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ポケモンみたいなゲームは落ち着く。私がひとつを決めるまで敵は待っていてくれるから。悟くんが言うにはコマンドバトルRPGと言うらしい。
反対に、敵も自分もリアルタイムで動かなければいけないこのゲーム・バイオハザードは私にはちょっとハードルが高い。こちらが迷っている間に敵のゾンビは腐りかけの体を振り乱しながら迫ってくるのだ。
蠢く標的はゆっくりとこちらへと近づいてくる。それを銃で狙って撃つのはちょっと難しすぎやしませんかね、悟くん。そんな風に問いかける余裕が私には無いのに、悟くんは追い討ちをかけるように無責任な野次を飛ばしてくる。
「ヘッドショットしないと弾なくなるぞー」
「ねえ! このゲーム難しいよ! 待って待って待って!」
「いや敵なんだから待たないだろ」
「無理! 銃当たらな、っあー!!」
主人公のクリスが力尽きて、画面に血塗りの文字。YOU DIED。私はどうやら死んでしまったらしい。
あーあ、と言いながら放心する私に悟くんは言った。
「ほんとゾンビにはビビらないんだな、つまんな」
「そんなこと言われたって。ゾンビより呪霊の方が見た目怖いこと多いからなぁ」
「……確かに」
狙って撃つ操作になかなか慣れることができない。というかこのバイオハザードっていうゲーム、パッと視点が切り替わるのところにがクセがある。こんなゲームまた、初めてだ。
悟くんとゲームをするのは楽しいけれど、私のゲームの腕前は下手なまま。しかも今日は、明らかにゲームに集中できていない。気がおろそかになっていることは、悟くんにはお見通しのようだ。
「ちょっと休憩するか」
「うん……」
二人でのそのそ立ち上がり、部屋に備え付けられた冷蔵庫から冷やされていたジュースを取り出す。
「どれにする?」
気恥ずかしいのを我慢して、悟くんと同じの、と言えば取り出して手渡してくれた。バヤリース。甘みの強いオレンジジュースだ。悟くんの真似をして夜に甘ったるいジュースを飲むのは罪悪感が伴う行為だ。でも悟くんと遊ぶ特別な夜なのだ。今夜ばかりは自分にも甘くなって、私も瓶ジュースの蓋を開けた。
来月、私はまた誕生日を迎える。十七歳は、母親が私を産んだのと同じ年齢だ。隣の悟くんを見る。仲は良いけれど私たちに甘い雰囲気や緊張はない。私たちの間で甘ったるいのはバヤリースだけ。私は何度目かの柔らかな絶望感を覚える。私はどうやらお母様のようにはなれなさそうだ。
京都を発つ前にお父様から釘を刺された。残りの時間のこと、そして自分がその時間で何をしなくてはならないのか真剣に考えなさい、と。悟くんとの逢瀬も両手で数えられる回数を超えた。この旅亭の中居さんを通じて、多分私たちが夜な夜な大人たちの期待を裏切ってゲームをしていることはお父様に知られているだろう。実際、私の体調と体型に変化はない。
ジュースをコップに移して飲まないのもなんとなく悪いことをしている気分になる。瓶の冷たくて丸い口当たりに、うっとり目を閉じて、それから私は悟くんにぶつけた。
「悟くん。今夜は、一緒に寝る?」
柳葉亭に向かう車に乗り込んだ時から、今日はずっと言おう、私から言おうと思っていた。二人で共犯になって、ずっと楽しい感情で蓋をして、無視し続けていた。けど、私たちには果たさなきゃいけないことがある。したくないなんて言葉は通じない。私たちはすでにこの旅亭で美味しいものを食べ、綺麗な部屋で眠らせてもらった。黄泉の国の物を口にしたら帰れないように、この柳葉亭で恩恵に預かり美味しい思いをしてきた私たちに、後戻りはもうできないのだ。
今夜も奥の間で、一組のお布団が私たちを待っている。真剣に、勝負を挑むような心持ちで悟くんに持ちかけたのに、悟くんは苦々しく顔を歪めた。
「うわ負けそう。負けたくないけど」
「えっと、ごめん。それはどういう意味……?」
なんで急に勝負の話になってしまったのか理解できない。負けるって何に? 悟くんはというと、これ見よがしに深い深いため息をついて、しかめた眉間を私に向けた。
「よく言えるよな、そんなこと。別に乗り気じゃないくせに」
「そ……!」
そんなこと、ないよ。そう言っても蚊の鳴くような声になってしまって、意味のない代物になってしまった。
呆れた様子の悟くんが気分を変えた様子はない。今更、とっても乗り気です、とでも言えばよかったのだろうか。いやそれも恥ずかしすぎる。
思わず黙ってしまったのがまた、悟くんの”乗り気じゃない”という指摘を肯定してしまったみたいな空気を出して、私はますますこんがらがっていく。
「オマエ、いつも同じパターンだよな。またあの親父に言われてウンウン頷いたんだろ。……当たり?」
それについては本当だ。私が頷いたのを見ると、また悟くんはYOU DIEDのままのテレビ画面に視線を戻してしまう。
「だと思った。オマエと最初に会った時から分かってるんだよ、コッチは。全部親のため、ひいては家の呪いのためで、他の事は何にも考えずに頷いただろ」
「悟くん、気づいてたんだ」
「俺の目は半端なくいいの。そんくらい分かる」
それが悟くんにとってはあまり愉快な出来事でなかったことは、その表情を見れば伺えた。
否定できないのが痛いところだ。実際、悟くんと引き合わされた私は上の空だった。母親が恋しくて仕方がなかった。そんな私の意識は悟くんの横にいた女性に注がれていて、悟くんのことを見向きもしなかったのだ。それでいて赤べこのように許嫁になる事に頷かれたのだから、いい気持ちがしなくて当たり前である。
「俺、あれ結構ムカついてんだからな。俺の方見てるようで全然見ないくせに、父親の顔は見るんだよ。それでウンウン頷いてんだ、オマエは」
本当によく見ていらっしゃる。私は苦笑いするしかない。
「まさか、今も怒ってるの?」
悟くんは返事として、こちらを突き放すような沈黙をくれた。
そうか。バレていたんだ。下半身が冷水に浸されたみたいに悲しいけど、自業自得だと思うと乾いた笑いが出てしまう。
「……ごめん」
「本心なら、謝ることないだろ」
今更な謝罪をすればまたストレートに打ち返されてしまった。返す言葉は無かった。
「そう、俺は分かってるからさ。大丈夫。オマエは気にすんな」
「でも……」
私は曖昧に口端を横にひいた。お父様にいい加減にしなさいとお小言を貰ってしまった。それは悟くんが感づいた通りだ。だけど義務感100パーセントで悟くんにこんな恥ずかしいことを持ちかけたわけでもないのだ。
ただの少年少女として悟くんと顔を合わせていた頃から、私は悟くんに心を許してはいた。この柳葉亭に来てからは、悟くんへの気持ちを自覚した。楽しさに満ちた夜を過ごしたのがきっかけに、誰とも何とも比べられない大切な存在だと思うようになった。私はちゃんと悟くんを好きなのだ。
「悟くんこそ、私のこと、気にしたり同情したりしないで欲しいな。余計な事は考えないで、するべき事をしようよ」
「嫌だね」
ざくりと悟くんの拒絶が胸に刺さる。それでも、ゆっくりと重ねて来た覚悟はまだ怯んでいない。
「うん、嫌なことをさせようとして、ごめんなさい。でも、私が幼い頃から悟くんと一緒に遊んだりして、楽しい時間を過ごすことができたのも、目的があってのことだから」
悟くんもわかってたことだ。ずっと大人がお膳立てしてきた中で、私たちは距離をゆっくりと縮めてきた。手間暇かけて楽しい出来事の準備をしてもらえたのは、彼らが欲するものを私たちが生み出せるから。しかもそれはいずれ出来れば良いものじゃない。タイムリミットは確実に迫っているのだ。
悟くんの眉間のしわが深く、深くなっていく。
「オマエ、なんでそんなにいい子でいられるわけ」
「……悟くん、昔も同じ質問してくれたよね。そんなの決まってるし、答えは今も変わってないよ」
悟くんにしては答えやすい質問をしてくれたなと思いながら私は答える。
「死んでしまったあとに、悟くんに思い出してもらうとき。やな子だったなぁって言われるより、いい子だったなぁって、思って欲しいからだよ」
私なりのささやかな抵抗だ。嫌な奴だったな、さっさと忘れようと思われるより、どうして死んでしまったのって惜しまれたい。出来れば泣かれたい。そして何より、できるだけ長く思い出してもらいたい。だから私はお父様の言いつけ通りにするし、外聞の良いお嬢様学校に在籍しているし、成績もトップを維持している。だけど、またも私の本音は拒絶されてしまった。
「オマエのそういうとこ、ホンット無理」
「………」
またも厳しい言葉が続いて、蓋をしていた不安が頭をのぞかせる。悟くんが優しいからこのゲーム大会が開けているけど、私は案外悟くんに嫌われてるのかもしれない。そんな不安だ。
悟くんが握り続けるのはいつだってゲーム機。それか甘味をつつくためのフォーク。今夜はジュースの瓶。この柳葉亭で、私は悟くんに一度も触れられたことがない。最初の夜、DSを覗き込んだきり、袖すり合うこともない。頑なに、悟くんは私を抱こうとはしない、そういう気分にはならない。私たちはいつまでたっても柔らかい布団の上には行かず、今夜も畳と座布団の上で足を崩している。
こんな夜がずっと続くんだろうか。そう思ったら崖上から飛び出すみたいに、言いたかったことが喉から飛び出していた。
「じゃあ、悟くん。もう全部、やめちゃおっか」
「やめる、って。何を」
「だから全部だよ。許嫁も、未来に何かを繋ごうとすることも、こうやって遊ぶことも、無駄なこと全部、やめちゃおうよ」
「……、なんで……?」
「なんでって言われても。私、そういう選択肢もあるなって、ずっと考えてたんだ」
もともとそう思っていた。私と悟くんが関わることで生まれる全て、無理してやらなくていい。だって悟くんにはまだまだ未来がたくさんあるのだから。
「そもそも私は悟くんに不似合いだしね」
呪力も才能も、私は悟くんに見合うような女じゃない。それでもここにいられる理由が明確にひとつあることは分かっている。私がもうじき死んでしまうからだ。
六眼を持つ五条家当主との婚姻なんて話、普通に考えたらまとまるはずがない。他者の利益を妨害しようと、あちこちから横槍が入るのが普通だ。
けれどの女と聞けば、皆渋々ながら引き下がってくれる。業界の人間にとってはその婚姻が何年も続かないことが明白だから、見逃してくれるのだ。見逃してもらった恩返しも、家は欠かした事が無い。協力的な家には呪具絡みでの恩恵が約束されているのだ。
すぐに死んでしまう私だから、悟くんと許嫁になれた。どうせ死んでしまう私だから、入籍もしていないくせに、二人きりの部屋にいることができる。でも。
「いずれ死ぬから私だけ特別扱い受けるなんて、変だよ。ずっとそう思ってた。いつか死ぬのはみんな一緒でしょ? だから悟くんにも好きなこと、やりたいことをいっぱいして欲しい」
二人で顔合わせしていると、時々、悟くんは遥かな願いを口にする。この世界について、たくさんの人間について、呪術について、それを取り巻くお偉方の頭の固さについて。そんな事を私相手に喋ることがあるのだ。きっと悟くんには何か考えが、叶えたい願いがあるのだろう。
私もそんな悟くんの願いを応援したいと思う。でもすぐに死んじゃう私では、悟くんを助けたり、見守ることはできない。
だったら、一刻でも早く悟くんをこんな無駄な時間から解放してあげるのが、悟くんのためなんじゃないか。そう真剣に考えてしまうのだ。
生半可な気持ちで口にしていない。挑むような気持ちで悟くんを見上げると、彼は温度のない目をしていた。
「ふーん、俺のこと応援してくれるわけ? ……多分、俺のしたいことはオマエを困らせるよ」
「そうなの? それが悟くんのしたいことなら、私は困ってもいいけどなぁ。私、悟くんのすること応援したいよ」
本心だ。これだけ楽しい思い出をもらったのだ。悟くんにかけられる迷惑なら、喜んで頭からかぶる。
だけど悟くんは唯一、それだけは受け取れない願いを口にした。
「オマエの、解呪の方法を探したい」
「それは難しいと思うな」
応援したいと言ったばかりなのに。一秒後に私は手のひら返しをしていた。しかもあまりに即答で、薄っぺらな返事になってしまった。
黒のサングラスがズレて、悟くんの眼が今までにないくらい鋭く私を射抜く。私の見に渦巻く呪いを見ているのだろうか。眉間は苦々しく寄っていて、本気なのが痛いほど伝わってくる。
困った。家に伝わる呪いの解呪。私は、それだけは了承できない。
「いくら悟くんでも、それは無理だよ」
「なんでそう言い切れるんだよ」
「……解呪の方法なんて一族も分家も総出で、みんなでずっと探してる。それにお父様はお母様を愛してた。今でもすごく愛してる。解呪させる方法がもしあったら、きっとどんな手段を使ってでもお母様を救ってたと思う。だけど……呪いは今も存在してる」
この呪いを解く術があるなら、とっくのとうにお父様は手を尽くして、母を救おうとしていただろう。でも呪いは存在し続けている。私がこんな場所にいることも呪いが今もあることの証明だ。
「だから解呪なんて無いんだよ。そればっかりは、あきらめて」
今夜は一歩踏み出してみようと思っていた。だけど悟くんの願いを手折っておいて、私のお願いが通るわけがない。
私たちは畳の上、お互い壁の方を向きながら、座布団を枕にして眠りについた。