こいするひとみ。


 久しぶりに訪れたシロガネ山。そのふもとにあるポケモンセンター。家を出るときにはここに、いつも通りの光景が待っているんだろうと思っていた。利用者のいないポケモンセンターに、訓練された機械的な笑みのジョーイさん。凍てつく寒さが覆う白銀の雪山の頂上には無口な幼なじみ。
今回もとくになんの期待も持たないでいたオレは、ピジョットから降り立った瞬間、驚いて「へえ」と一言漏らしてしまった。

小さな少女トレーナーが、ポケモンセンターにはいたのだ。
珍しい。いや、初めてのことだ。レッド以外のトレーナーをこの場所に見るのは。

 彼女のことはよく覚えている。数週間前にトキワジムに挑戦してきたトレーナーだ。そして数年ぶりとなるグリーンバッヂの新たな所有者。確か名前をと言ったと思う。強く記憶に残っているのは、というトレーナーがとても強烈な個性を放っていたからだ。

初戦はオレの勝ちだった。が、その次の日、朝一番にはジムの扉をたたいてきた。
呆れてこんなことを言ったのを覚えている。「おまえ、一日で立てた対策でオレに勝てると思うなよ。オレは運で勝てる相手じゃないぞ」。
二度目のバトルが始まる前、確かにオレはそう思った。付け焼き刃で倒されてたまるか。こっちは数じゃなく質が勝負のバトルをしているんだ、と。
けれど二度目のバトル、勝利はの手の中にあった。ガラリと変わった戦略、その妙技に気づけば飲まれていた。
一度はコテンパンにしてやったのに、翌日、何にも堪えた風はなく、平然と立ち上がってきた彼女。がむしゃらなあまり噛みついてきそうな勢いのある姿には眩しさを覚えた。

自分の好きなポケモンにこだわったり、得意と感じるタイプを極めるトレーナーは数多くいる中で彼女の、あの変わり身の早さは記憶に残る。アレはルーキーだからできることとも、ベテランの技とも言い難い。彼女がさっさと出ていったジムの扉を見ながらオレは思った。ああ、こういうのも天才と呼ぶんだ、と。転んでもまた立ち上がれる。それもまた彼女の才能だ。
諦めを知らないやつって強いよな。実際、強かった。オレを越えていったのだから。

そうか、シロガネ山に来ていたのか。その華奢な体に横目で見ながらオレは思った。やっぱり天才トレーナーっていうのはここにたどり着くんだな。

 でもなんか、印象変わったな。
 戦ったときからとにかく勝ちへの執着が強く見えたけど、今の彼女はどこか小さい。ポケモンセンターのすみっこでたたずむ彼女はシロガネ山におびえるただの女の子に見えた。


「こんにちは、グリーンさん」
「どうも」
「あなたのポケモンを回復されますか?」
「頼むよ」
「かしこまりました」


 ポケモンセンターのジョーイさんというのはよく訓練されていると思う。ポケモンと人々の営みから遠く離れた、こんな寂しげな場所であっても、同僚と同じように微笑むのだから。


「レッドさんは今月はまだ一度も降りてきていませんよ」
「そうか」


事情を知っているジョーイさんはこうしてレッドの情報をくれたりする。滅多に人のこないシロガネ山の土地柄か、レッドのおかげか、オレとジョーイさんはすっかり顔なじみになってしまった。


「あの」
「うわっ!」


不意に話しかけてきたのは例の彼女だった。
パーカーの端をひっしと掴まれ、オレはつい、驚いて一歩後ろに引いてしまった。
話しかけられたこともそうだが、彼女がしゃべったことが驚きだった。こいつ、しゃべれたんだな。ポケモンに指示を出すときもいっさい口に出さなかったくせに。

逃がさないぞと言うようにパーカーを握りしめながら、相変わらずの鋭い眼光で、はこちらを睨みあげてくる。


「な、何だよ」
「今、レッドさんの話、してましたか」
「ああ、してたよ」
「レッドさんとどういう……」


ああコイツも、レッドに興味があるのか。コイツまで。


「ただの幼なじみ。出不精なアイツにちょっと物資補給してやってるんだ」


他にもいろいろと関わりのある仲だけれど、現状を言葉に表すなら幼なじみ。これしか無い。
オレが告げた言葉に、はヒトらしい目を見せた。期待を帯びた瞳だ。すぐさまオレは思った。煙たいな。


「言っとくけど案内なら断る。おまえ、レッドを追ってここに来たんだろ。自分の足でたどり着けないトレーナーにあいつが倒せるはずがないからな。そんなトレーナーをレッドに紹介したら逆にオレの立場が無ぇよ」


それに、オレを倒したトレーナーは間違ってもそんな腑抜けじゃない。
もしそれでもオレを頼るというなら、この場でオレがやったバッジを没収してやろうか。そう思った時だった。


「違います。わたしは、もう」


もう、から続く言葉は無かった。無かったけれど、の才能を知っているオレには補う言葉が簡単に見つかった。


「もしかして……勝ったのか」
「三日、かかりましたけど」
「マジかよ……!」


 ああクソ、オレの時は二日だったじゃないか。
レッドが負けたことを悔しむよりも、の勝利を喜ぶよりもそんな、貧しい敵対心がわいた。


「でも、わたし、困ってるんです」


オレの胸の内なんて知らないで、は話を続ける。


「勝って何を悩むことがあるんだよ」
「勝っちゃったから、困っているんです。わたし、レッドさんに」


また、言葉が途切れた。
というトレーナーは喋れはするけれど、基本的に話すのが苦手らしい。


「えっと、わたし……」
「何だよ」
「あのです、ね」
「言えよ」
「………」


続きを喋り出すのを待ってみるが、はオレのパーカーをくしゃくしゃと揉むだけで本題が出てこない。
けれどその指先の仕草で、なんとなくが言わんとしていることは伝わってきた。それを踏まえた上で、オレは意地悪をする。


「ほら、早く言わねえとオレは行くぞ」
「えっ」
「オレもそんなに暇じゃないんだよなー」
「あの!」


たくさんの血が巡り始めた彼女の頬。それをニヤニヤしながらオレは見ていた。バトルをした時はちょっと気が狂ったヤツだと思ったけれど、なんだ、こんな女の子らしい表情もできるんじゃないか。


「グリーンさんについていって良いですか」
「ジムトレーナーになりたいんならトキワジムに直接来いよ」
「そうじゃなくて……」


の声がどんどんか細くなっていく。顔も熱そうだ。
かき消えそうな弱った声。狂気とは違うものでグルグルと周り始めた彼女の瞳を見て、ようやくオレは満足したのだった。


「ップ、アハハハハ!」
「………」
「悪い、からかっただけだ。わかってるよ、おまえ、レッドに会いに行きたいんだろ」
「……!」
「連れてってやるよ。ただし、連れてくだけだからな」


無言ながら表情をころころと変えるは見物だった。
目を見開いて、狐につままれたような顔。からかわれていたのだと知った、ムッとした顔。レッドを繋がる道を見つけて、安心した顔。そしてレッドを思いだしたんだろう、あたたかな不安を携えた塗れた瞳。


「オレのウインディに乗せてやるよ」
「ありがとう、ございます」


こんな冷たい以外の温度の無いような世界の入り口で、オレは見た。確かに灯る明かりを。彼女が持つそれは、





<こいするひとみ。>






 あれから数ヶ月。
まさかトキワで見ると思っていなかった背中をオレは見つけていた。


「おい、! 久しぶりだな! なんでおまえがここにいるんだよ!」
「、グリーンさん」


思わず引き留めたのはあれからめでたく、レッドと恋人同士になっただ。
 とレッドが近づき始めた当初、実はオレは二人の恋に悲観的だった。レッドの調子じゃあ、誰だってまあダメかなと思ってしまうと思う。
それでも今は二人でシロガネ山に落ち着き、うまくやっているらしい。


「どうしたんだよ。トキワに何か用事か?」
「えっと……」
「元気にしてたか?」
「その……」
「なんだよ、レッドはどうしてんだ?」


何故かしどろもどろになっているだったけれど、レッドの名前を出したとたん静かになった。ジッと下を向く。その様子でオレはひとり、安心していた。まだは我がライバルのことを想っていてくれているようだ。


「……わたし、この前のバトルでレッドに負けました」
「あ、おまえらまたバトルするようになったのか。二人とも文句無しに強いから良い訓練になるだろうな」


そうか、あれから二人はまた前進したのか。
トレーナーとしてのつながりをイヤだ捨てたいと言っていたレッドと。その発言通りに、お互いを相手としたバトルしていないと聞いていた。けれど今はもう人間同士としてのつながりをしっかり持てたから、トレーナーとしてまた向き合えるようにもなったってわけだ。


「良かったな。ポケモンが無いとレッドはレッドらしく無いし、もせっかくの才能がもったいないなって思ってたんだよ」


いい気分で、一息ついたオレ。けれどは違った。むしろ、対極の感情で口を開く。


「レッドのやろう……」


明らかに十代の少女のものではない威圧感を放つ


「あいつ、ぜったい、ぶっつぶす」


ボソリと呟くその声は、聞くものに絶対零度を思い出させるように冷たく、地を這うように負の感情に満ちている。トキワに刹那の氷河期が訪れた瞬間だった。

それでは。その瞳に宿る黒い炎に呑まれたオレに、はひどく簡素な挨拶を告げて、雑踏の中に消えていった。
ならきっと、やるだろう。だって負けても負けても立ち上がるやつは強いから。なら必ずぶっつぶしを達成する。


「まったく……」


本当に彼女は、レッドにおあつらえむきだ。

 の消えていった方向をを見ながら、ふと、考えが浮かんだ。
不屈の彼女が灯した炎。負けても負けても、立ち上がるは確かに強かった。

オレも、とふと思う。

またレッドと戦いたいと思うのはもう遅いことだろうか。
チャンピオンの間でのラストバトルで決着は確かに着いた。けれど今、再び胸が躍る。また、あいつと戦いたい。レッドだけじゃなく、とも。

そう思い始めるともう、止まらなかった。
オレもまた、ここからスタートしよう。

ぐーっと背伸びをする。
待ってろレッド。今度会うときはフルメンバー、持っていってやる。
が消えた方向を、シロガネ山のある方向をにらみ、オレは決意を新たにしたのだった。