賞金と、ポケモンのための差し入れと。それ以外の用事は無かったようで、すぐに手持ちぶさたな時間がやってきた。すぐ帰るんだろうと思ったけれど彼女、はこの場でとどまり続けている。俺も立ち尽くしている。はじめに会ったときも、言葉を交わさなかった間柄だ。今更、沈黙に焦ることはないはずだ。けれど俺は焦っていた。何か行動を起こさないと。だってそうしなければ彼女はもうすぐ、行ってしまうだろう。賞金が惜しかったようで、今日は俺の元に戻ってきてくれたけれど、きっと長く立ち止まっているような人間じゃない。
そうだ。バトルをしよう。俺、いや俺たちにできることはそれだけだ。そう思い彼女の瞳をのぞき込んだ。けれどもはや戦い終わったトレーナー同士だ。バトルが自動的に始まることは無かった。声だ、声をかけなければ。バトルをしよう、と。
自分のボールに手をやり俺が口を開こうとした瞬間、彼女はさっと俺に背を向ける。そして去っていってしまった。空飛ぶポケモンにまたがって。
待ってくれ、と思わず手が空へ伸びたのを彼女が知ることはなかった。彼女はまた、視線のひとつもくれずに行ってしまった。振り返る様子もない。俺はその場に置き去りにされた。
「……っくそ」
思わず悪態が口から飛び出た。だって、明らかには俺がボールを手に取ったのを見てから去っていった。あなたとのバトルに興味は無い。言葉なしにそう言われたんだと思う。
どうしてなんだ。バトルくらい良いだろう。久しぶりに自分の中に怒りが芽生えた。いつ以来だ? 多分シオンタウンでガラガラの亡霊を見た以来だ。
怒りはすぐに消えた。憤り以上に胸の中に広がったのは空虚な穴だった。例えるなら……伝説のポケモンを逃してしまったのと同じような喪失感だ。伝説のポケモンという例えはかなり合っている。だってとはもう会えないかもしれない。サンダー・ファイアー・フリーザー、あるいはミュウやミュウツーと同じようにも世界に一人だけだ。
「負けたからか……」
が俺とのバトルを拒絶する理由はきっと一重にそれだろう。一度負かしてしまった相手には興味がないんだ。こんなことになるならあの時勝ちたかった。俺が勝っていたなら、はきっとまた俺に挑みにここへきた。自分の力を試すため、それこそ地の果てまで追いかけてきてくれただろうに。
世界の隅に到達するまで、が追いかけてきてくれるのだと思うと……、やっぱり勝ちたかった。
「………」
どうして負けてしまったんだろう。自分で自分を責めたのも久しぶりのことだった。うなだれる俺のうなじにピカチュウが、柔らかな体をもってすり寄った。
とのバトルビデオは頭から少しずつ消えていった。その代わり、が背を向けた、あの時の拒絶が度々よみがえる。それに伴って“とのバトルに負けた俺の自業自得だ”という自分を責める言葉も浮かんでくるので、俺は少し落ち込みながらこの数日を過ごした。
食料の予備が頼りなくなってきたことも俺に追い打ちをかける。のおかげでポケモンたちのための道具は足りているが、自分用のものがもうすぐ底をつこうとしていた。そんなに食べる方じゃないし食べないまま幾日かは過ごせるけど、お腹が減るのは悲しいと思う。母さんがお腹が満たされていることの重要さを俺に教えてくれた。母さんはいつでも温かな料理でたっぷりと俺を食べさせてくれた。連絡なしに突然帰ったときさえも母さんは変わらなかった。
食料が尽きかけている。重要なのはそれが示すもうひとつの報せ。無くなる食料を補充する、アイツがもうすぐ来てくれるということだ。
アイツとは。グリーンのことだ。
「………」
グリーンは幼なじみで、隣の家に住んでたやつで? 旅してた頃もよくつっかかって来て、ほぼ同じタイミングで殿堂入りして……? シロガネ山まで追いかけてきたのかと思ったらなんだか知らないけれど世話を焼いてくれるようになって……、………。
困った。グリーンについてうまい説明は浮かばない。決してグリーンのことを忘れてるわけじゃない。なのに上手くグリーンのことを俺は言い表せない。だってこの説明じゃ、グリーンがすごく良いやつだと伝わらない。正しく伝えられる言葉は見つからないけど、俺はグリーンのことをすごく認めているというのは分かってもらいたい。
最近は頭ばかりが混乱する。に負けてから、本当に俺は変わってしまった。今まで何の問題もなく回っていた歯車が今は噛み合っていない。
早くグリーンの顔がみたいと思った。あの、変わらないちょっと憎らしい顔がみたい。それでちょっと頭がおかしくなってしまった事も全部言ってしまいたい。グリーンならなんだかんだで聞いてくれるはずだから。誰かを待ち遠しく思う、時が早く過ぎれば良いと思う。どれも久しい感情だった。今まで誰だって、何だって俺には関係無かったのに。
そうだ、また自分のパーティを磨こう。野生ポケモンの相手をしていれば気が紛れる。俺が少し変われば彼女もまた俺を戦う相手として見る気が起きるかもしれないし。……また絡みで考えが進んでく。ばからしい。
ひたすら戦う時間に俺は戻ろうとした。なのに、どうも前みたくいかない。
今まで一度だって飽きることなくポケモンのことを考えていられたっていうのに、今はただひとつの事をやり続けるのがこんなに難しい。信じられない。陽が落ちたり昇ったりするのがひどく気になる。景色がほとんど変わらないこの場所で時間が過ぎるのを待つことが苦痛だった。シロガネ山は落ち着けない場所に変わってしまった。分かっている。変わったのはシロガネ山じゃなく、間違いなく俺だ。早く来てくれグリーン。俺は変になってしまった。
願いが届いたのか、待ちこがれたものは思ったよりも早く現れた。
「……――レッ――か――?」
下の方からかすかな声。わずかな空気の震えだけれど、シロガネ山ではひどく珍しい音なので、俺はすぐに気づいた。グリーンだ。ようやく来てくれたのか。途中だった戦闘を、ピカチュウにボルテッカーを繰り出させ、すぐに終わらせた。待っていられず、自分からも少し下山する。
白もやの中で徐々にグリーンの手持ち・ウィンディの影が色濃くなっていく。俺よりもっと素直にピカチュウははしゃいで、ウィンディの前に飛び出していく。
「よ、ピカチュウ。久しぶりだ。……なんだ、珍しいな。おまえがここまで降りてくるなんて」
道の間で出くわしたことにグリーンは驚いていた。俺はグリーンより、もっと驚いていた。
「あ、こいつ、ポケモンセンターで出くわしたんだ」
「……どうも」
だってグリーンの背にはもう一人の訪問者、がいたのだから。