ルネシティを内に秘める火山の東の沖。ミロカロスのダイビングで海溝を行った先にある浅瀬。岩場に守られ、透明な細波がメリープの毛で出来たカーペットのように広がるそこへ、時間が出来る度に私は行く。
海底から上がる。誰もが口を噤むような静けさが支配する、人気の無いそこへ、私はそっとミロカロスを放した。
好戦的なポケモンも存在を譲り合うような場所だ。愛するポケモンを安心して泳がせることが出来る。
自由に泳ぐことを許されて、ミロカロスは鱗を余すことなくうねらせた。
ミロカロスの喜ぶ様にほほえましさを覚えながらも、私は感情を殺す。この場の静けさと一体になれるように、まるで岩のひとつであるかのように、自分の存在など無いものと思い込む。
そうすれば私は彼女に会えるのだ。
ミロカロスに友人が居ると知ったのはつい最近のことだ。
自由にさせていたミロカロスが、見覚えの無いアクセサリーを首にかけて帰ってきた。明らかに人の手でつくられた装飾品に、それを手放したがらないミロカロスに自分のポケモンが他人に懐いていることを知った。
ミロカロスのトレーナーである私が、姿を完全に見失ったことがあるのはこの場所で泳がせるときのみ。
知らぬ間に友達を作ったのだと知った時は驚いた。けれど、この子に良くしてくれる人が居るのだ。ひとつお礼を言いたい。その一心でミロカロスを追いかけた先で私は彼女を見つけた。
緊張を抑えながら私はそっと首をまわす。
いつもミロカロスと彼女が落ち合う岩礁を覗き見る。
「――っ」
何度目であろうと、私は息を飲んでしまう。
小さな真珠に濡れた髪を背中に流す少女。美しい上半身にまとっているのはその美しい髪と海水だけ。流れ伝う水滴を目で追うと下腹部からが肌とは違う質を持ってきらめく。鱗と、海上では倒れてしまう透き通るほど薄い尾鰭。
初めて知った時は驚いた。ミロカロスが作った友人が、人間では無いだなんて。
彼女はへその下からは魚そのままの尾を持つ、人魚なのだ。
大粒の雨のような瞳。体にかかる髪。そして人では無い足。彼女のすべてに代わる代わる目を奪われる。
彼女とミロカロスの間に言葉は無い。時々ミロカロスが高く鳴き、彼女が笑い声を漏らす。静寂が手折られたその瞬間には私は耳までもをこの人魚に奪われる。
もはや全てを奪われたと言っても過言では無い。見入りながらも私は自らの存在を消す。
一目見た時から分かってしまったのだ。彼女は私が関わってはいけない生命だと。言葉よりも豊かな仕草は、人間のような醜さを持ち合わせた種族からは身を潜めて生きてきたことを感じさせた。
痛感する。ミロカロスだからこそ、彼女と友達になれたということを。
ミロカロスをこんなにも羨んだのも初めてのことだった。ミロカロスは敬うべきパートナーであり、違う種族としてあの子の美しさを讃えていた。けれど、今のようにミロカロスに成り代わりたいと思ったことは無かった。
純銀よりも淀みの無い魂。彼女に触れてみたいのに、触れるのは恐ろしい。ミロカロスになりたい。ミロカロスになって、海水に生きる彼女に人間の熱を不用意に与えることなく、体の雫を拭ってあげたい。
一度熱を教えてしまえば彼女の死期を早めるのではないかと、愚かに考える私がいる。
私と関わることは、彼女に何ももたらさないと分かっていた。なのに。
ミロカロスと親しげに尾を絡ませていた彼女が何かに気づき、陸に身を寄せる。その表情には不安げな驚きが混じっている。
水から肩を出した彼女は、背中を丸めながら手元のものに涙が落ちるようにまっすぐな視線を落とす。私がミロカロスに持たせたメールだった。
慣れない様子で手紙を扱った彼女は、はっと顔を上げる。そして見つける。ヒトである私を。
人魚は見つかってしまった。私と知り合ってしまった。それは終わりの始まりだった。