要約、僕は恥知らずで/03


 彼女が行ってしまってから、幾日かが経った。なのにあの時の興奮はまだ俺の中でくすぶっていた。数日前のバトルが今も俺の頭を占めている。寝てもさめても、俺の頭の中ではあの一戦が繰り返し再生される。

 ピカチュウが横に跳ねた、彼女のハッサムが腕をひねった、まるで腕が異様に延びたように見えた、あの一瞬読み間違えた距離感、読み通りだった彼女の控え、読めなかった彼女のポケモンの技、急所にあたったボルテッカー、追いつめた末に引きずり出した彼女の狂気、追いつめられた末引きずり出された俺のがめつさ、彼女が歯を食いしばって見せた、あれは反撃の兆しだった、気持ちの悪い技の選びの意味を知った時にはもう、遅かった。……とにかくあの数秒に思えた時間が、繰り返し繰り返し頭によみがえってきた。数秒にしか思えなかったあの時間。俺は夢中になっていた。負けたことが悔しくて歯を軋ませていると、またまぶたの裏でビデオが再生を始める。彼女が使ったポケモン、技の種類、どうぐを使うタイミング、指示を出すときの言葉、目線の動き、バトルへと注がれる彼女のすべて……。
 自分が負けたバトルだからか。白い情報の中に埋もれていた俺には彼女は鮮烈な他人だったからか。やけどの痕みたいに、時間が経った今でも事実が疼く。彼女とバトルをしたという事実が。

 そしてビデオは彼女が景色に溶けていくところで終わる。
去り際、彼女は俺に視線ひとつもくれなかった。それが、彼女の中の俺の価値を示している気がして、いやな気分になった。彼女にとっての俺は、行く道の先に立っていたトレーナー。視線が合ったから戦った。ただそれだけ。邪魔だからどかした障害物。他のトレーナーと何の代わりもない、ひとつの踏み台。そして彼女にとって俺はすでに超えてしまった過ぎた存在。きっと、用済み。


「………」
「ピカ……」


また難しい顔をしてたらしい。ピカチュウがその、絵に描いた星みたいな手で俺の眉間をいじってくる。


「……だいじょうぶ」


ピカチュウの不安をまぎらわしてやりたくて、おなかをくすぐってやる。ピカチュウはすぐにくすぐったそうに体を丸めた。

 ほんとう、俺はどうしたんだろうか。今日はまだ、ちょうど座れそうな石を見つけて座り込んでからというもの、この場から一歩も動けていない。日常の一部だった野生ポケモンとのバトルを放棄するくらい、あのバトルに捕らわれている。俺はおかしくなりかけてる。
 頭にたまった熱を逃がそうと一度帽子をとる。しまわれていた髪の中に一気に冷風が入り込んで、すぐ目が覚めてきた。それでも白い世界を見やるとそこにあの子の姿がやっぱり浮かぶ。
こちらを見ているようで遠くを見ていた瞳を思い出す。彼女をそんなに細かく観察したつもりは無かったけど、彼女の詳しいところまでが雪空に描かれていた。空の中でも、風に自由にさせてるあの子の髪先が沈黙に身を結ぶ小さな唇をくすぐっている。
 今頃彼女はどこに居るんだろう。あれだけのトレーナーだ。俺を倒したからって満足しているわけがない。どうせあの狂気を抱えたまま、ポケモンへの愛情を高ぶらせたそのまま、どうしようもない激情に神経を乗っ取られたままなんだろう。そして獣みたく次の相手を探してるに違いない。彼女と俺は同じ人種だから。大体そう分かる。

 いったいどこにいるんだろう? 一度打ち負かした俺なんか、もう忘れているかもしれない。忘れてるだろうな。それも俺には経験があった。俺は今まで倒してきたトレーナーの顔、その大半を覚えていない。同じように、彼女の中で俺は絶対に記憶の彼方、だ。
 不思議な感覚だ。俺は今、立ち止まっている。彼女に負けた瞬間から、ここで立ち尽くしている。昨日まではシロガネ山に籠もりながらポケモンたちを磨いているつもりだった。でも今、時が止まっているんだ。彼女は変わり続けているというのに。

誰かにおいていかれたのはいつぶりだろう。初めてかもしれない。マサラタウンから始まった旅で、俺の目的地では決まってグリーンを見かけたけど、いつからかグリーンは先回りをやめていた。それからは本当に俺の前にはだれもいない。
けど今、彼女は前へと進んでいる。彼女なりのやり方で。


(何してるんだろう)


知りたいと思った。彼女は新たなポケモンに出会ったか? 彼女は新たなトレーナーを見つけたか? そんなに気になるなら、


(彼女を追いかけようか?)