エリカ、と言えばあなたもご存じであろう。タマムシシティの誇る可憐なジムリーダーだ。まあ、言うまでも無いよね。タマムシでエリカを知らない人はいないし、カントーでも知名度はそうとうあると思う。ジムバッジ目当てに来るトレーナーもちゃんといるけれど、エリカ自身を目当てにくる人間も後を絶たないし。芸能人でも無い人間にファンクラブ、なんてマンガの中だけでしかあり得ないと思っていたけれど、エリカにはそれがある。まあすごい人物だ。

一方でわたし、はほとんど無名のミニスカートだ。サイクリングロードの、と言えばタマムシではそれなりに有名だけど、まあエリカと比べられたもんじゃない。

そんなわたしとエリカは幼なじみである。


……これを言うと大抵嘘つき呼ばわりされるけど嘘じゃない。

嘘でしょ?って言いたい気持ちは分かる。だってかたや絶大な人気を集めるジムリーダー。コチラはおかげさまで、タマムシのガキンチョ。ミニスカートのくせしてサイクリングロードで自転車を乗り回し、暴走族の中に入っていくわたしが、あのエリカと幼なじみなんて誰が気づけるだろうか。本人だって、未だ信じきることができないっていうのに。



家が隣だったところからその関係は始まった。わたしのおばあちゃんは神経の図太い人だった。家の大きさがあんなに違うのに、忙しいからエリカさんのお宅にいってらっしゃいな、なんて言ってしまえるのだから心臓に毛が生えているのは確実だ。

食べるもののグレードからして違うのだ。価値観がどうにも噛み合わないふたりだった。けれど、幼い頃はあんがい何の問題もなく仲良くしていた。

仲良くしてたんだけどなぁ……。


「はぁ……」


思わず、ため息が出てしまう。わたしが今日、こんなにエリカについて語ってしまうのにはワケがある。最近、わたしとエリカは不仲になりつつあった。
理由らしい理由は今のところ見つけられてない。けれど、エリカがわたしを明らかに避けるのだ。隣の家の明かりも、毎日確認できなくなった。今までは忙しくとも朝くらいは会えたのに、今はそれもない。

生活のサイクルが合わなくなっていくのは当然だ。お互い子供じゃないんだし、それぞれにそれぞれの道がある。けれど、最近のエリカの行動はそんな言葉では片づけられない。意図的なものを感じるのだ。


「わたし、何しちゃったのかな……」


けれど考えても考えても、それらしい理由は見つからない。がさつだったり、脳の足らないところがあったりと、まあ何かと欠点の多いわたしだけれど、それがエリカとの仲を裂くようなものじゃない。

完全に息詰まって、わたしはひとつのモンスターボールを取り出した。


「出ておいで!」


中身のポケモンをただ、放つ。
飛び出したのは、大輪の花を頭に咲かせたラフレシアだ。太陽の下にでられたラフレシアは、気持ちよさをアピールするようにその場で一回転。厚みのある花びらから甘い香りが広がった。


「よしよし、おまえは今日も元気だね」


ラフレシアが巻く良い香りにため息はさらに深くなった。

エリカを思い出す内に、ラフレシアの顔が無性に見たくなってしまった。なぜって、なにもかも違うわたし達の絆をつないでいてくれたのは他でもない、この子達だからだ。



わたしとエリカが最初から仲良くやれたかと言えばそうじゃない。最初は本当に、ぎこちない関係だった。
どちらかというとわたしの方が逃げ腰だった。
サイズの合わない下駄をカラカラ鳴らし、大きく荘厳な扉をくぐったときの心細さは忘れられない。初めて門から玄関までの距離で次第に「ここ、わたしがいちゃいけない場所なんじゃない?」に思わせられた。

今から思えば子供のくせして、何つまらない事気にしてたんだろうかって思う。必要以上に悟って、勝手にエリカを遠い人物だと決めつける。そんなわたしに、ある日エリカは提案を持ちかけてくれた。


『ねえ、ちゃん、ポケモンこうかんをしましょう』
『こ、こうかん?』
『ええ、わたくしのとっておきのポケモンをさしあげます。そのかわり、ちゃんもとっておきのポケモンをつれてきてくださいね!』


翌日、わたしたちは自分の好きなポケモンを一体ずつ交換した。

エリカがくれたのはナゾノクサだった。うん、エリカらしいよね。見たことはあれど、別段興味を抱いたことのないナゾノクサを手に入れたときの心境は……。正直に言うと、微妙。
で、男勝りなわたしがプレゼントしたポケモン。それはお嬢様のエリカにあろうことか、キャタピーだった。

女の子にいもむしポケモン。まあ、やっちゃいけない組み合わせだよね。
当然、キャタピーを見た瞬間エリカは真っ青になった。言葉にはしなかったけど、あの表情は「きもちわるい!」と叫ぶのとほとんど同じ。
子供同士のほほえましいポケモン交換だったはずなのに、わたしの選択のせいで、それはぶちこわしだった。

不幸な出来事だったと思う。自分なりに最高に可愛いと思うポケモンをプレゼントしたつもりだった。けれど、わたしの思う“可愛い”とエリカの思う“可愛い”は違ったのだ。

卒倒しそうなエリカの表情に、鈍いわたしもさすがに悟った。やってしまった! 全身に冷や汗をかいたのを覚えている。
わたしはすぐにキャタピーを抱え逃げだそうとした。


『ごめん、ごめんね! あたし、べつのポケモンさがしてくるっ』
『ま、まって!』


そう言ってのばされたエリカの手は震えていて、またわたしは血の気を失ってく心地がした。
申し訳ない思いでいっぱいだった。


『ほんとうにごめん!』
『いかないで、ちゃん! おねがい、おねがいだから……』
『でも……!』
『おどろいてしまって、ごめんなさい。でもわたくし、うれしいんですのよ』
『うそ!』
『うそではありません。キャタピー、たしかにいただきましたわ』
『でも……』
ちゃん、ナゾノクサをたくさんかわいがってくださいね』


わたくしもキャタピーをたくさんかわいがりますわ。そう、真っ青な顔ながらエリカは笑った。
どこからどうみても、無理につくった笑みだったけれど、エリカは『キャタピーがいい』と言ってくれたのだ。

キャタピーをたくさんかわいがる。その言葉通り、エリカは気持ち悪いと思ったはずのキャタピーを一生懸命かわいがってくれた。
今から思えば、虫タイプはエリカの大好きな草ポケモンに大敵のポケモンだ。なのにエリカは彼女なりにキャタピーをかわいがってくれた。
無理しなくて良いのに。わたしがそう言うと、ちゃんがくれたポケモンだからと彼女は何度もそう返すのだった。

エリカは約束を守る女の子だった。
彼女の愛情を受け、あのキャタピーはなんだかんだでバタフリーまでしっかり進化したのだった。

あの時、エリカがわたしを知ろうとしてくれなかったら、きっと今は無かっただろう。


エリカは由緒正しきお嬢様だった。生まれからして、遠い人物だった。
巡り合わせって不思議だ。気品も礼儀作法も綺麗な容姿も、人を惹きつける美しい心までもを持っているエリカと、どうしてわたしなんかが幼なじみであれたんんだろう。
今でもそんな、答えの無い疑問に考えふけってしまうことがある。そして巡り合わせって不思議、と身も蓋もない結論に嘆息してしまう。

晴天にはしゃぐラフレシアとは反対にわたしは途方に暮れていた。どうしてエリカがわたしを避けるのか分からなくて、頭の中がぐちゃぐちゃだ。

モヤモヤとしたものを抱え続けるのは苦手だ。早く不安から解消されたい。エリカに嫌われてしまったんだろうかと悩む反面で、わたしはエリカのことを信じていた。
エリカと自分はそんな簡単に終わってしまう程度の仲じゃない。

分からないことだらけだけど、ぶつかってみればなんとかなる


「おかえり、エリカ」


予感と願いを込めて、そこに立ち尽くす人に目を向ける。ジャリ、と砂を踏みしめる音がした。


……」


エリカの家の前で待ち伏せ作戦はばっちり成功したみたいだ。そこには番傘を日除けに差す、エリカの姿があった。


「久しぶり」
「ごきげん、よう」
「うん、ごきげんよう。あの、ちょっとエリカに聞きたいことがあってエリカのこと待ってたんだけどさ」


なるべく、軽い態度で言葉を選んでるけど、内心では心臓が変に大きい脈を刻んでた。
ヘラリヘラリと笑うわたしに、エリカは決して視線をあわせない。これはなかなか手強いかも。だってこんなに背中を曲げてうつむくエリカ見たことないもの。


「最近、なんかあった?」
「………」
「あんまり元気無いよね? 別に、無理に聞くつもりは無いんだけど……わたしがなんかしちゃったんなら悪いなぁ、と思って」
「そんなことは、無いですわ」
「じゃあどしたの?」
「………」


押し黙るエリカを、ただただ見つめる。どんな人とも正面から向き合う、まっすぐな性格の彼女は人の期待に弱いと分かってやった。
観念したエリカは、悲しみを帯びた目で、ぽつりぽつりと話し始めた。


がくれたあのバタフリー、実は……この前死んでしまったの」
「え……」


ガツン。知らされたのは空からイシツブテが降ってきたかのような衝撃の事実だった。


「い、いつ……?」
「一週間前に突然」
「なんで……」
「寿命だったみたいですわ」
「そ、そっか……」


ぜんぜん知らなかった。エリカにあげたバタフリーが、寿命を迎えていたなんて。バタフリーの平均寿命は知ってたのに、気づいてもいなかった。
バタフリーが、あの時のバタフリー、死んじゃったんだ。そっか、そっかぁ……。


「寿命かぁ、そういえばそうだよね、バタフリーだもん、うん、しょうがないよ、うん……」
「……ごめんなさい」
「どうして謝るの? 寿命だったならしょうがないよ。“虫ポケモンは進化が早いぶん、寿命が短い”。そんなの、ジョーシキじゃない」
「でも、あれはがくれたポケモンだったのに」
「なんだ、そんなこと……」
「そんなことではありませんわ!」


エリカの悲鳴のような声で、わたしはハッとまともな意識を取り戻した。死の知らせにぐらぐらと揺れていた視界に、幼なじみのつらそうな顔が写る。

エリカの涙ぐんだ顔。それを見てると、なんだかスッとわたしの中に冷静さが戻ってくる。
バタフリーの死がいくら悲しくとも、今は彼女のために明るくふるまっとこう。そんな、その場しのぎの考えが浮かんで、わたしは笑顔を取り繕う。


「まったく、エリカは優しいね。虫ポケモンが死ぬところ、見たことなかったんでしょ? 草ポケモンはまあ太陽と水があればどんどん大きくなるからね。案外、ポケモンを死なせちゃうのも初めてだったりして?」
「どうしてそれを……」
「やっぱり?」


頭の中でぐるぐるしてた、いろんなことがどんどん繋がっていく。
エリカがわたしと顔を合わせたくなかった理由。それはバタフリーを死なせてしまった罪悪感からなんだろう。

たった一匹のポケモンの死をここまで痛めるのもエリカらしい。


「あのね、エリカ。生き物はみんな、死んじゃうんだよ。それくらいバカなわたしも分かるって!」
「でもっ」
「わたしの事なら心配しないで? わたし、慣れっこなの。虫ポケはけっこう育てたしね! もちろん悲しいけど……、エリカがそれをひとりで背負うこと無いじゃない?」
「でも……」
「エリカはすっごく良いトレーナーだから、心がきれいなトレーナーだからバタフリーは幸せだったと思う。エリカがキャタピーを受け取ってくれて、ほんとうによかったよ。たくさん可愛がってくれてありがと、エリカ」
……っ」


ついに泣き出してしまった。
震える手でハンカチを取りだそうとするエリカを、そのまま抱きしめる。抱きしめられずにはいられなかった。


「ねえ、今度エリカはいつ空いてる? わたしは、まあいつでも空いてるから、今度いっしょにポケモンタワー行こっか」
「ええ……!」
「ああもう、そんなに泣かないでよ。なんか、もらい泣きする……っ」


なんで、こんなにすてきな女の子をわたしは幼なじみに持てたんだろう。巡り合わせって不思議だ。不思議だけど、すっごくすてきだ。