我々の野望が崩壊して、恐らく七日が経っていた。
今日もアポロさまは食事を食べなかった。摂るのは水だけでもう三日も食べていない。
アポロさまは平気なんだろうか。
「はぁ……」
心配が募って静かな森に、ため息が吸い込まれていく。
食事が喉を通らないアポロさまの気持ちは分かる。わたしもそうだ。食べ物を前にしても気が重くて、手が動こうとしないのだ。
栄養をとることを、体が「もう、どうでも良いよ」と言っているようなだるい感覚がわたしにも付きまとっている。
もう血が流れていないように重い手を動かし、わたしはゴミを先ほど掘った穴へ放り投げた。ゴミはいつも、こうしてそこらに穴を掘って捨てている。食べてもらえなかった食事も一緒だ。形跡をたどられたくはないし、腐って臭いが出たら困るので、面倒だと思いつつもバシャーモと一緒に土を被せている。
わたしはバカだ。もう少し日持ちする食料を選べば良かったものの。食べて元気が出そうなものほど、油や水気が多く、腐りやすかった。
またひとつため息が漏れてしまう。わたしの中には悲しい色が永遠のように広がっていた。なぜ、交わってしまったのだろう。あの子供と、我々ロケット団の道筋は。
散り散りになってしまったロケット団。また皆で集まれるのにはどれくらいの時間を要するのだろう。そもそも、また団を結成できる日は果たして来るんだろうか。
わたしに見えるのは、もう取り戻せない過去と、見通せない雲のかかった未来だけだ。また、重く息をつく。
ロケット団。あの組織がわたしは大好きだった。
世間に認められなくたって、あそこはわたしの帰る場所だった。大好きになれる人間がそこにはたくさんいた。
サカキさま。わたしなんかじゃなく、貴方がいてくれれば、野望は次の野望に繋がった。サカキさまさえいれば、アポロさまも……。
だめだ。動くことを止めると、すぐに空しい夢みたいなものを見てしまう。悲しみにくれている時間があるくらいなら、アポロさまのために動きたいのに。
気持ちを切り替えるべく、わたしは無駄に呟いた。
「よしっ」
今からできることを考えよう。ポケモンを回復の道具を買いにいこう。いや、買ってなんかいられない。盗んでしまおう。お金はここぞという時までとっておくべきだ。
アポロさまのため。そう思うとようやくわたしは頭を動かせた。
今わたしを動かしているのはアポロさまを好きという気持ちだけ。それしか無かった。
固まった自分のほほを手で揉んでから、アポロさまとバシャーモの待つ廃屋へ戻った。
わたしが見つけた廃屋は、ボロ屋だったけれど、屋根があり風をしのげる壁があり、骨組みだけだがベッドもあった。机も、椅子もあった。ホコリはひどく、臭いも良くないけれど住めば都とはよく言ったもので、何もかもを失ったわたしにとってはもはや有難いすみかとなっている。
軋むドアを体重をかけて押し込むように開ける。すぐ見張り役のバシャーモがわたしを出迎えた。
「ただいま」
あの人は? 少し首を伸ばすと奥の部屋に大切な人は見つかった。アポロさまはまだ抜け殻のようにあらぬ方向を見つめている。
廃人に近いものになってしまったアポロさまに簡単に言葉をかけられるはずもなく、わたしは逃げるようにバシャーモへ向き直った。
「少し町に降りてくる。バシャーモはここにいて。アポロさまのこと、よろしくね」
わたしがアポロさまから離れなければならない時はいつもバシャーモに任せている。わたし一人では、アポロさまを抱えて逃げることなんて出来なかった。アポロさまが無気力をもって逃げることを放棄している状況では、バシャーモの存在は無くてはならないものだ。
少し身体を撫でて労わってやる。泥で汚れたバシャーモの羽は指どおりが悪かった。
「アポロさま、行ってきます」
聞いていないかもしれないが、一言告げる。
わたしの足音に合わせて、もうひとつの
バシャーモはついてくるみたい。
「ダメ。あなたは目立つんだから。連れてけない。良いから休んでて」
じっと、こちらを見てくる。アチャモの頃から変わってない、濡れた青い目。バシャーモのことは頼りにしているが、獣らしい考えの足らなさはたまに、頭が痛くなる。
「あなたを連れてって無駄にバトルを申し込まれるのがイヤなの。アポロさまをよろしくね」
無理矢理追い払ってわたしはヒワダタウンの方向へ走り出した。
ヒワダタウンやウメバの森は以前に来たことがある。資金調達の任務でだ。当時、というほど昔でもないけれど、その頃我々はヤドンのしっぽを切って高値で売っていた。野性のヤドンからしっぽを無料で調達できるのだからボロ儲けの商売だった。
思えばあの時からだ。計画を邪魔する子供が現れたのは。順調に進んでいた資金集めをワカバタウンから来た子供のトレーナーに一瞬で崩壊させられたのだった。
それにも屈しず、我々はラジオ塔占拠までこぎ着けたというのに。
資金繰りをしていた時とは正反対の心境でわたしはヒワダタウンを行く。
平和ボケしたこの町を、こんなに神経を尖らせながら歩くことになるだなんて思っていなかった。
その気になれば誰か財布をスることもできる。でもそれもできないほど、わたしは緊張でいっぱいだった。
何か些細なことでも、アポロさまの未来を断つ原因になりそうで、人の視線が怖くてたまらない。
怪しまれない量だけ食糧やバトルのための道具を買い込む。店員はわたしを疑っていなかったと思う。たぶん。
呼吸が震えてしまう。平然を装えている自信が無く、帽子を深くかぶり直す。
町を歩くたびに神経が枯れていくのを感じる。
「コガネの事件の話、聞いた?」
「知ってる。わたし実は怪電波ラジオで実際に聞いてたんだよね。その時はただのイタズラだと思ってたけど、まさか本当にロケット団だったなんて」
「怖いよね、ロケット団。でも壊滅したなら良かったぁ」
こんな辺鄙な町でも、ロケット団の事件は広まっているようだ。町の人々に特別緊張した様子は見られないが、聞き耳を立てていると我々に関係のありそうな単語が度々聞かれた。まあラジオの電波ジャックまでしたんだから当たり前か。
顔写真が流れている様子は無いが、手配の情報は流されているみたいだ。
「もしかしたら逃げ出したロケット団がこの町に来てたりして」
「まっさかー」
そっとわたしはその場を離れた。
ヒワダタウンから抜け出した。走ったわけでもないのにわたしは息をハァハァと煩く吐いてしまう。やっぱりわたしはダメな人間だ。ヒワダタウンを歩くだけで限界になってしまう。
今日こそは誰か、他のロケット団へ連絡する手段を見つけようと思っていたのに、結局、他人が我々のことを噂しているのを聞いただけで怖くなって帰ってきてしまった。
情けないことだが、わたしはこんな時の幹部へ連絡を取る方法を知らなかった。緊急事態に陥ったときの対処を訓練されていなかったのだ。
仲間と早く会いたいのに、方法が分からない。何もかもが危険をはらんでいるような気分になる。
こうして途方に暮れるたび、気づくのだ。ああわたしは所詮、代用の効く下っ端でしかないんだと。
「――っ」
思わず乱れていた息を詰める。人の視線がわたしの背中をなぞった、気がしたのだ。視界には誰もいない。野生のポケモンすらいない。けれどここにいるのはわたし一人ではないという勘が耳の中を走っている。
誰もいないはずなのに気配は感じる。見えないものが恐ろしくて、わたしは緊張を高まらせる。
じり、とゆっくり後ずさりをした。わたしのいる場所は木の枝がちょうど薄く、視界が開けている。多方から覗かれそうなこの場所はいけないと思った。まず、近くの木の陰に隠れる。そのままそっと姿勢を低くする。
足元の確認をせずにしゃがんだので、滑稽なことにとがった石の上に足をついてしまった。尖った小石がひざ小僧に食い込んで痛い。足をおかしな方向にたたんでしまった。無茶な圧力をかけられた筋肉がひしゃげて悲鳴を上げたが、わたしはそれを奥歯でかみ殺す。姿勢を低く保ったまま、また一歩後ろへ後ずさる。
そうして隠れ家に戻った時には喉はからからに干からびていた。
「アポロさま。今夜、隠れ家を移ります」
廃屋に入るなり、わたしはアポロさまへ報告する。ここにいられるのも時間の問題だと分かっていた。ウメバの森はコガネタウンから近すぎる。
喋りながらすぐに発てるようわたしは廃屋に広げていたものから必要最低限のものを選び、荷造りをはじめた。
「ここはもう、使わない方が良いです。わたしたちがロケット団とはバレていないようですが、気づかれるのは時間の問題……」
当然、奥の部屋にいるであろうあの人を覗こうと首を伸ばし、わたしは異変に気づく。
「アポロさま……?」
いない。
アポロさまが、いない。
廃屋は、荒らされた形跡などは無い。わたしがバシャーモを置いていったときのままだ。けれどアポロさまだけが忽然と消えている。
横から上がった物音に反射的に振り返るとそこにいたのはバシャーモだ。わたしが出て行った時と変わりなく、バシャーモが立っている。
アポロさまがいなくて、バシャーモだけがいる。そのことを理解した瞬間に、髪の毛の先まで凍り付いた。
「どうして! ちゃんとアポロさまを見ててくれないのよ!! どうして言うことが聞けないの!!?」
気づけばわたしはバシャーモに当たっていた。
まとめていたはずの荷物を彼に投げつける。廃屋のホコリが舞って、わたしの喉を痛めつけてくる。吸い込んでしまったホコリの味で吐きそうになりながらもわたしは叫んだ。
「アポロさまはどこ!? どこなのよ!! あの人がいなくなったら、わたし、わたし……! わたしが死ぬの!!!」
バシャーモは微動だにしない。塗れた瞳を、じっ、とこちらに向けてくる。
なんだその目は。バシャーモはもっと自分の失態を詫びるべきなのにバシャーモは悲しげにわたしを見るだけだ。痺れを切らしてわたしは廃屋中を駆け回る。アポロさまを探して。
「さが、さ、さがさなきゃ! ア、アアポロさまをさがなくちゃ!」
舌も足も回らない。
でもめまいのする感覚の中、扉へ体を向けると、人影が立っていた。
「?」
この部屋の出口に立っていたのは、間違い無く、アポロさまだった。
足元にひざまずいて、思わずその足に抱きつく。
硬い膝にすりつけた涙は熱かった。ようやく感情が、涙となって溢れ出した。
泣きじゃくるわたしの肩に、そっとあの人の手が添えられる。
今ではあったかく感じられるこの人の温度がわたしをもっと泣かせた。
声を上げて泣いてしまいたかった。
でもこの人が見つかってはいけないので、声は殺した。