「ジュプトル! 集中して!」

 修行に身を打ち込むのは、強くなりたいから。いつもならそうだった。でも今わたしを突き動かすのはそんな欲求じゃない。
 何もしないでいることが怖くて仕方がないから。だからわたしは一番のパートナー・ジュプトルに特訓を命じ続ける。
 焦りが、動き続けろとわたしの体に命令する。

 首に汗が伝う。のどはからからに乾いて張り付く。でも水を飲む時間も惜しい。
 今を全速力で走り抜けないと、わたしはあの人に置いてかれる。置いて行かれたわたしはきっと死ぬまで後悔する。




 出会いはダイゴさんからだった。
 道ばたで不意に話しかけてきたスーツ姿の不審者。その人は自らをダイゴと名乗って、自分は珍しい石を求めて各地を回ってるストーンゲッターだと言った。
 最初は怪しいと思った。けど、ポケモンのことを心の底から楽しそうに話すダイゴさんにいつの間にか警戒心を解かれて、わたし達はトレーナーとして頻繁に連絡を取り合う仲になった。

 ダイゴさんのことは気づかないうちに好きになっていた。もちろんトレーナーとして、だ。
 どんな日にもスーツを着て、身綺麗にしてるのに、中身はどうしようもないくらい変な人。体は大人なのに考え方とかがどうも子供っぽくて、自由で。
 ダイゴさんの表情と好きなものへの純粋な愛情のギャップに、おもしろい人だなって思っていた。一人の人間としても惹かれていたと思う。
 ついこの前だ。そんなダイゴさんが実はトレーナー達の最終目標となるチャンピオンだと知ったのは。

 隠してたんですか? そう聞いたらダイゴさんは一言、ごめんねと言った。
 困った笑顔を見てわたしが一番最初に感じたのは驚きじゃなく、“裏切られた”。そんな気持ちだった。

 ガンガンと頭の中で鳴り響く。わたしを責め立てる音。
 彼がチャンピオンだと、知らなければ良かった。

「あ、……!!」

 ジュプトルの技が空回りに終わる。
 空を切った彼の爪に、はっとさせられた。もうジュプトルに技を打つ力は残っていない。なのにわたしは闇雲に技を指示した。

「ごめん、ジュプトル……」

 黙って首を横に振るジュプトル。無茶をさせたわたしに怒っても良いのに、彼は冷静だ。
 わたしは思わずジュプトルに駆け寄って、傷ついたその体を抱きしめた。

「ごめん、ごめん……!」

 だめ。こんなんじゃ。
 いつまでたってもダイゴさんに追いつけない。

 思わず目頭が熱くなる。こらえきれず涙を落としてしまった。ジュプトルの手がのろのろと上がってわたしの頭を撫でた。

「……ありがとう、落ち着く」

 数分で涙は収まった。ジュプトルの体温がわたしに落ち着きをくれた。鼻はちょっと詰まってしまったけど。
 ジュプトルはまだ心配そうにわたしを見上げる。けれどわたしが笑って見せると彼も笑ってくれた。

「休憩しよう。ジュプトルも!」

 元から汗をかいていたのに、そこから涙と鼻水をたれ流してしまいいよいよ水分不足だ。
 とりあえず日の当たらないところに移動しよう。そう日陰を求めて後ろを振り返ったすぐそこに、件の人がいた。

「やあ!」

 泣きはらしたわたしにはついていけない明るい返事。今日もスーツをばっちり着こなし、ダイゴさんは笑顔でそこにいた。

「……なんでそこにいるんですか」
ちゃんを追いかけて」
「いつから」
「さっき。特訓頑張ってるから声かけづらくて。はい、おいしいみず」
「いりません」
「よく冷えてるから目に当てても気持ち良いから。ほら、目が腫れたらもったいないよ。女の子なんだから」

 ずるい。心の中でそう呟く。
 ダイゴさんが強引に渡してきたおいしいみずは確かに、ついさっき自販機で買ってきたみたいにきんきんに冷たかった。

 熱中症になりかかっていたのだろう。日陰で風を浴び、みずを飲むとわたしを責め立てるように鳴り響いていた頭痛が消えていく。
 冷静な判断を失って、ジュプトルには本当に無理をさせてしまった。彼の収まったボールをそっと握る。
 でも熱中症のままでよかったような気もしてしまう。体の熱さが失われていくと、悲しさがよみがえってくるからだ。
 隣をちらりと見ると、同じくおいしいみずを開けたダイゴさん。でも開けただけでその手は進まない。
 遠くを見ていたダイゴさんが、わたしの視線に気づいてこちらを向く。さっとわたしは視線を反らす。

「まだ怒ってる? 僕が自分の立場を隠してたこと」
「……元から怒ってません」

 隠し事をされてわたしが怒った。ダイゴさんにはそういう風に見えたらしい。
 隠し事をされたことに反応はしたけれど、厳密には違う。わたしが感じたのは“裏切られた”。そんな気持ちだ。

 ダイゴさんが実はチャンピオンだと知って、いろいろなものが崩れてしまった。

 ポケモンを通じて知り合えば、年齢なんて関係なく友達になれる。そう信じていた。中ではダイゴさんはバトルのスタイルも育てるポケモンも、年齢ももちろん性別も違うのに、好きになれた。
 でもダイゴさんはチャンピオンで、わたしがそんな身近に感じて良い人では無かった。

 何なの、わたし。舞い上がっちゃって。
 顔から火が出るくらい恥ずかしくて、悔しい。
 ダイゴさんは悪く無い。勝手な期待を寄せたわたしの自業自得なのだ。

 くれる言葉はいつだって優しいのに、本当は手の届かない場所に立つ人だったなんて、やっぱり裏切りだ。

ちゃん」
「………」
「返事してよ。怒ってなくてもそんな急に態度変えられたら僕も気になる。それにちゃんとのことだから、尚更ほっとけない」

 寂しそうな、けれどあくまで笑顔をダイゴさんは浮かべる。

「君とはなんだか気が合うから、一緒にいる時間が楽しかった。君との関係、好きだったんだけど、僕はチャンピオンだとそれも変わっちゃうのかな」
「……変わらないものなんて、無いですよ」

 変わらないものなんて無い。それは自分に言い聞かせたい言葉。
 わたしはこれから変わって行かなくちゃいけない。変われないなんて、思いたくない。

「わたし、ダイゴさんと自分は対等だって勘違いしてたんです」
「僕はそのつもりだったよ」

 ダイゴさんがくれる言葉はいつも、わたしの心に寄り添ってくれる。ダイゴさんの発する声色だと、それがただ相手を気持ちよくさせるためのお世辞に聞こえないから、わたしはまた自分を実際より大きく勘違いする。

「実際は違ったじゃないですか。わたしは駆け出しの野良トレーナー。だけどダイゴさんは……」

 彼の正体を知った時。どうしようもない遠くに立つ人だと知った時。第二の感情は“悲しい”だった。自分はダイゴさんにとって取るに足らないトレーナーであると分かって、わたしの胸は悲しみに痛んだ。

「ダイゴさん、わたしのことはしばらくほっといてください。一人でじっくり考えたいんです。勘違いじゃなく、ちゃんと、ダイゴさんに追いつきたいです……!」

 その言葉は、決意は、ちゃんとダイゴさんの目を見て言えた。水晶のような瞳は、大きく見開かれて、わたしの思いを吸い込んでいった。

「……分かった」
「……いろいろ、すみません」
「でも、また来て良い?」

 せっかく思いを言葉に出来た、それをダイゴさんに伝えることが出来たと思ったのに。
 あっけらかんと言うダイゴさんに思わずがっくりしてしまう。

「あの……、さっきほっといてくださいって言いましたよね? わたし修行に打ち込みたいんです」
「それは聞いた。でも息抜きは必要だ。君じゃなくて、僕にね」
「ダイゴさんは万年息抜き状態じゃないですかー!」
「ええ? これでもいろいろ抱えてるんだってば」
「それでも、息抜きはわたしじゃなくても良いじゃないですか! それこそ、もっと可愛いトレーナーのところにでも行けば……」

 言いかけて、はっとする。これは、トレーナー同士で交わす会話とはちょっと違う。
 気まずくなりながらも視線を上げると、ダイゴさんは平然とした顔をしている。

ちゃんは可愛いよ?」
「ダイゴさんってそういうのサラリと言うから、本気っぽく聞こえないんですよね」
「本気だよ、可愛いよ」
「残念でした。わたしこれからもっと可愛くなくなる予定なので」

 頭上にはてなマークを浮かべるダイゴさんに言い放ってやる。

「強い女の子は可愛くないでしょ」

 してやったりと強気の笑顔を見せつける。
 そうだ。わたしは強くなるのだ。ジュプトルも、旅の仲間もしっかり育てて、目指すはホウエンリーグだ。
 ざあ、と風が強く吹く。不意をつかれたダイゴさんは数秒固まって、それから吹き出し笑いをした。

「そっかそっか。でも僕、強い女の子、好きだよ」
「聞いてません!」
「あ、でも強がってる女の子はもっと好き」
「別に強がってません」
ちゃんのことだなんて言ってないけど?」
「あーもう、休憩終わりですから! もう帰ってください」
「えー。僕、暇なんだよ。ここにいたい」
「じゃ、じゃあせめて、邪魔しないでくださいね!」
「了解」

 わたしは残りのみずを飲みきって日向へ出る。それと同時にジュプトルもボールから飛び出した。その瞳はやる気に満ちている。
 本当にタフな子。わたしはジュプトルを一度ぎゅっと抱きしめてから特訓を再開した。

「もうちょっとでジュカインになるね」

 わたしは日向で笑む。
 ダイゴさん。あなたがそんな日陰から、分かったような口利いてられるのも今のうちだ。