※ノボリさんが社会的に過激な発言をしていますが特別な意図があるわけではありません。
幽霊主人公設定なので、悲恋気味です。










何も感じなかった世界から、じんわりと意識がつながる。わたしの周りを取り巻いていた視覚の世界に。
思い出す。自分が人間だったこと。自分が手やら足やらを持っていたこと。わたしが名前を持っていたこと。

ここは?
あるかも分からない首をまわした気になって、わたしはゆっくりとあたりを見回す。明かりはあるけど、薄暗い場所。中途半端な明るさのここは、外とは違う場所のようだ。
ここでわたしの次におかしなかたちをしているものは、視線を下に向けると見つかる。
たくさん並べられている縦に長い板。その下には水平に、2本の鉄が流れている。あー、これ、なんだっけ。線路、これは線路だ。
なら、わたしが立っているのは駅かもしれない。確かに駅だ。振り返った柱には、駅の名前が書いてある。
きっと夜なのだろう。がらんとしていて、一向に電車も入ってこない。この駅にいるのはわたしだけ、と思ったら、ひとりいた。
不思議な格好の車掌さんだ。奇抜なコートを着た車掌さん。削り込まれた彫刻のように、堅く張りつめた様子だ。お仕事はまだ、終わらないんですか? こっそりと大きな襟の向こうにある車掌さんを見つめていたら、ちらりと車掌さんがわたしを見た。
どきり。すぐ視線を反らされた、わたしもぱっと線路に目を戻した。
車掌さんはわたしに気づいているようだ。でも、あまり見ないようにしてるような、そういうよそよそしさを感じる。わたしも“どきり”を感じてから、車掌さんが見つめられなくなってしまった。なんでだろう。車掌さんはわたしを意識しないように意識してる。わたしも、同じように意識している。車掌さんのことが心の中に入ってこないように、線路の板を数えることにした。いち、にい、……。

「何を苦に、身投げなんてことをなされたのですか?」

だんまりだった車掌さん。くっついて、離れそうもなかった唇が開いて、何かを言った。
待って、車掌さんわたしに話しかけたの? なんて言ったの?
わたしが理解する前に車掌さんは次々に言葉を投げかけてきた。

「私は貴女さまが憎いです。地下鉄に身投げなさる方を、私は総じて憎んでおります」

憎んでおります。その言葉に、丁寧に骨を折られた時のような痛みが走る。

「どこのどなたか存じ上げませんが、ダイヤを乱す存在は私、サブウェイマスター最大の敵でございます」

いやだな。車掌さんの言うことを分かりきる前にそう、心が鳴き出す。車掌さんはわたしが嫌いみたい。そう感じて、つま先から悲しくなっていく。

「地下鉄が、誰かを殺す道具になってしまった。そのことが私は悔しいのです」

ごめんなさい、車掌さん。何がなんだか分からないけれど、車掌さんが辛いとわたしも辛い。
わたしが悪いのかな。そう悲しくなっていると、車掌さんは単純じゃない表情で口を閉ざしてしまった。

「どうして、貴女さまのような若い方が自殺を選ばねばならなかったのでしょうか」

自殺? わたしが自殺?
覚えのない言葉が車掌さんの口から飛び出した。
自殺って何? わたし、死んだの? わたし、もう生きてないの? 驚きで頭がぐるぐる回る。

「……やるせない、と表現すればよろしいのでしょうか。貴女さまを見ていると言い様の無い気持ちになります」

渋滞を起こし始めたわたしを、元に戻してくれたのは車掌さんの声だった。車掌さんの深い声が、ひどく優しいことを言っていることにわたしは気づいたのだ。

「貴女さまを死に追いやった事情が、多すぎるほどあるのでしょう。貴女さまは一体どんな理由に死を選ばされたのでしょう」

車掌さんの一言ごとにわたしは安心していく。だって、わたしが死んでしまったことを嘆いてくれているのだ。車掌さんの悲しげな表情で、わたしはようやく思える。死にたくなかったなぁ。
同時に思い出す。車掌さん、わたしは自殺したんじゃない。地下鉄を凶器になんか使ってない。もっと別の理由で死んでしまったのだ。そして、わたしは最期、あなたに会いに来たんだ。だってあなたに小さく、恋をしていたから。
車掌さんの名前だって知っている。あなたはノボリさん。車掌さんはわたしのこと、知らないだろうけど。そう鼻を鳴らしてわたしは笑っていたのに。

「貴女がこの地下鉄の利用者であったのは存じ上げております。死を迎えたのであれば、どうか安らかに、眠ってくださいまし」
「ありがとう、ございます」

わたしは地下鉄で自殺したんじゃないんですよ、とも伝えたかったけど、この一言が精一杯だった。
やっぱりあのノボリさんだから、笑いかけてくれたりなんて事はなかったけれど、わたしの一言はほんの少しこの人の眉を柔らかくすることが出来たみたいだ。

嬉しいことばっかりだ。悲しいことばっかりだ。もっともっと、ありがとうとかごめんなさいとか、好き、とかを伝えたい。でも車掌さんの言うとおり、わたしはもう眠る。いつも思っていたより少しだけ柔らかい顔のノボリさんを見届けて。空の上は真っ白な朝だった。