遅い、なぁ。遅刻の理由は言われなくとも察しがついているが。

 分かっている。彼が何かを疎かにするとしたらそれは決まって、“あれ”のためだ。彼の変わった趣味は既にマニアの域に達し、わたしが敵う相手じゃないのは長年の付き合いで分かりきっていることだ。もう文句はとっくのとうに弾切れを起こしていた。

 でも絶対に彼は来る。“それ”に夢中になってしまうのは彼にもコントロール仕切れない欲求の暴走なのであって、こうして他人をおろそかにしてしまうのは彼の本意ではないのだ。それもよくよく分かっているから、わたしは忍耐の精神で彼を待ち続けているところだ。たとえ放っておかれているのが冬の寒空の下だとしても。

 簡単にエゴに流れていくのに、最後は誠実。たちが悪いってこういうことを言うんだ。
 寒いんだけどなぁ。彼を、待つしかない。はぁ、と吐いた息も白く凍えていた。

 短針が三度目に震えた頃だった。きゅっと、目の前で自転車がブレーキをかけた。


さん!」
「わ、ユウキくん」


 待ち人ではない人がわたしを見て顔を綻ばせる。


「偶然だね」
「偶然ですね。待ち合わせ、ですか?」


 ユウキくんの目はなんでもよく見えそうな大きな目。今も、ひとつの瞬きで状況をすぐに読みとったみたいだ。


「うん。寒いからもうどっか行っちゃいたいんだけどねー」
「もしかしてさん待ちぼうけ? 連絡無いんですか、その人から」
「それが無いんだよね」
「ええ?」


 ユウキくんは話しながら自転車を降りる。と思ったらワンツーステップで、わたしの横に並んでくれた。


「あれ、ユウキくんこの後は?」
「オレのことは心配しないでください。約束とかは無いですから」
「……気、遣わなくて良いよ?」
「何のことですか?」


 どうやらわたしの一人の時間を紛らわせてくれるらしい。
 相変わらず年下とは思えないくらい気遣い上手である。


「やっぱりここ、寒くないですか?」
「寒いねぇ」
「……オレがさんをポケセンに誘ったら待ち合わせの人、怒ります?」


 それを言ったユウキくんは、身長差のせいで上目遣いだった。


「単純にさんが心配なんで、暖かいとこに連れて行きたいだけなんですけど」
「んー。怒りはしないと思う。でも、わたし大丈夫だよ。遅れてる理由はなんとなく分かるし、すっぽかしたりする人じゃないのも分かってるから、あんまり辛くない」
「その人のことよく知ってるんですね」
「幼なじみなんだ。もう20年近くの付き合いだよ」


 言葉にすると自分でも驚く。でも確かに数えるとその年数になってしまうのだ。20年、わたしと彼は人生のほとんどの場面にお互いの存在を確認しながら過ごしていた。


「20年って凄いですね」
「わたしも今自分で言ってて驚いた」
「じゃあお互いの小さい頃も知ってる?」
「うん。うんざりするくらい」
「ふうん。オレは引っ越しでそういう子とはみんな切れちゃったから、さんが羨ましいな」
「そうかな」
「……話聞いてます? 何ニヤニヤしてるんですか」
「ごめん、ちょっとね。ユウキくんに言われたら色々思い出して来ちゃって」
「色々って?」


 笑う息が白く立ち上っていく。


「その幼なじみのまだ可愛かった頃とかね」


 小さい頃。その言葉が文字通りキーワードとなって、思い出の箱を開けよとわたしをつっついた。
 この寒さに付き合ってくれるお礼だ。わたしはユウキくんにつらつらとその幼なじみの話をし始めた。






 彼は小さい頃から、周りの女の子からいつも人気を集める男の子だった。
 普通の男の子とはちょっと違ったな。短パン小僧よりも冒険が上手なのに、いつも塾帰りよりも綺麗な、汚れひとつ無い服を着てた。髪の毛もさらっさらで、爪噛んだ跡とかもない。顔とか以上に、全てが綺麗な子だったんだ。

 それ以上に他の男の子と明らかに違ったのは彼は女の子の扱いを知ってたところかな。
 男の子なら女の子の気を引きたくてちょっかいを出すことってよくあるじゃない。だけど、その子はしなかったんだよね。
 女の子をからかったりしない。というか、気になるものを気になるって言える子だったんだ。好奇心を上手に表せてた。そういう子供っぽさは無い男の子だったな。

 まぁ、子供なりにスマートな男の子だったよね。それでも自由奔放な部分もあったから、優等生キャラでも無かったけど。

 彼の幼少期だったら、わたしは可愛いの言葉で片づけることが出来るな。








「可愛いって。その幼なじみは男の人なんですよね」
「うん。でも、可愛かったなぁって。子供だからって許されることってたくさんあるでしょ」


 ユウキくんは釈然としないようで首を小さくひねった。


「ん? その顔はどういう顔かな?」
「どういう人なんだろうって。ちょっと想像がつかないんですけど。そんな人間いるのかな、って」


 ユウキくんはまだわたしの幼なじみが誰か分からないらしい。ユウキくんも良く知るあの人がこの話の主人公だというのに。
 わたしはまた幼なじみの話を続けた。







 子供が色々許されるのはやっぱり可愛いからなんだろうね。
 その人はまぁ個性的というか世間から見ると変わってる人なんだけど、彼のユニークさは幼い頃はとても許されていたと思う。
 だってね、石を集めるのが好きなんてことも歓迎されてた。好きなものがあることは良いことだ、何にでも興味を持ちなさいって。わたし、その子が褒められてるところしか見たこと無いよ。

 うん、その子は大人からも人気だったよ。他の子とは違う雰囲気が昔からあって、周りはすごく期待してた。大人になったら一体どれだけ優秀な人間に育つんだろうって。
 ただ健康ならそれで良いって言われて育ったわたしとは、本当に別世界の人間だね。

 彼は小さい頃からポケモンバトルが上手だったよ。すごくね。
 男の子ってすごいよね、遊びでも本気になって作戦考えたりして。その作戦も今から考えても悪知恵が働いてて姑息なんだよね。相手の注意を反らすために何も無い方向を指さして「あーっ! 伝説のポケモン!」とかあったよね? なかった? じゃあこの辺りだけなのかな。
 熱中してる男の子たちに「なんでそこまで夢中になれるのかわかんない」って呆れてる子もいたけど、わたしはただただ感心してたなぁ。
 センスが良かったのもあると思うけど、その子はポケモンがとても好きだったんだと思う。彼のポケモンを可愛がってるその子をわたしはよく見てたから覚えてるよ。
 見てたっていうか見せられてたからね。強制的に。

 だって呼びに来るんだよ。ちゃん遊ぼうって。遊ぶって言ったって、バトルとか洞窟探検とか、自分の好きなことに付き合わせるだけなんだけどね。
 見てるだけならわたし別にいなくても良いんじゃない?って正直に言ったんだけど、その子には全然伝わらなくってさ。しかも自信満々に言うんだよね。

「ぼくがいちばんつよくてすごいところ、みせてあげるよ」

ってね。






 苦笑いして横を見るとユウキくんは遠い目をしていた。


「……その話でやっと誰だか分かりました」
「あれ、石好きのところで気づかなかった?」
「引っかかってはいたんですけど。……さんの幼なじみってダイゴさんなんですね」
「はいそうです。わたしもダイゴも、カナズミ出身の幼なじみです」
「ダイゴさん、あんまり子供の時から変わってないんですね」
「むしろ変わってないから問題なんだけどねー」
「言えてます」


 そうダイゴは変わっていない。成長した部分はもちろんあるんだけど、彼の考え方とか心根とかそういうところは笑っちゃうくらい変わっていないのだ。何もかも。成長していくにつれて是正されていくだろうと思われていた部分もそのままに、彼は大人になってしまった。
 いや。是正なんて言い方は、まるでダイゴの変わらない部分が悪い部分みたいで嫌な言い方になってしまっている。

 訂正しよう。
 彼は時とともに失われていくものを失わずに大人になった。
 彼は子供のままなんじゃない。
 昔からツワブキダイゴのままなだけだと、彼を見続けてきたわたしはそう思っている。


「色々思い出してきた」
「何をですか」
「“ぼくがいちばんつよくてすごいところ、みせてあげる”って、それわたしが一緒にいなきゃいけない理由になってないよね、って引っかかってたこと、思い出したの」
「そうですか?」
「そうでしょ。質問と答えが繋がってないよ」


 どうしてわたしがいなきゃいけないかって聞いたのに、答えが「僕が強いから」って。意味不明だ。

 わたしの言語能力は別におかしくないはず。当たり前だと思って返すと、ユウキくんはふっと短い息を吐き出した。


さん、鈍感。オレにはダイゴさんの言いたいこと分かりますけど」
「え?」
「あ、ようやく来ましたね」


 ユウキくんと同じ方向を見ると、確かにそこには鋼の鳥。ダイゴの相棒、エアームドが鈍色の翼で滑空していた。
 降りてこようと羽ばたいているのを見ていたら、ユウキくんはさっさと自転車に乗り込んでいた。


「じゃ、オレ行きます」
「え? ダイゴに会ってったら?」


 ユウキくんは返事をくれなかった。すうっと自転車を発進させて、後ろ手で軽く手を振ってくれただけだった。
 ユウキくん、急にどうしたんだろう。きっと何かしらの理由があるんだろうけれど、わたしには思い当たるものが無かった。

 不思議で不思議で、ダイゴが横に来てもわたしはユウキくんが走っていってしまった方向を見ていた。


! 遅くなってごめん」
「あ、うん。いいよ」


 来るのは分かっていたし、ユウキくんもいたしでそんなに苦痛ではなかった。ただちょっと体が冷えたけど、ダイゴが来たからもう歩き出せる。
 歩いているうちに体もあったまるはずだ。


「……何?」
「ううん」


 さっきまで思い出していたダイゴの小さい時の顔。今のダイゴと重なるようで、重ならない。
 おっきくなったなぁと、しみじみしてしまう。


「ユウキくんに何話してたんだい」
「世間話。ダイゴの小さかった頃とか」
「え、僕が昔から凄かったって話?」
「バカじゃないの? ダイゴは昔からしょーもなかったって話だよ」


 わたしは努めて事実を語っていたつもりだ。けれど、実際思い出話がダイゴを讃える内容になっていたことは認める。
 でもそこを、素直に伝えて褒め合うような間柄じゃない。
 褒めて、ダイゴは昔からかっこよかったと言って、気まずくなるのがわたしたちの関係なのだ。多分。


「ひどい! 僕の威厳が!」
「存在しないでしょそんなもの」
「最初はあったはずだよ」
「最初“は”?」
「うん、最初は」
「だめじゃん。ダイゴに威厳が存在したことすら驚きだけど」
「僕のバトル見たらそんなこと言えなくなると思うけど。……そうだよ! 今度僕のバトルを見に来てよ。エキシビションマッチの予定があるからさ」


 そしてダイゴは自信満々の表情で言うのだ。


「僕が一番強くて凄いところ、見せてあげるよ」