「、聞いてた?」
ダイゴくんの話は耳に入ってこない。わたしたちの距離は遠くない。向かい合って座って、同じお菓子を食べている。声は届く、耳たぶには当たる、鼓膜を揺らしはする。だけれど、聞きたくないと思うわたしの気持ちが音から意味を奪って伴わせない。
これは、わたしの心を守る術。
あの時まではこの声をひとつひとつ拾うことが好きだった。
「ごめんね、考えごとしてた」
「聞いてなかったんだね。まあ、良いよ。最近ずっとそうだよね。何か悩み事?」
「ううん」
「僕には言えないこと?」
「わたし、何も隠してなんかいないよ?」
「僕に話すこと、無いんだ」
「う、ん」
「……そう、分かった」
彼がコーヒーを煽ろうとした途中で中身が空いていることに気づいたらしい。浮いたカップはソーサーに戻る。
息が小さく吐かれた。
「分かったよ。何かあったらメールでも電話でも何でもしてよ。いつだって呼び出して良いんだからね」
「ありがとう」
「それじゃ。行くよ」
「どこに行くの?」
「それも聞いてなかったんだ、僕の行く場所って言ったら決まってるだろ」
どこだろう。当然知っているものとして言われたその場所が、一瞬分からなかった。
でもダイゴくんがそう言うからには、洞窟とかの石にまつわる場所なのだろう。
「……僕と一緒に来る?」
「ううん、ダイゴくん楽しんで来て」
「だよね、分かってたよ」
ダイゴくんが苦笑をするから、わたしもなんだか表情が曖昧になって笑顔になりきれない。
「見送りは良いよ。いってくる」
「……うん」
気まずい笑みを交わしあって、ダイゴくんは席を発った。
夏が来る前の雨季のこと。わたしは誰かを相手に話すダイゴくんの声を聞いた。わたしを待つダイゴくんが、なんだか楽しそうに話している。執事の爺やに呼ばれて向かった広いエントランスで、ダイゴくんの声が響いていた。
雨の空を仰いで、ダイゴくんは言った。
『彼女は、は、僕の良い友達だったよ』
ダイゴくんと私はつき合いの長い友達だった。
両親のつき合いで幼い頃から会うことの多かったダイゴくんを、わたしは自然と友達のひとりとして数え始めた。
好きなもの、好きなポケモンを教えあったり、二人で行ってみたいところに行って好奇心を満たしたり。大人たちが子供に分からない事に話し合っているとき、わたしたちはわたしたちだけの時間を過ごした。
ダイゴくんに会わせてくれた両親の縁に何度も感謝した。楽しくない時間もダイゴくんがいればたちまち楽しくなる。物知りなダイゴくんが一番に教えてくれたのは、友達がいる素晴らしさだ。
一緒にいる時間に、つかの間の決別を時々挟んで、繰り返して、それが大人になるまで続いたのだからきっと一生このままでいるのだろうと思っていた。
そのダイゴくんの口から与えられた「友達だった」の響き。あの時以来、ダイゴくんの言葉ひとつ、理解するのが怖くなってしまった。
だからわたしはダイゴくんを前にすると、耳の奥をふさぐようになった。胸を突く痛みが少しでもなくなるようにと。
たった一言にわたしの気持ちはひどく揺らいで、
わたしたち、友達でなければなんだっけ。その一言が伝えられない。
その雨季と同時にダイゴくんが側にいるだけで楽しかった季節も終わってしまったのだ。
「おや、ダイゴさまはもう行かれてしまったのですか」
扉の横に戻ってきた爺やが立っていた。
「はい、また洞窟なんですって」
「いっそう励んでいらっしゃるのですね。本当にダイゴさまは幼少の頃からお変わりが無い童心をお持ちでいらっしゃいますね」
「爺やもそう思いますか」
「もちろんです。お嬢さまはお部屋に戻られますか」
「いいえ、もう少しここにいたいと思います」
「かしこまりました。では机を片づけましょう」
空になったカップ。少し後ろへ退いたままの椅子。ダイゴくんがいた跡を爺やが片づけていく。
綺麗になっていく机の上に、ふと、赤白のボールを見つけた。見慣れないモンスターボールだ。今まで全く気づかなかった。わたしは自分のポケモンを持っていないのだから、ダイゴくんのボールに違いない。
一瞬ダイゴくんが忘れていったのだろうかと思ったけれど、すぐにそれはおかしいと思えた。大切なポケモンを忘れるなんて、ダイゴくんが本当にすることだろうか。
中にはどのポケモンが入っているのだろう。まだ使っていない、何も入ってないモンスターボールの可能性だってある。それを見分ける術も経験の少ないわたしには分からなかった。
とにかくダイゴくんに返さないと。
机の上のモンスターボールを手に取ったときだった。
ぱあっと白い光がわたしの目を眩ませる。
何か、入ってる。
その光は呆然とするわたしの横へ広がり、形を作って、部屋いっぱいになるほどの巨体を現した。
「……どうして……?」
たくましい4つの足、堅そうな爪、磨かれたように輝く体。
ダイゴくんの忘れ物は、メタグロスだった。