今わたしの手に拡声器があったなら。隣の駅に届くほど叫びたい。バレンタインデーはホリデーじゃないんだ!、って!
国民の義務でもなんでもないんだ、って!


ー」
「………」
?」


生憎わたしの手に握られているのは愛用のペンと、本日なけなしの昼食となるサンドイッチだ。パンのかすが書類に落ちそうになる。お行儀が悪くたって気にしている時間はない、対面を気にして今食べなかったら食いっぱぐれるのはわたしなのだ。お腹がすいて倒れそうになるのも、わたしなのだ!


ってば」
「………」
「ね、ムシはダメ」
「クダリさんもわたしの出してる忙しいオーラをムシしたらダメですよ」


返事しないんだから察してください我が上司よ。精一杯優しく返事をしたのに、脈略もなくぎゅうと後ろから抱きつかれる。相変わらずクダリさんはスキンシップ過剰だ。
体重がかけられて机のへりがお腹に刺さる。


「今日は何の日か知ってる?」
「予想外の大雪で脆弱な地上の交通網が麻痺、わたしの予定していたフライトも欠便になりました、しかしそれによって先方とは違うもうひとつの会社との会議が緊急に繰り上げられ修羅場です」
「違う。それは今日起こったこと」
「飛行機はアテになりませんぜ! もう海底トンネル掘って地下鉄つなげましょうぜクダリさん」
「そこまで予算あればね、ボクだってどこまでもつなげたいけど……、っじゃなくて! 前々からの決まってたこと、ある」
「だから飛行機に乗って会議に行く予定でした」
「違うってば! 分かって言ってるでしょ?」


サンドイッチをかぶりつこうとしたところを顎をつかまれる。クダリさんと強制的に視線が合うと、クダリさんは甘えたスイートな表情をしていた。それは一瞬でにこっ、とまた子供みたいな表情に戻る。


「今日はがボクにチョコレートくれる日!」
「違いますバレンタインデーです」
「ほら分かってたんじゃん」
「………」


はっと気づいた時すでに遅し。
クダリさんはしたり顔で手のひらをわたしの前に広げた。


「あーもう……分かりました、せっかくちゃんと休憩中に持っていこうと思ってたのに取りに来るとか! クダリさんらしいですけど!」


わたしはデスクの引き出しを盛大に開け、そこからキーを取り出してクダリさんの手のひらに落とす。


「はい、どうぞ」
「え?」
「クダリさんのチョコレート、ロッカーの中にあるんです。今ほんっっとうに、ロッカーまで取りに行く時間が惜しいので勝手にとっていってくれませんか?」
「わ、女の子のロッカー!」
「変な言い方やめてください!」


クダリさんは両腕を大きく広げてありがと、! そう言うともう一度わたしを強く抱擁。サンドイッチの残りが詰まっている頬にほっぺすりすりを施して駆けていった。

チョコレートの包みが荷物になるからロッカーに入れておいたのだけどこんな風にクダリさんをあしらうことができるなんて。この手は使える。
逃避気味にそんなことを考え熱くなった顔をぱたぱたと仰いでから、またデスクに向き合う。

あ、やばい。会議用の書類、あと10分でプリントアウトして、配布用にまとめなければ。誰か、ホッチキス要因誰かー!




 * * *




今日はバレンタインデーという名の、がボクにチョコレートくれる日!
おまけにボクが今いるのは女子更衣室のロッカー前。なんだか働き始める前の甘酸っぱい気持ち、思い出す。ボクの胸、ちょっと苦しい。

を好きになったのはいつからだろう。
ボクより小さくて、そのくせボクに厳しくて、でもそれはバトルサブウェイを大事に思ってるからで。
ボクとノボリのこともよく掴んでくれてて。ボクには優しくされることが必要なんだって分かってるから、「しょうがないですね」って言いながら優しくしてくれて。
悔し涙の数はボクよりたくさん。
ボクたちじゃできないこと、やってくれてバトルサブウェイを良い方向へ引っ張っていってくれる。そんなパワフルながボクは好き。

あの子の頑張る姿は動かしたのはバトルサブウェイとそれとボク。

2月の14日。今日がずっと楽しみだった。が好きって観念してから初めてのバレンタインデーだったから。
残念ながらバレンタインデーはホリデーじゃないから、ボクもも通常業務。にいたっては予想外のことが起こってすごく大変そうだった。

手伝ってあげたい。けどポケモンバトルじゃ負けないけど、書類とか会議とかプレゼンとかじゃ、ボク、に勝てない。
だからボクからチョコレートもらいに行った。いわくロッカーの中に入れてあるらしい。からさっき貰った小さな鍵を差し込んだ。

ロッカーの中、けっこう壮絶だった。
崩れそうな積み重なる書類。好きだと言っていたポケモンの小さなぬいぐるみ。それに今日着てきた通勤着の影に紙袋を見つけた。

ボクが探してたもの。えへへ、顔がぽかぽかしてくる。
のロッカーをじっくり見てみるつもりだったけど、それよりも甘いチョコレートを早く確かめたくてボクは紙袋を手に取った。

ふわりと舞う、カカオの香り。
どうしよう今日のボクは寝るまで、幸せだ。



幸せは長続きしなかった。
というより、ボクの幸せは勘違いだった。そのことに気づいたのは電車の中でこっそりと、からのチョコレートをひとつ、口に入れた時だった。

が作ってくれたのはシンプルな一口サイズのチョコレートだった。
チョコレートがタルトの型に流し込んである。たぶん手作り。だってトッピングが少し曲がってる。
カラフルなハート型のとか、銀色の小さくて丸いつぶつぶとか。仕事になるとなりふり構わないが、チョコレートを溶かしてタルトひとつひとつにこんなかわいいものを振りかけているのを想像してはボクはまた、ドキドキしていたのに。


「あ、………」


一口食べて気づいた。これビターチョコだ。甘さの控えめな舌触り、ちょっとだけお酒の香り。
はボクのこと、よく掴んでくれてる。それは自惚れじゃない。
だからボクが甘いもの好きって、当然知ってる。だけどチョコレートは甘くない。

義理チョコ、という言葉がボクの頭をよぎる。

しゅるしゅると気持ちがしぼんでく。
ならボクが喜ぶようにってチョコレート作ってくれると思ったんだけどな。
それにこの苦さ、香り。どちらかというと、ノボリの趣味。


「………」


ボクがかみ砕くことをやめても、チョコレートは溶けていく。

ノボリのことなんて、気づかなければ良かった。
はボクよりもノボリを喜ばせたかったのかな、なんて。

ちょっと前に戻ってチョコを食べる前のボクに教えてあげたい。
チョコレート、食べても良いよ。でもその味が言ってるいじわるに、気づいちゃだめだよって。すごくつらくなるから。