喘ぎ泣くのは過剰反応だったんだろう。アポロさまが苦笑したのがつむじの上で聞こえる。ひざをわたしに貸したままアポロさまは言った。
「すみません。外に出たのはちょっとした気分転換のつもりだったのですが、心配させてしまったようで」
心配して発狂してしまったのは事実だけれどわたしは頭を横に振る。
「わたしのっ方こそ、申し訳ありませんでした。取り乱したりして、それにお膝も濡らしてしまいました……」
「いいえ」
咽びを噛み殺しながら喋るのは難しい。無様な謝罪をアポロさまは柔らかく否定する。
「私はどうかしてたんですね」
「え……?」
「情けないことに、ようやく部下たちの顔を思い出したのです」
アポロさまは自らを嘲る。
「何もかも投げ出そうとしたのですが、出来ませんでした。自分の命を粗末にしようとすると、私を慕ってくれていた者たちの顔が次々に浮かんで。けれどそれがますます私を責めるようで、特に私に期待した人間たちの顔に苦しめられていました。ですが、ようやく見えるようになったんです。私のために泣いてくれる馬鹿がいたな、と。例えばおまえのような馬鹿が」
笑顔。アポロさまの笑顔だ……。わたしの心をひっくり返すのに十分なその表情。感動は大きく、自分の唇を噛み切るだけでは足りなかったので、アポロさまのズボンをしわが出来そうなくらいに握り締めた。
「馬鹿、ですか」
鼓膜に触れてきたビターな言葉にぎこちない笑みでそう返す。
「だって私を捨てる気は無いんでしょう」
「あたりまえです!捨てられるわけありません!」
「……もうひとつ謝らなければならないことがあります。おまえの思いは分かります。部下たちのことも気がかりです。けれど、この身には無力さが染み付いているのですね。私はまだ立ち上がれません」
「アポロさま……」
「何もしてやれることが思いつかない……!」
そういう意味ではぜんぜんまだ元気じゃないアポロ。挫折にひたったまま。
「失望しましたか?」
首をぶんぶんと振って否定すると、アポロさまは苦笑を吹き出す。
「お前は救いようのない馬鹿です」
「そうかもしれません。だってわたしは――……、……」
「何です?」
「わたしは、あなたが生きていればそれで良いと思ってます」
途切れた言葉を吐くよう促され、わたしはついに言ってしまった。
「だってわたしは、アポロさまが大事なんです! 我々部下のこと思い出してくれたのは嬉しいです。けどこんなすぐ、優しくならなくたってわたし、平気です。大丈夫です」
「………」
「ロケット団をまとめてくれたアポロさまも大事ですが、同じくらいアポロさま自身のことも……」
いいや。わたしは嘘をついた。結局大事なのはアポロさまだ。
帰る場所であったロケット団を壊さないでほしい。けれどそれ以上に思う。アポロさまが辛くなるくらいなら、ロケット団は無くたっていい。復活なんてしなくたっていい。忘れてしまっていい。
アポロさまが生きていればそれでいい。いつの間にこんな残酷な気持ちに身をやつしてしまったんだろうと悲しくなった。でもアポロさまの存命がもうわたしの新たな志として根ざしている。
困惑にゆがめられる眉。
「そういうわけにはいきません。私には大事な部下がいます」
肩をすくめて見せる余裕があるこの人の中に、片鱗を見つける。
そっと抱きしめられた。
耳元でアポロさまはわたしに指示を下す。
「皆と連絡をとりましょう。おまえに頼みたい。方法は教えます」
抱きしめられていることに思考が奪われそうになる。
必死に自分を引き戻してアポロさまが示す道を聞き取った。
「けれどまだ私の居場所は誰にも言わないでください」
「は、はい」
「無事であると。きたる時に必ず連絡すると伝えるのです」
「分かりました」
「……焦りはあるのです」
アポロさまにしては珍しい言い訳じみた台詞だった。
けれど最近のアポロさまは珍しいことばかり。この人が焦るのが珍しい。この人が投げやりになることも珍しかった。
わたしがこの人に抱きしめられるなんて珍しい。
なので、もう気にしない。
「けれどまだ、私は"アポロ"になれないのです。部下の前の私は"アポロ"でいなくてはならないのに」
「はい……」
「猶予が欲しい。もう少しだけ。情けない顔を晒させてください」
苦々しい表情。
この人がなによりも、自分を責めているとわたしにはわかっている。
「こんな情けないところを見せるのはお前だけでとどめますから」
本当はイヤなんだろう。
女に頼ること。しかもこんな、ある意味で行きずりの女に。
「だからおまえはもうしばらく、私に利用されなさい」
「はい」
「二人で逃げましょう」
わたしの不謹慎な思考は思った。なんて甘い囁きなんだろう。
「今は何も、考えられないのです。悔しくてならないのですよ」
「はい……っ」
うなずく。
決して謝らないアポロさまに気高さを感じる。
「どこまでだって着いていきます」
抱きしめる力が強まって、アポロさまの温度を感じる。
はじめは優しく抱いていたのに、途中で遠慮のなくなった腕。加減がめんどくさくなったのかな。
優しさを使い果たした跡のこの人の抱擁は痛くって、あたたかった。
抱きしめられ血を暖めあうという、わたしの幸福は陽が落ちるまで続いた。その夜アポロさまは、食べ物を口にした。
いつもは最低限しか動かない唇が、大きく延びる姿が嬉しかった。
せわしく外に向けられるようになった視線で焦りに苛まれているのが分かった。服は変えてないので風貌は惨めな逃亡者のままだ。けれど考えごとをするアポロさまは、凛々しくてロケット団の幹部が戻ってきていると感じた。
「逃げましょうか」
そう、ただ今は走ろう。
自由を誰にも奪われないように。
わたしの肩を抱く。
隣合う幸福。
わたしが踏み出す足音を、追いかけてくるようで先を歩いてくれるような音が重なる。
そして寄り添ったアポロさまの体を、わたしは突き飛ばした。
本当は突き飛ばしたかったのではない。来襲した敵から身を隠そうと思ったのだけれど、ヒワダタウンでひねった足がそれを邪魔をした。
「逃がさないわ!!」
足をもつれさせて地面にうずくまったわたしをすぐに襲ったのはポケモンの力と思われるかなしばりだった。背筋を嘗め回すような圧力に爪の先まで動けなくなった。そして見知らぬ女は突き刺す。視線でわたしを。
「鬼畜め……!」
憎しみしか映さなくなった目。顔にはくしゃくしゃの怒りを刻んだ見知らぬ女は太ももの影から鈍色に光る刃物を取り出す。
「ヤドンたちの痛みを思い知れ!!」
ズブリと体にのめり込んできたのは、銀に光る切っ先と、見知らぬ人間の肩。
足を捻っていた上に、エスパーポケモンの力にかなしばられたわたしは、その場に半立ちでいるしか無いのだった。