あっまた勝手に家入られてる! 私は玄関に揃えて脱いである大きすぎる靴を睨みつける。彼に買ってもらったマンションで好き勝手させてもらってるとは言え、本当に来る前に電話ひとつくらいは欲しいものだ。
 ひとつため息をついて、私はキャスパーの靴にサシェを詰め込む。キャスパーの靴よ、バラの香りになってしまえ。

「遅かったじゃないか」

 リビングのソファに腰掛ける、しっかりとした体躯の銀髪の男。光の透けるまつげを携えたブルーの瞳が私を見つけ細くなる。

「おかえり。出迎えて欲しかったら事前に連絡くれないと」

 立ち上がったキャスパーはとりあえずは五体満足のようだ。安心した。

「あ、このボトル適当に開けたんだけど良かったかな」
「別に怒ったりはしないけど……。よくそんなの発掘したね。それ私が買った奴じゃない、貰い物だよ。美味しかった?」
「まあ。……おいでよ」
「ちょっと待って。コートくらい脱がせて」
「良いから」

 仕方なく私は手荷物をフローリングに落として、キャスパーの横に座った。しっかりと肩を抱き寄せられたので軽くキスをした。

「あれ、ヨナ君は?」
「ヨナ?」
「前回来たとき散々自慢してきたじゃん」
「そうだったかな」
「小さいのに強くて、チェキータさんのお気に入りなんでしょ。でも無口。全然喋らない」

 キャスパーがひとりの少年についてを悠々と語ったことには驚かされた。写真は見せてもらえなかったけど、肌、目、髪の色は教えてもらった。
 少年兵の男の子、ジョナサン・マルク。キャスパーの興味が伝染し、私もまた彼に興味があった。

「キャスパーってなんだかんだで、私が良いね、とか素敵だねって言うとその次会った時に持ってきてくれたりするから。だから前回も思ってたの。次来たらヨナ君連れてきてくれるのかな、って」
「残念だがヨナはもういない」
「え……っ、それって……」

 キャスパーの仕事のだいたいの内容は知ってる。ヨナくんが少年兵であることも知っている。もういない、と言ったキャスパーの顔は影を帯びていて、たどり着く結論なんてひとつだった。

「死んじゃった、の?」
「……ぷっ、」

 私は真剣だったのに!
 お腹を抱えてひーひー言うまでキャスパーは笑い声を上げる。

「そんなに笑わなくたって良いんじゃない!?」
「違うんだ! なんだろう! 君のミス以上に笑えて仕方が無い!」
「あなたも対外キてるね、キャスパー」
「そうみたいだ」

 それからもキャスパーは何かを発散するようにひとしきり笑った。彼の白い肌が赤く色づいている。そういやこの人、一人で飲んでたんだよな。貰い物のワインが意外に安っぽかったか? 私もグラスから一口貰い、キャスパーが落ち着くのを待った。
5分をゆうに笑って狂って、息切れを起こしたところでキャスパーはようやく落ち着いた。
思い出したようにヨナのことだが、と切り出す。

「ヨナが僕の所有物ならそうしただろう。だがあの男を、僕は対等な存在と思っているのだ」
「そっか。ヨナ君こと認めてるんだね」
「ああ」
「正直言うとね、今回だけはちょっと楽しみだった。ヨナ君どんな子なんだろうって」
「本当にヨナは女性にモテるな」
「モテるとは違うんじゃないかな。興味があるの。それにね、キャスパーと男の子の組み合わせってなかなか見られないと思うし」

 キャスパーが武器でも無く、立ち入ったアジアの国のことでも無く、スポーツや娯楽のことでもなく、ヨナ君について喋った時、私は確かにキャスパーの新たな一面を見つけたのだ。
 自分と対等に立つ男を見つけたキャスパーの表情。それを横から見守っていた私は、密かに充足感に包まれていた。
 ヨナを語る彼は、幸せそうだったから。

ナマエ。一つ方法がある」
「何の?」
「僕と男児の組み合わせを見る方法だ!」
「……男児とは言ってない」
「子供を作れば良い」

 キャスパーのその発言には多方面で驚いてしまった。内容と発想の飛躍にも驚いたが、まさかキャスパーの口から子供のことが出るなんて。

「どうして突然そんなことを」
「理由は様々だがビジョンが浮かんだんだ。君が母親になること。僕がいつか死ぬこと。早死には考えていないが人間には寿命があるからな。事故のリスクだって常に負っている」
「今までだってそうでしょ。どうしたの突然」
「僕自身も不思議だ。急に遺伝子を残したい、そんな気分になったんだ」
「キャスパーも子作りを視野に入れる事あるんだね」
「僕もかつてはあの人の子だった」

 あの人。フロイド・ヘクマティアル。かわいがられた記憶なんて無いくせに、子供を作りたがるなんて。育てる側からしてみればその無責任さは鼻につく。

「どうする?」

 キャスパーを父親に持つ子供。彼にきっと真っ当な父性なんて期待できない。
 食うには困らないとしても稼ぎ口は堅気とは言えない。私にだって不定期にしか会ってくれないくせに子供を作ろうとか、正気の沙汰とは思えない。
 良い父親になるなんて約束は言ってくれないけど、でも遺伝子を残したい。
 本能が流れ出すようにと手を尽くして、けれどその後の後始末なんて知りやしない。その無責任さは武器商人たる彼の生きざまとダブった。

「自分と似て欲しくない部分をちゃんとイメージしながらシてね。気休めかもしれないけれどせいぜいそれくらいはしておかない?」
「良かろう」

 彼が自分の遺伝子を取捨選択する中、わたしはキャスパーの良いところをたくさん思い浮かべよう。彼を縛り上げ、彼がいつか寿命が尽きることを後悔するほどに、愛しさを訴えかける。そんなキャスパーの分身が生まれてくるよう願って抱かれよう。そう思いながら、私はようやくコートを脱いだのだった。