍しくないのだけど、ヘクマティアル兄妹の一行はいつ会ってもどちらも笑顔が絶えない。
 わたしがココちゃんを思い出していたのを見抜いたようにキャスパーさんが言う。

「最近ココには会ったか?」
「会社の機密に触れてしまうので言えません」

 正直を言うと半年は会っていない。そのうち時期を見てにココちゃんの監査を命じられることと思う。一体彼女の監査はいつまでスムーズにさせてもらえるのだろう。私には疑問だ。

「まあいずれ会いますから、何かあれば伝えますよ」
「いや、我々もココとは連絡をとっている」
「そりゃそうですよね」

 二人は兄妹だった。例えこんなでも。
 キャスパーとココの二人。隠し事がより多いのはココちゃんの方だ。そしてココちゃんの金の動かし方には何か、具体的には言えないのだけど何かしらの意志を妊んでいる。

 双子かというくらい似ているココちゃんとキャスパーさん。ふたりの違いはやはり、意志の差だ。売り上げや、契約を取り付けた側へのリターンが大きい商品を優先的に売ったことによるボーナスによく食いつくのはココちゃんだ。キャスパーさんは耳に入れながらも、時にお金とは切り離した無邪気な部分を見ることがある。例えば、注文書の中、売りすぎだろっていうくらいアンチエアーの発注が出ていた時。相手側の不安喜々として煽ったキャスパーさんをわたしは簡単に想像できる。

 ココちゃんに比べると、キャスパーさんは人生楽しそうだ。私が彼を甘くなる理由はそこにあるかもしれない。
 なんだかんだでキャスパーさんは働きものだしなぁ。


「はい?」
「ココによると」
「はい」
「近々世界に平和が訪れるらしい」
「なるほど。世界平和ですか」

 スープを一口すする。白い器の底にココちゃんの笑みが浮かんだ、気がした。

「無理じゃないですか?」
「……どうして」
「私見ですけど平和って一種の緊張状態じゃないですか。ニホンゴでは平和には“平ら”という字をあてがうそうで」
「詳しく聞こう」
「いやほんとに私見なんですけどね。誰も一歩前に出ない、しかし何人も一歩たりとも遅れてはならない。争いが無いってそういうことでしょう。格差だらけの世界ですよ? 横一列に人間を一元化させる方法があるとしたら、発展途上国に片っ端から高度経済をもたらすか、先進国をぶったたくかです。それってお金だけじゃ解決しませんよ」

 歴史の言葉を聞くのならこの世界が平和になるためにはお金と、時の運と、英雄の命が必要そうだ。しかもそれを国ごとにひとつずつ揃えなければならない。
 英雄が一番ギャンブル要素高そうだよなぁ。人間は気持ち悪いくらいの速度で増え続けているというけど。
 ふと顔をあげると、キャスパーさんがスプーンをくわえたままじっとこちらを見ていた。

「………」
「なんですか」

 少しあって、かちゃりと歯とスプーンの噛み合う音がする。


「はい」
「僕が聞きたかったのはそんな言葉じゃないが」
「え」
「君は良い武器商人になるよ。が今の部署に入ったのも見込みがあるからだ」
「……私を今の部署送りにしたのはあなたのお父様ですよ?」
「知っていますよ。でも平和を緊張と見るんだ。いずれ戦場で同業者として会う日が来るかもしれない」
「いやですよー。軍人て怖い人ばっかりじゃないですか。しかも頭が堅いの」
「でもキミが武器商になったら、こうして会うこともなくなりますね。HCLI社員のままなら同じ場所に派遣ということも無いでしょうし」
「話聞いてます?」

 返事は来なかった。そのままキャスパーさんは考え込んでしまった。器用にデザートへと移行しながら。
 マイペースな人だな。エビをかじっていると横からチェキータさんがぼやいた。

「世界平和が来たらさ、あんた達の関係ってどうなるんだろうね」
「……何も変わらないんじゃないですか?」
「そうだといいね」
「ですね」

 一番危ういのは、世界平和の実現の程じゃない。
 私が世界平和が訪れてもHCLIにいられるか。そして私は彼の財布をチェックする立場のままでいられるのか。そっちの方が酷い不安定要素だ。

 HCLIに入社したことで私の人生は大きく転換した。それを経て思うのは、変わらないものは尊いということだ。変わらないということが時に罪になるとしても、私は愛しくなる。

 世界平和が訪れたとしても、キャスパーさんは武器を売っている気がする。そうだといいな、と私は思う。





 その後。私は一行に二日かけてくっついて回った。現場で少々の監視と、簡単な聞き取りとを行い、報告書用のネタを押さえたところで、私はキャスパー一行との解散の日を迎えた。

 ちょうど道すがらだったとは言え、キャスパーさんは最後は空港まで送ってくれた。車の窓から見えるのは来たのとは別の空港だが、気遣いがありがたかった。

「それじゃあキャスパーさん、私はこの辺りで。報告は適当にやっておきますね」
「期待してますよ。なかなか優良な職場だったでしょうし」
「さあ? それを決めるのは私のさじ加減ですから。とは言え、ありがとうございました。助かりました」

 車を降りるとなま暖かい風。そのまま車は走り去るかと思いきや、キャスパーさんも続いて車を降りた。

「……
「はい」
「このまま一緒に来るか?」
「そういう非効率的なお誘いはキャスパーさんらしく無いですよ」
「返事が早すぎる! 余韻が無いな君は!」

 キャスパーさんの言うとおりだ。思わずあははと笑うと、キャスパーさんの後ろの車も揺れた。車内で彼らも笑っているらしい。

「キャスパーさん。今度はヨーロッパで会いましょう。キャスパーさんのこと、呼び出します」
「アジアにいる僕を? 一体どうやって」
「それはお楽しみですよ」
「キミの裁量はそんなに大きかったか?」
「あなただってこっちにちょっと寄るくらいのことするでしょう? 私にだってつっつく宛てくらいはあるんです」
「フフーフ。それは楽しみです」

 いや、今から考えるんですけどね。でも全く算段が無いわけじゃない。

「キャスパーさん。ヨーロッパで会えたらデートしましょう」
「何が望みだい」
「もちろん、買い物です。一緒にお買い物行きましょう!」
「良かろう! ただし条件付きだ」
「やった! 分かってますって!」

 私より高給取りのキャスパーさんだ。期待して良いだろう。今日一番胸が高鳴る。

「じゃあヨーロッパで会おう。次の監査までにがボクを呼び出せたら、買い物に心行くまで付き合いますよ」
「了解です」
「その言葉忘れるなよ」
「キャスパーさんこそ」

 今度こそ、主人を乗せて車は走り出した。キャスパーさんに何買ってもらおう。私はそれを、彼らを見送りながら考える。

 ……車、車がいいな。買ってもらうのは、車がいい。かっこかわいいやつが良い。

 空港で搭乗を待つ私の頭にはデートのシミュレーションが浮かんでいる。いかにキャスパーさんに車を買ってもらうかだとか、そんなくだらない妄想だ。
 私はドイツ車が欲しいのだけど。キャスパーさんは「日本車が良い」とか言い出しそうだ。

「………」

 なんとなく再会した時のキャスパーさんが思い浮かぶ。朝からテンションの高かったあのキャスパーさんが、脳内でフフーフという独特の笑いをこぼした。

「いや、」

 ドイツ車が欲しいんだと訴えたら、キャスパーさんは私を見下ろしきっとこう言う。

「キミはクラシックが好きなのか」、と。