※吸血鬼の女の子がギーマさんを襲う話。ヒロインがギーマさんを舐めたり噛んだり程度の表現有り。あとおっぱい。






いつも通りの夜のことだった。あえて言うのなら、一向に取れない疲れに同じ色を塗り重ねて帰ってきた夜だった。

迎える人などいない我が家に己の身体のみを連れ帰る。脱いだ衣服の手入れもそこそこに、手早くグラスの用意をし最近気に入りのチーズを横に並べる。そして疲れた日、そう今夜の自分みたいに判断力を頼りなくした男のため、気兼ね無く選べるよう用意されたワインの中から今宵の友を選ぶ。
その中から私が引き抜いたのはまだ生まれたてと呼べる新しいラベル。奥に真紅を秘める渋緑のボトルが、蜜月の恋人であるかのように私は見つめた。兎にも角にも今夜も赤だ。

部屋は独り身の男が酒と少しの食事で一日の終わりを待つ、寂しい空間だった。しかし代わり映えの無い日常のなんと愛しいことか。自らが自らに与えるぶどう酒の歓びよ。私はいつものように気ままな生活を満喫していた。

程なくして空になった最初の杯。そこに非日常を注いだのは聞き慣れない高潔なヒールの音だった。一番に目に飛び込んできたのは大きくあいた白い谷間だった。肌の白さと黒衣との激しいコントラスト。毒にもなりそうな甘さの肉体が揺られながらこちらへ歩いてくる。静けさばかりの空間を突き破るように現れた侵入者は呆気にとられている私の前に止まり、声を聞かせてきた。

「突然ごめんなさい」

自らが女であることを主張する甘い声だった。
しかめっ面の彼女は私が口を挟む間も無く続ける。

「でもこんなところで同胞に会えるなんて。助かったわ。シャワーを借りるわね。良いでしょ?」

見知らぬ女は親しげに唇が綻ばせる。ぎょっとしている間に彼女は小尻を向けると軽い足取りでさっさとシャワールームへ消えていってしまった。

「な……」

なんだ今のは誰だあいつは。相手は力で勝てないはずが無い女だが、突然の侵入者に軽くパニックを起こした私はは酒瓶とモンスターボールをかき抱いてソファの陰へと身をひそめた。

シャワーの音に聞き耳をたてながら私は必死に記憶をまさぐった。
向こうは私を知っているようであったが、あんな女と果たして面識があっただろうか。対戦相手か? カジノでひっかけたか? 心当たりが無い。忘れてしまった可能性は薄い。なぜならあの胸にあの尻を持ち合わせた女だ。大きさも私好みじゃないか。忘れられるはずがない。肌も綺麗だった。ああ、クソ。記憶を遡っていたはずが気づけば脳内であのたわわな二つの房が揺れている。

「シャワーありがとう」
「っわーーー!!」

突然の女の声につい叫んでしまった。私の声に驚いたのだろう。濃いまつげに縁取られた瞳が大きさを増す。

「何よ。びっくりした」
「す、すまない」

びっくりしたのは間違いなく私の方だ。よく見れば彼女は服を着ているものの現れた時よりも大胆に前が空いている。体を拭く手を抜いたんだろう。雫が吸い付く素肌。彼女の体はなまめかしく色づいており、どんな部分でも視界に入れたらフェミニスト団体から咎められそうだ。乳房の影がウエストに落ちているのが目に入り、どくどくと音を立てて血が巡る。脈の速度がおかしい。酒と驚きと興奮で。

「その、なんだ、シャワー、早かったな」
「わたしはこんなものよ。おかげさまでスッキリしたわ、ありがとう」

彼女の頭は濡れたままだ。だというのに、唇はルージュを乗せたように血色の良い赤だ。目に厳しい色合いが弧を描く。

「大丈夫? あなた目が回っていない?」
「し、心配はご無用だぜ、お嬢さん」
「そう?」
「ああ。お嬢さんこそ、早く服を着た方が良い。着てくれないか。ほら、身体を冷やすだろう」
「ふふ、紳士なんだ」

優しいのではない。単に彼女に手を出すのがリスキーであると理性が告げているのだ。独りで酔っていたところに魅惑の女が突然家に現れ、自分に親しげな笑みを向けたと思ったら瞬く間にシャワーを終えてきた。こんなの、疑うに決まってる。彼女のこともそうだが、自分自身の意識も正気であるのか疑わしい。

ふ、と笑みを零し彼女が離れていく。緩慢で怪しい歩き方。踊るかかとを私はぼんやりと見つめた。
酒気を抜くべく水を飲んだ方が良いかな。と、思ったときにはすでにグラスにワインを注いで思いっきり煽っているのだから、私は駄目な大人である。

「そんなに飲んで大丈夫?」

しっかりと服を着た彼女がこちらをのぞき込む。と言っても年頃の娘にあってはならない露出だが。

「問題無い」
「……そう」
「問題なのは君の方だ」

ぱちくりと瞬きが返ってくる。

「あー……。違ったら申し訳ないが、私と君は初対面だよな?」
「そうだったわね」

やっぱり! 私の記憶は間違っていなかった! 私は心の中で指を鳴らした。私が記憶の無いところで彼女に何かしでかしたりはしていない! 肩から力がひとつ抜けた。

「紹介が遅れてごめんなさい。わたしは
。なかなか似合いの名前だ。私はギーマ」
「どうぞよろしく、ギーマ」
「よろしく」

握手を求めると柔らかく握り返される。可愛い娘だ。大胆に谷間を見せられたときは恐ろしく思ったが、喋ってみるとは純な部分が可愛い女の子であった。
何か、滅多なことが起こるのではないかと恐怖したがそれも要らぬ心配だったようだ。だいぶ脱力してきたところでが妙な言葉を使った。

「助かったわ。こんなところにも同胞がいるなんて」

同胞。先ほども彼女は私に向かってその言葉を使っていた。

「なあ、同胞というのはなんのことだ?」
「貴方こそ何を言っているの?」
「私と君は一体どんな仲間だったかな」
「そんなのヴァンパイアに決まってるじゃない」
「………」

絶句する私。対して虚を突かれたような。熟しかけの身体に似合わない子供のようなリアクションがあって、私はますます言葉を失った。

「何だって? ヴァンパイア? 本気で言っているのか?」
「――ごめんなさい。てっきり貴方はわたしと同じヴァンパイアだと……」

の顔に書かれたのは、しまったの4文字。

「何だ? どういうことだ?」
「悪いことをしたわ。“仲間”なら、と思ってわたし……」
「つまり? 君は私を仲間のヴァンパイアだと勘違いして?」

上がり込んでシャワーを借りた?

「……そういうこと。人を見た目で判断したらだめね」

ごめんなさいとまた繰り返し、はうなだれる。

納得した。彼女と私を結びつけてたものが、霧が晴れたように見えて、合点がつく。酔いは覚めていくばかりだ。

自覚はあった。仲間には度々言われることだ。おまえは小説の中に出てくるドラキュラ伯爵が抜け出てきたように見える、と。私自身が伝説からインスパイアを受けたことは無く、自分の気の赴くままの振る舞いを続けた結果、そう言われるようになったまでの話なのだが。
おかしな気分だ。ついにここまでの、愉快な事件がこの身に起こった。本物の吸血鬼が私を仲間だと勘違いして寄ってくるだなんて。思わずかみ殺しきれないほどに笑ってしまう。

「何がおかしいの?」
「その、私の外見が吸血鬼のようだと言われるのには慣れているんだが、まさか本物に認定してもらえるとは思わなかったぜ。本当に本物なんだよな?」
「わたしのことなら本物よ。本物の吸血鬼。……疑っているのね」
「伝説だとばかり思っていたから。すぐには信じきれない」

疑わしいと口にすればするほどは幼い困惑の仕草を見せる。犬の耳みたく眉を垂れさせるのだ。
伝説のポケモンというのもは遭遇した時、どれも光るような神々しさに圧倒されたが、伝説の種族は随分とかわいらしい正体を見せてくる。もじもじと指を擦る様子に、私から恐怖は取り除かれていった。恐怖どころか、今では彼女をからかいたい衝動を私は抱き始めていた。
困り眉の彼女に少し顔を寄せる。

「君が自分を吸血鬼だと、証明する方法がひとつあるんだが」

言いながら私は前をはだけさせて、自分の首筋を指でたたいて示す。

「貴方の言いたいことは分かった。けど、気が進まない」
「どうして」
「だって、血をもらうなんて。勝手に上がり込んで、シャワーを使わせてもらって、その上食事させてもらうだなんて、わたしには出来ない」
「そんなこと言うなよ。私へのお礼だと思って噛みついてくれて良い」
「お礼?」
「ああ。私は君に興味があるのさ。吸血鬼に血を吸われてみたいんだ。私は特別な経験が出来る。君はシャワーを使ったことをチャラに出来る。良い案だと私は思うぜ?」
「でも、……」
「まあ無茶にとは言わない。キスをひとつくれても良いんだぜ。君みたいな女の子からのキスならそれもお礼になる」

そう事実を述べてやれば、眉毛は臆病な子犬のままだったが、ようやくは笑ってくれた。そして分かったわと、観念の息を吐いた。







「痛くも、何も感じないようにも出来るの。どっちが良い?」

私が今の今まで握っていたボトルを平らなところに安置すれば、女らしい体重が襲ってくる。

「そりゃあ、もちろん」

尖った八重歯に、私は返事をする。この白いチューリップのような牙が本当に私の血管に穴を開けるんだろうか。期待とは裏腹に実感は遠いところにある。

「私に君を知らしめておくれよ」
「分かったわ」

の左手が私の襟足を捕る。

「この体勢辛くない?」
「大丈夫だ」

右の指は鎖骨を下へと引っ張った。私の頸動脈へ、息が近づいてくる。

シャワーを終えた女の芳香の中に彼女の、の香りを見つけた。それをもっと深く吸い込もうと肺を膨らませた。はそれを待っていたのだろう。隙をついてが密着した。

自称吸血鬼の食事は、痛覚の点から見れば獣に噛みつかれたのとなんら変わりなかった。肉に食い込む牙。食用の鳥になった気分だ。こんなものか、と気を抜いた時だった。
熱く湿った舌が、首筋を走る。く、と息を詰めれば遠慮とともに速度が緩められたが、の戸惑った場所は悪かった。ちょうど傷のところで、舌が立ち止まる。その緩急が逆に私の余裕を奪う。

もしや彼女に遊ばれているのか? と薄目で伺うと、そこにあったのは目を閉じてただただ私の首筋を味わうのに必死な少女であった。

傷をねっとりと舐めとられる。随分慣れているなと思ったが、考えてみれば当たり前のことだった。これは彼女にとって食事。それ以上でもそれ以下でも無い。チョコレートを食べるのに不慣れな人間がいるだろうか? そういうことだ。

滲む血を逃さないというように懸命に吸いつかれ、深く舌をねじ込まれる。柔らかな唇で何度ももみしごかれれば、首の痛みは次第に心地よさに変わっていく。痛覚が快楽が変わったのではない。痛むことが悦びに化けたのだ。まろやかな唾液と交わる自分の赤血球や白血球やらが、恨めしくなる。彼女の呼吸のために、彼女の咥内で首筋は窒息死の間際に酸素を与えられた。

「ありがとう……」

悩ましげな息づかいでの謝意が述べられる。
ああ、終わったのか。

ずっと息を止めていたらしい。私は呼吸のことを思い出して、息を吸おうとした。けれど、それは阻止された。

どうしてだ? 私の口にの唇が押しつけられている。

すまなそうな口づけから与えられるのは背筋にひたすら水をかけられるような倒錯感だ。

鉄の味がするのかと、深くまで探りたくなかったが彼女の唇が開くことはなかった。幼いキスであった。

「これで本当にお礼になったのかしら」

ひとつ事を終えた彼女はうっすらと肌を湿らせている。

「今の、キスのこと?」
「そう」
「なったぜ。少々、頭がこんがらがったけども」
「なら、良かった」
「……なあ、私は死ぬのか?」
「どうしてそう思うの?」
「目が回るんだ」

は随分私から血を抜いたのかもしれない。目の前がとろとろだ。自分まで形をなくしていくようなめまいが私を支配している。
彼女の微笑みが愛らしいことだけが残響している。

「……ギーマ、それはアルコールの取り過ぎよ」

ブラックアウトしていく視界で、呆れたの声を聞いた。それが最後だった。








いつの間に意識を失っていたんだろう。
朝になれば彼女は消えていた。

のこと、と交わした数々の言葉と少しの行為。
昨夜の記憶を手繰り寄せるが、おぼつかない。

頭痛をこらえながら水を求めてキッチンへ向かう。そこで私は、磨かれたワイングラスに映り込んだ、首の歯形を見つけた。