ポケモンマスターになるための道は長く険しい。幾人ものトレーナーがライバルとして立ちはだかるし、自然のアスレチックが行く道を阻む。知らない世界へ飛び込んでいくこと自体が高いリスクを伴っていて、言い尽くせないほどの試練が目の前には立ちはだかる。それは重々承知だった。

しかし、カノコタウンを飛び出したときに、いったい誰が想像しただろうか?
絶叫マシーンが、乗り越えねばならぬ壁として立ちはだかるなんて。
とりあえずわたしは想像だにしてなかった。ジェットコースターが怖くてジムリーダーが倒せない、なんて状況に陥るなんて……。


「ねえ、早く乗ったら?」
「も、ももももももうちょっと待ってください! いま心の準備をしてるんです!」
「……そう言われてもう1時間なんだけど」


わたしがジムに入ってきたときはモデルらしいスラッとした立ち姿で待っていてくれたカミツレさんも、一時間も待たされてつき合ってられなくなったみたいだ。今はどこからかイスを持ち出していた。

待ってくれているカミツレさんには申し訳ないと思う。けど、やっぱりアレは無理でしょう……!

じわじわと人を高所へ押しよせ、あれ落ちないぞ?と思った瞬間に落ちるコースター。設計者はなんて鬼畜な精神の持ち主なんだろう。空運転を見ているだけでも、わたしのチキンハートはつぶれそうになる。あの急降下、見てるだけで恐ろしい……。
一番上で一瞬止まるとことかも……無理! 乗ったら絶対死ぬ!!


「人が死ぬようなものを設置した覚えは無いわ」
「え、なんでわたしが考えてることが?」
「顔に書いてあるわ。よっぽど苦手なのね」
「はい……。もう観覧車も死ぬかと思いました……」
「……あなたよくここまでたどり着けたわね」


だって、今までは急加速があるだけだった。それもすごくイヤな感じがしたけど、ジムバッジのためと思えば耐え切れた。
でも、最後のレーンは格が違いすぎる。ライモンジムにはスリル満点の仕掛けがあると聞いたときからイヤな予感がしてたけど、あんな急降下が待ってるなんて……。挑戦し始めたときに全く気づかなかったわたしもバカだ。
あとはジムリーダーを倒すだけという状況がわたしの後ろ髪を引っ張っている。


「そ、そっちから来ていただくってことはできないんでしょーか……」
「ジムリーダーの方から来てくれるなら、トレーナーが旅する意味が無くなるじゃない」
「ごもっともです……」


はぁ、と悩ましい吐息とともにカミツレさんが長く美しい足を組み直す。
その動作とともに彼女のあのアクセサリーが、すべらかな肌を見せつけるように肩を撫で落ちた。
まるでコードのような形をした不思議なアクセサリー。でも彼女にすごく似合っている。いや、彼女の美貌が似合わせてしまうんだろう。

座っている姿のカミツレさんも綺麗だ。頬にあてた指は長いし、爪の形もきれい。ぷっくりとしたネイルカラーの爪が彩るカミツレさんの呆れた表情は、男の人じゃなくてもグッとくるものがある。


「……わたしに見とれてる暇があるならさっさと乗りなさいよ」
「ご、ごめんなさい……」
「乗れば一瞬よ」
「その一瞬が怖いんです……!」
「ああもう、せっかく歯ごたえのありそうなトレーナーが来たと思ったのに」
「そ、そもそも! あんなジェットコースターに乗った後で、本来の力が出せる気がしません!」
「それも含めた上での実力を私は見たいの。全く……。そんなことでつまづいてるトレーナーに、このバッジは渡せないわね」
「うっ……」


やっぱりわたしはトレーナーだった。カミツレさんがチラつかすバッジ、なにが何でも欲しい。トレーナーとしての格を上げてくれるそれが、喉から手が出るほど欲しい。
ジェットコースターごときに道を阻まれていようが、わたしもトレーナーの端くれみたいだ。

バッジか? ジェットコースターか?
わたしの中で天秤が揺れる。そりゃあバッジの方が大事だろう。わたしは駆け出しのトレーナーでバッジを集めるための旅をしている。バッジはわたしが故郷を飛び出してきた理由そのもので、何ものにも代え難い。
けれど考えれば考えるほど、目の前の恐怖が一番に思えてきて、わたしの足は一歩も動いてくれないのだった。


「……しょうがないわね、私が一緒に乗って上げる」
「え……?」
「待ってなさい。今行くから。そのかわり、絶対乗るのよ!」


カミツレさんが長い足を折りたたんで乗り込む様子をわたしは呆然と見つめるしかなかった。
そして数秒もしない内にわたしの前で、ハッチが開く。中にはもちろん美しい彼女。
カミツレさんは存在自体がなんだかお人形さんのようで非現実的だ。その非現実的な彼女が瞬く間に目の前に現れて、魔法みたい!とわたしは思ってしまった。……実際はジェットコースターなんだから、かがくのちからってすげー!って話なんだけどね。


「乗りなさい」


中で座っているカミツレさんはかすかな上目遣いをわたしに向ける。それは殺人級のかわいさでした……。

やばい、あのカミツレさんと一緒にジェットコースターとか!
なにこの天国と地獄のドッキング!


「なぁに?」
「いや、ちょっと別の意味で心の準備が必要ですねこれ……」
「まったく、何言ってるのよ」


すっかり足が固まってるわたしを見かねて、カミツレさんが腕をひく。ちょ、この距離で手が届いちゃうなんてさすがモデルだ!
そんな事を思っていた罰か、わたしはよろけて、ほとんど転びながらコースターに乗り込んだ。


「あ、ごめんなさい……!」
「ほら、行くわよ」


転んだ拍子に、カミツレさんに思いっきり激突してしまった。彼女にほとんど覆い被さるわたし。それは事故のせいにしても図々しい体勢だというのに、彼女が構う様子はない。とにかく早くわたしを運んでいきたいんだろう。
無反応のままハッチを閉められた。


「声上げても私に抱きついても良いから、しっかり耐えてね」
「っっ!」


カタカタカタカタ……。コースターがあの急な坂を昇り始めた!
それを感じわたしは何故か必死に息を止め、ちゃっかりカミツレさんに思いっきり抱きつかせてもらったりしたのだった……。









やっぱりわたしにとって最大の難関は絶叫マシーンだったみたいだ。ジェットコースターを越えた後は、先ほどまで戸惑っていた時間が嘘みたいにとんとん拍子に事は進んだ。おしりから離れない不快感と、抱きついたときに感じたカミツレさんの吸いつくような肌。その二つの名残に感覚を惑わされながらも、わたしはバッジを勝ち取ったのだ。

元々、カミツレさんへの対策はバッチリだったのだ。ただ、ジェットコースターの存在は全くもって予想外だったために、こんな迷惑をかけてしまった。


「全く、先が思いやれるわ」


全く持ってその通りだ。
カミツレさんが引っ張ってくれなかったらわたしは永遠にあのままだったか、心折れていただろう。


「本当に、ありがとうございました!」
「良いのよ。あれくらいであなたがもっと輝けるようになるんなら、おやすいご用よ」
「……カミツレさんは、最高のジムリーダーですっ!」
「そんなこと言って。まだまだジムリーダーはいっぱいいるのに?」
「わたしが知る中では、最高ですっ」
「あら、ありがとう」


まだまだ未熟で、拙い子供からの尊敬だったけど、カミツレさんは真正面からそれを受け止めてくれた。
そんな彼女を見たこの時、思った。わたしは彼女のような優しさあふれるポケモントレーナーになりたい。美しさでは絶対に敵わないだろう。だから、せめてその心でも追いかけたい。どれだけの成長を重ねても、どんなに遠くへ行っても、彼女の事を忘れたくない。

この日、ジムリーダーという仕事が、それとなくわたしの夢に追加されたのだった。






「ちなみに、これから大砲で飛ばされるジムがあるけど大丈夫?」
「……わんすもあぷりーず?」