あたしは階段を二段飛ばしする。自分の部屋でヨーセツしてるお兄ちゃんを呼びに行く。
部屋の中ではバチバチと火花が散って、それはきれいだけど、危ないからあたしは部屋に入れない。
ドアのところでお兄ちゃんを呼ぶ。
「おにーちゃん!」
「………」
「おーにーいーちゃーん!」
「………」
「お兄ちゃん、さん!」
お兄ちゃんの寝癖がぴくりと動く。
「もう!」
「ごめん、ユリーカ。今行くよ」
今行くって言ったのにお兄ちゃんは機械を置くとすぐ自分のメガネをふいた。それからもうお昼なのに寝癖を気にしてる。
髪の毛気にするくらいなら、お気に入りでいつも着ている洋服の方も気にしても良いのにな。
メガネをかけ直した顔はわくわくで赤くなっていた。
「はーやーくー! さん待ってるよ?」
「こんにちはー!」
「さん!」
ほら。階段の下からさんが待ちきれなくなって挨拶をしてる。
部屋中のコードに引っかかりそうになりながらお兄ちゃんはやっと出てきてくれた。あたしはその背中を後ろからぐいぐい押してあげた。
「遅くなってすみません」
「あ、もしかして発明の途中だった? タイミング悪かったかな、ごめんね」
「いえいえ! 良いんです! ちょうど休憩しようと思ってたので! さんこそメールくれれば迎えに行ったのに」
「そんな、いいよ! ミアレの道はまだまだ分からないけど、シトロンくんのジムは分かりやすくて助かってる」
「さん、まだミアレで迷うの?」
「知らない道は怖くて行けないかな。でもほら、ミアレガレット!」
じゃじゃーん、って効果音をつけながらさんはカバンから包みを取り出した。
さんからずっとおいしそうな、お腹のすく匂いがしてると思ってたけど、正体は焼きたてのガレットの匂いだったみたい。
指でつついてみるとまだ温かかった。
「一度も間違えずにお店にたどり着けた記念! 今日が初めてだったの」
「前教えたあの道案内で分かりましたか?」
「うん、シトロンくんとユリーカちゃんのおかげ! 生粋のミアレっ子はやっぱりすごいね。都会育ち、憧れちゃうなぁ」
さんはあたしたちを尊敬してるみたいだけど、あたしは苦笑い。
ミアレに慣れきってしまったお兄ちゃんはいつも同じつなぎで毎日研究。ミアレに憧れて育ってきた町から出てきたさんは、どんどん自分を研究。おしゃれが似合うようになって来ている。
みんながイメージしてるミアレっ子に近いのはだんぜん、さんだ。
わたしは不思議な黒っぽい腕輪の似合っている腕に抱きついた。
「さんはそのままで良いの!」
「そ、そうかな?」
「そうだよ!」
だって、さんがミアレのブティックを完璧に着こなすスタイリッシュなお姉さんになって、お兄ちゃんなんか眼中にない、なんてことになったら困る。
きっとお兄ちゃんはさびしい思いをするんだから。それに、ユリーカも。
「ありがとう、ユリーカちゃん」
何も知らないでそういうさんは、やっぱり、初めてジムに来てくれた時よりきらきらしてる。
わたしがそのおなかに抱きつくと、さんはかがんで正面からぎゅっと抱きしめてくれた。
暖かくて柔らかい、すべすべのさんの肌。さらさらとした髪が当たる。きっとここに来る前、ちゃんとサロンに行ったんだ。いい匂い。
「ユリーカ」
「なに?」
「お皿。とってきて。ガレット食べようよ」
「うん!」
リビングの机に食事の準備をする。ちょうどおやつの時間だった。
机にお皿をセッティングしていると、お兄ちゃんたちの声が小さく聞こえてきた。
「ごめんなさい、妹が。でもさんのことお姉ちゃんみたいに思ってるみたいで……。ごめんなさい」
「どうして謝るの? わたし、嬉しいよ? 兄弟って憧れだったもん」
「そう、なんですか? さんって兄弟は?」
「わたしは一人っ子だよ。それにお父さんともなかなか会えなくて、お母さんはいつも忙しそうだった。だからなかなか甘えられなくて寂しかったんだ」
さんが寂しいなんてことを言うと思わなかった。
笑顔が優しくて、ミアレのことは全然知らないけど綺麗な雰囲気があって、あたしはさんがすぐ好きになった。だからもっといろんな人もさんを好きなはず。そう思ってたから、さんがお家で寂しかったことがあるなんてびっくりだ。
「寂しいとき、お兄ちゃんやお姉ちゃん、妹でも弟でも何でも良いから兄弟が欲しいって思ってたな。だからユリーカちゃんとシトロンくんがすごく羨ましいんだ。それに、こうして仲間に入れてもらえてすっごく嬉しいよ」
「さん……」
「ありがとうね、シトロンくん!」
もう、大丈夫かな? あたしはそろりと顔を出して、二人とガレットを呼んだ。
ガレットをお皿に盛りつけてくれたのはさんだった。形がくずれないよう、きちんとお皿の上に乗せてくれた。
フォークとナイフを回して渡す時、さんとお兄ちゃんは不思議なことに、息ぴったりだった。さんがフォークを差し出す瞬間、お兄ちゃんが受け取る手をのばした瞬間はちょっともずれてなかった。
お兄ちゃんの気持ち、あたしには分かってる。だって分かりやすいもん。
お兄ちゃんはさんに甘えてる。子供みたいな分かりやすい甘えんぼじゃないけど、さんの前でお兄ちゃんはすごく楽そうにしてる。
でもでもね。あたし、ユリーカだって負けてない。本当にこんなお姉ちゃんが欲しい、今からでもさんが本物のお姉ちゃんになってくれないかなって思ってる気持ちは、あたしの方が強いんだから。
「ね、ねぇ」
モーモーミルクをカップに分けるさんにこっそり耳打ちする。
「お姉ちゃんって、呼んで良い?」
いいよ。うすピンク色のマシュマロみたいな声でさんは言った。
もう一回さん、ううん、お姉ちゃんの耳に近よる。
「もうひとつ、聞いていい?」
「ん?」
「お姉ちゃんにとってお兄ちゃんって、どっち?」
「どっち、って?」
「お兄ちゃんみたいか、弟みたいか」
「うーん……」
さんはほのかに笑った優しい顔のまま、あたしに、あたしの耳に近づく。
本当に、本当に、あたしにしか聞こえないくらい小さなささやき声で言った。
「ひみつ!」
そんなにボリュームぎりぎりにして、目の前のお兄ちゃんに聞かせたくないってことはつまり、って、あたしは期待してる。すごく、期待してる。