一昨日からわたしが作り始めたてるてる坊主の数、計10個。それらは全部、しっかり逆さまにつるした。
雨乞いになるかしら、と思ってちょっと庭でパートナーと一緒に踊ってみたりもした。
なのに! あれだけやったのに!
今日は雲一つ無い晴れです。フウロが好きそうな、晴天です……。天晴れ!
「おはよう、」
「お、おはよう……」
「天気予報はずれたね」
「ほんと、はずしてくれやがった……!」
今日ほどお天気お姉さんを恨んだことも無いだろう。
あああ、やっぱり来てしまったか!
晴れもフウロも、来てしまった。
観念しよう……。わたしは心の中で白旗を振った。
わたしが陰湿な方法にすがってまで、今日が雨であれば良いと願った理由はフウロにある。
今日はフウロと約束の日だった。フウロの飛行機での遊覧飛行につき合う、という約束。
フウロと一緒の飛行……。それを思い、過去の出来事を思い出す度にわたしの胃はキリキリ痛んだ。
ご機嫌の太陽は、空港に近づく度にますます明るさを増して見える。滑走路じゅうが光って、上からも下からも照らされる。わたしは焦って日焼け止めをもう一度取り出す。
そしてゆだるような暑さ。アスファルトからの放射熱で、向こうの景色が歪んで見えた。
「ー!」
「はいはい、今行くから!」
滑走路に出てきたのはフウロ専用の小型機。プロペラがついてるような年代物で、ちょっと古めかしい機体におもちゃにするみたいな色使いのペイントが可愛らしい。
フウロ自慢のプロペラ機。それはフウロがジムリーダーになって以来、初任給からコツコツためて買ったものだ。いくらお金があるからって自分専用の飛行機を買ってしまうしまうあたり、フウロも筋がね入りの飛行フリークだよね。
「ほら、これ!」
準備が整ったらしい。いつものヘルメットを投げ渡される。
これはわたし専用にフウロが用意してくれたもの。鮮やかな空色のヘルメットには、ポケモンのシールがセンス良く貼ってある。デフォルメされたエモンガのシールは多分、フウロの趣味なんだろう。
フウロの手作りヘルメットはかわいくて好き。飛行機も嫌いじゃない。高所恐怖症でもないけど、やっぱりわたしは乗ることに躊躇してしまう。
飛行機が助走を始める。
バクバクと鳴り始めた心臓が、その頭突きでベルトをも押し上げる。
離陸とともに襲ってくる浮遊感に、わたしの毛穴は全開になる。
わたしがフウロとの飛行を異常に怖がる理由。
それは、それはね……。
「行っくよー!」
「ぎっっ、やああああああああああああ!!」
かけ声とともに天地がごちゃまぜになる。突然の旋回でわたしの視界で世界が舞い、異世界へのねじ込まれそうな圧力が体にかかる。
そう、プロペラ機に乗ったフウロは、いわゆるアクロバット飛行ってヤツをかますんです……。
「はぁ、はぁ、はぁ……!」
「ウフフ、アタシは今日も絶好調!」
走り屋がバイクに乗ると人格が変わってしまうのと同じように、小型機に乗るとフウロは何かのスイッチが入ってしまうらしい。
ちなみに今は上下逆さになったまま飛行している。地面が空で、空が地面であるかのような景色が流れていく。その光景は、地上にいる時には絶対に見られないもの。すごいとは思う。実際こんなことを軽々やってのけるフウロの腕前はすごいのだろう。けれど同時に乗ってる側はすごく怖い。……見ていても怖いか。
なんの命の保証も無しに、信じられない状況へ投げ込まれるこの恐怖。へその根っこの部分をキュッと掴まれるような感触にはいつまでたっても慣れないし、フウロの操縦の通りに機体が舞うたびに、わたしはいつも「死ぬんじゃないか」という心境に陥ってしまう。
フウロは大げさだね、と笑うけどわたしはそうは思わない。ほんと、カミツレさんとこのジェットコースターなんて目じゃない!
それをフウロに言ったら、何か勘違いしたらしく「やっぱり絶叫マシーンなんかには戻れないよね!」と言われてしまった。完全なる墓穴だった。
「ねえ、あれ何かな? 正面の、白いの!」
機体を正常位に戻しながら(うう、怖い……)、フウロが進行方向を指す。
そこには確かに、何かがうごめいていた。空を横切る白い、チリのようなものにわたしは目をよくよくこらす。
「え……っと、多分スワンナの群れだと思う!」
「すごい、近づいちゃお」
ぐん、と速度を上げて近づく。紙吹雪のようなそれは、やっぱり何百体ものスワンナの群れだった。
スワンナの純白の羽や頭の飾りが太陽光にきらめく。
それはそれは綺麗、だったのに、
「いぇーい!」
何の前触れもなく機体が揺れて、わたしは息が止まった。
乗ってる側からはよく分からないけど、どうやら風車のように回転したんだと思う。なんて恐ろしい……。
スワンナの群れがフウロのテンションをあげてくれたみたいだ。連続して天地が回転する。そんな中で、フウロさんはまたやってくれました……。
「は視力があたしたちよりも良いから、乗せてておもしろいよ!」
フウロがこっちを向いてる……。こんな危険な運転してる時に……!
この時のわたしの驚きようを表す言葉は無い。
ただ顔は真っ青だっただろう。
「とととととりあえず、前見てくれないかな!!」
「ここは空だよ?」
「空が何さ!!」
「の百面相っておもしろいよね!」
前に座ってるフウロの声はこっちに流れてくるけど、こっちの声は届きにくいみたいで、空の上じゃだいたい会話がかみ合わない。
怖い思いをすると分かっていながら結局フウロの飛行機に乗ってしまう理由は単純に、フウロのペースに乗せられてしまうからだ。大砲に飛ばされたら最後、ただその身で飛んでいくしかないのと同じ。フウロに捕まったら逃げられやしない、彼女の自由につき合うしかないのだ。
「ほら、ちゃんと目を開けて見ないとおもしろくないよ?」
「だ、だってぇ……」
空にいるフウロは自由だ。水を得た魚。そんな言葉がよく似合う。翼を得たフウロ、いや空を得たフウロにはかなわない。
そんなフウロとともにいる度に、わたしはちょっとしたヤキモチを妬く。ちょっとだけ、だけどね。フウロにではない、飛行機に妬いてしまう。
上下がごちゃまぜになった景色やスワンナの群れ、何より、生き生きとしたフウロは飛行機がなかったら見られなかったんだろう。友達の、飛行機にしか引き出せない表情がうらやましいのだ。
「よし、宙返りいくよーっ!」
「えっ――」
わたしの黒を帯びた感情は、フウロの次なる妙技に振り切られてしまったのだった。
怖い思いはするし、なんだか無機物に対して子供っぽい気持ちを持ってしまうしで、彼女の飛行機に同乗するメリットはちょっとしかない。
メリットは、フウロが見てる世界と同じ世界を見られる。それだけだ。それだけのメリットにわたしがまんまんと釣られた回数はもう10に昇る。
結局この飛行は、フウロを好きな人でしか乗る価値の無いものになっているのだった。