後日。/12



 それから。

俺は、シロガネ山を降りようとした。自分とパートナーだけならまだしも、を連れて雪山にこもるのは気が引けた。さすがに巻き込めないと思ったんだ。だから、シロガネ山を降りて君の生きやすい場所に行こうと俺は言った。
はすぐにこう返してくれた。


『レッドさんがいる場所ならどこでも良い』


……可愛かった。淡々と、でも俺をじっと見上げて言うの様子は今も思い出すと心臓がおかしくなって、つい歯をかみしめてしまう。
この言葉のおかげだろう。何度かカントーやジョウトの方へ降りたりしながらも、結局俺たちはシロガネ山に落ち着いている。


「おまえにとっては最高だよな。山籠もりまで一緒にやってくれる彼女なんて、さ」


そういうグリーンの表情はその最高を喜んではいなかった。

口振りの割に、グリーンは分かっていないと俺は思った。
別にシロガネ山につき合ってくれるからなんて理由で、を選んだわけじゃない。だったら何でも最高だし、たまたま特別に好きになった女の子がトレーナーとして強かっただけだ。

でも、が最高という言葉に間違いは無いので俺は頷く。


「最凶のトレーナーたちは、愛の巣も最凶だな」
「……あいのす?」
「いやいや、何でもねぇよ。ただふたりっきりで良いな、って話だ」


たしかに。邪魔するような人間はほとんどいない。というか、全くいない。こうしてたまにグリーンがふらりとやってくるだけだ。そのグリーンが来る頻度も最近は減っている。
グリーンが担っていた部分の半分をがしてくれるようになったからだ。
はグリーンよりも言葉少なに、けれど強く、俺と世間をつなぎ止めてくれている。

ただ道をひた走るしかない俺と、それを気にかけるグリーン。その関係はもうすぐ壊れるんだろう。を手に入れた対価だと言うように、俺とグリーンの距離は壊れて、別の物に変わろうとしている。
それで良いと俺は思っている。
グリーンの存在が俺なんかに繋ぎ止められるほど、もったいないことは無い。


「おまえらって普段、何話してるんだよ」
「……話は、あまり」
「それでよく続くよな。やっぱり似たもの同士だからか?」
「俺とは別に似てないよ」
「似てるだろ、いろいろと」
「……の方が可愛い」
「あーはいはい。お幸せにな」


以前より開いた距離をグリーンも感じているんだろう。
最近のグリーンは淡泊な表情をすることが多い。


「おまえに続いて、まで世間からすっかり消えちゃって。知ってるか? 今度は伝説のトレーナーは必ず消える、みたいなジンクスが出来上がりつつあるんだぜ?」
「ふうん」
「ふうーん、じゃねえ。死亡説の次にジンクス作って、どうすんだおまえ。次は神話でもつくんの?」
「別に、関係ない」
「おまえにとってはそうだけどさあ」
「グリーン、俺たちは大丈夫だよ」
「はは、俺たち、か……」


グリーンの乾き笑い。それは俺がこぼしてしまっているのとは全く反対の笑い方だ。


「レッドを止められるのはレッドと同じくらい狂ったトレーナーだけ。そう思うとなんか、あきらめがつくな」
「……?」
「いや、こっちの話だ。あ、オレ、と電話番号交換したから」
「………」
「それだけは許せよな」


そう言われても、あまりピンとこない。どうしてグリーンとが電話番号を交換するのに、俺の許可が必要なんだろうか。
でもきっとグリーンの言うことだから的を射た考えなんだろう。そして俺のことだから、また後から気づくんだろうな。グリーンに簡単に答えをもらうことは今でもしたくない。答えは自分の頭を使って知ろうと思う。身を持って、思い知る時をただ待とう。


「レッドについていける女なんてそうそういないんだから、のこと、大切にしろよな」


 言いたいことは言ったらしい。じゃあ、オレは行くよと、グリーンは外へと歩みを進めた。俺を追いかけているのに、俺を振り返らない不思議な人・グリーンははシロガネ山のやるせなさの中へと消えていった。














 見慣れないものを扱う彼女のうでを掴んだ、それは無意識だった。


、それ何?」


彼女の手の中にあったのは、細身のクシだった。細い歯が一列に並んだ、髪をとくための道具。最初はいきなり増えた彼女の持ち物に興味があっただけだった。けれど、次に告げられたのは聞き捨てならないセリフだった。


「グリーンがくれた」
「グリーンが? どうして」
「お願いしたから」
「……なんて、お願い?」
「………」

「もう少し女の子らしくしてたいって」


この時の俺には、の抱いた理由の深くを察することはできなかった。ただ、がグリーンを頼ったという事実で、ささくれだつ心。いらだちが渦巻く。

電話番号は許す。
でも、


「これはだめ」
「あ……」
「こういうのは俺に言って。全部だよ」


没収したクシ。これはあとで崖の下にでも投げてしまおう。人からの贈り物にしてする仕打ちでは無いけれど、そうするのが一番良いと思った。俺が一番すっきりする方法だ。

 俺の手の中にある手首。すごく細い。当てた、親指の位置にドクドクと鳴る脈を感じた。


「……」
「……っ」


――初めてしたにしては、自然な口づけだったと思う。キスの仕方を特別知っていたわけじゃない。唇を、相手の体に触れさせるのがキスなんだと、知っていただけだった。
なんだか求められている気がして、俺は引力に従った。結果は唇と唇の重なり合いだった。
 目を丸くして驚いている彼女のことだから、キスをねだったつもりは無かったみたいだ。けれど確かに、その震える唇が、俺を引き寄せてくれた。あの唇の様子が、俺の衝動に触れ、導いたんだ。

乾いた唇の向こうにある、少し濡れた部分を分かち合えたのが嬉しい。
と俺の関係で、すごく大きな一歩を踏み出せた気がした。なのに、すぐに一回では足りなくなる。今、したばかりのことを、できればもう一度。変な心を抱えていることが後ろめたくて、俺はから顔を背けようとした。けれど、できなかった。

物欲しそうなひとみ。今、目の前の相手に狂わんとしている。
はそういうところも俺と同じ、だ。





おしまい