彼の背中は硬い。静かに呼吸する男ゆえの感触を、わたしは自分の背中で感じ取っていた。背中合わせで眠るベッドの中、わたしは眠れない。別にダイゴさんとひとつのベッドに入るのは初めてじゃない。こうして親子か兄弟のように眠ったことなら何度かあった。けど、窓の外の大雪が、高揚感をわたしにもたらしていた。
温暖な気候のホウエンでは雪が降ること自体が珍しいのに、どのポケモンが何の気まぐれを起こしたのだろうか。外では雪はしんしんと降り積もっている。
ダイゴさんをわたしの家にとどめたのも、この大雪だ。この雪ではさすがにポケモンに乗って帰るのは気が引けたらしい。もしくは雪の中帰ろうとするダイゴさんを心配していたわたしに気づいて、そうしてくれたのかもしれない。
ダイゴさんは視界の悪い雪の中、帰ったりしないんだ。危ないことはしなくて済むんだ。そう安心したわたしは、その夜、この家の狭いベッドで彼と一緒になることを全く考えていなかった。
「………」
眠れない。さっきまで雪に大はしゃぎしていたダイゴさんが打って変わって静かに横になっているのも、わたしの高鳴る胸を際だたせて、落ち着けずにいる。
わあ、降り出したよ!って言って外に駆けてったダイゴさん。その背中は子供みたいだった。元から年上男性のくせして大人らしくないとこのある人だったけど、あの時のダイゴさんのはしゃぎっぷりは、見てるわたしがお姉さんになったみたいだった。
「えっ、すごい、冷たい!」って、雪だから冷たいに決まってるのに。
ダイゴさんが積もり始めた雪でかたどった、最近実家の庭に新しく飾った石。わたしにはただの雪の塊にしか見えなかった。それでも「こんな感じの、すごい良いかたちしてるんだよ!」と力説したのだから思わず笑ってしまった。今も、思い出し笑いしそうだ。ああ、また目がさえてきた。
静かだ。闇の中でも白色が空を切るのは目に映って、夜が妙に明るく思えた。目を閉じて、眠気を待たなければならないのに、目線は部屋に写り込む雪の影を追っている。そして身体の感覚は後ろの存在を常に確かめている。
不意に、背中の存在がうごめいた。
「……ちゃん」
囁き声に胸が高鳴る。布ずれの音、ダイゴさんは息を詰めて上半身を起こしたようだった。返事をしようか、迷ってしまう。わたしは出来れば今日も、ただ一緒に眠るだけで終えたかった。そっと髪を触られて、びくりと体が強ばった。
「っ……」
身体が反応を示したのは驚いたのと、もっとダイゴさんに強く触れられるかもしれないと、身構えたからだ。
「ごめん、別に変なことをするつもりじゃないんだけど」
「………」
「でも寝てる間に勝手に触られたらそりゃ驚くよね、ごめん」
優しくて、でも自分を納得させようとしている声にぎゅっと目をつむる。ダイゴさんになら髪だって触られたって良い。彼の欲望に求められたなら、応じるつもりでいる。ただ、まだ未知の世界に、好奇心より恐怖が勝るだけ。
ベッドがダイゴさんの体重に揺れる。彼はまた、横になったみたいだった。ただ、わたしが背中に感じるのはダイゴさんの背中ではなくなった。ダイゴさんはこちらを向いて、ぐんと息づかいが近くなった。
「……どうしたんですか?」
「なんか眠れる気がしないんだ。ドキドキしてて。ふわふわもしてる」
「……わたしも、です……」
「そっか」
「雪だからですかね。こんなに、静かなのに……」
「………」
言葉が途切れると静寂がさあさあと耳を撫でる。
「……さっき、どうしたんですか?」
「うーん……」
「びっくりしましたけど、わたし、大丈夫です」
「うん、僕も大丈夫。ちゃんとのことはゆっくりやっていこうと思ってるから僕も、そこは大丈夫だよ」
「……はい、………」
「起こしてごめんね。おやすみ、ちゃん」
それからもう、ダイゴさんは何も言わなくなった。かすかな息づかいは、ダイゴさんがこっちを向いたおかげでさっきより聞こえる。その息を丁寧に聞き取って、わたしはダイゴさんが今どんな顔をしているのかをまぶたの裏で想像した。ダイゴさんはちゃんと眠れているんだろうか。
夢の入り口はさっぱり近づいてこない。後ろにいてくれる、ゆっくりで良いと言ったダイゴさん。その顔が見たくなって、振り返りたくなって、そっと寝返りを打った。
「………」
「………」
ダイゴさんは起きていた。濡れた目と、目が合う。暗がりだけど、ダイゴさんの目には窓からの光が落ちていた。
ダイゴさんの瞳を見て、思った。ああ、そうか、と。
ドキドキして、ふわふわもしていて、静けさが落ち着かない。ときめきや、その他の感情と混合してしまいそうな高揚感の正体。大雪がもたらしたのは、漠然とした不安だ。わたしが、わたしたちが眠れないのは、不安だからだ。
自分の違和感にはただ戸惑っていたけれど、ダイゴさんの目に映る感情なら読みとれる。
ホウエンに大雪。ハイになってはしゃいで、楽しい気がするのにわたしはダイゴさんを確認していないと落ち着かない。それは紛れもない非常事態。
向かい合って暗いところで顔を合わせ、ようやくわたしは、ダイゴさんを鏡のようにして自分を支配していた感情を知った。
「………」
「………」
指先をのばして、ダイゴさんのわき腹から垂れていた手の甲に触れる。そっと手を繋ぐ。彼の親指がわたしの手を擦った。
「……僕としては、抱きしめたいんだけど」
「………」
そう、言われてしまったので、手は離して、わたしは無言で首を丸める。おでこが彼の胸板に当たるまで、深く。
いつも、抱きしめられたまま眠れるわけがないと思っていた。さっきも眠れないのは背中でダイゴさんを感じているからだと思っていた。腕をまわしたダイゴさんの背中は硬い。硬いけど、なぜかわたしを落ち着かせる。
わたしはダイゴさんの体に当たって帰ってくる、自分の二酸化炭素を吸って、また吐いた。雪はまだ、降りやまない。