毎日入り浸っているお気に入りの修行場所・ついのどうくつ。そこについて聞かれたとき、わたしはこう答えることにしている。

「奥まで行っても何も無いよ、どこまで行ってもただのどうくつ。道に慣れていて便利だから通っているだけ」

 今日もそんな嘘を吐いて、わたしはついのどうくつの奥へ進む。道中でもはや顔なじみになったエリートトレーナーたちに無愛想ながら会釈をして、言葉交わすことは避けて、わたしは奥を目指す。
 戻れるのか不安になるくらい奥。人のいないどうくつの先。不意に開ける吹き抜けの空間。耳が痛いくらいの静けさの中、それはたたずむ。

 ジガルデ。
 目の前ではない、もっと何かを見つめるような蛍光色の瞳。わたしの何倍もある竜と呼ぶにふさわしい背丈。ついのどうくつの主。

 心惹かれてどうしようもないものに出会えた。わたしの旅の意味は今ここで、息をしている。



 ここにくると、わたしの中に流れる時がゆっくりになる。時々風鳴りと雨滴の落ちる音がする。しかしそれ以外は存在しない、耳が痛くなるほどの静けさ。外の世界と切り離されて、一瞬は永遠に感じらえる。
 食べること、水を飲むことも忘れてじっとジガルデの横でいたくなる。実際に空腹を忘れる。のどは渇く。けれどそれを嫌とも思わなくなる。

 わたしが現れてもジガルデは何も反応を示さない。わたしなど見えていないかのようにじっと静止したままだ。

 生態系を見守るポケモンとされているジガルデ。この子がわたしを見ることは無いのだろう。
それで良いと思う。ジガルデの見ている世界とわたしの生きている世界は全く違う。
 それでもわたしはそっとジガルデの横に座る。そして何が見えるというわけでもないのに、ジガルデが見つめているのと同じ方向を見る。

 わたしはポケモントレーナーだ。自分の道を切り開くため、野生のポケモンを捕まえてはパートナーとして大事に育てている。けれどジガルデをにだけは、捕まえたい、自分だけのものにしたいという感情はわかなかった。一目見たその時から、ジガルデとジガルデがいるこの空間が好きだと思った。
 そして自分はその空間を壊しかねない邪魔者なんだ、とすぐさま悟った。

 そう、邪魔者だと知っているから。わたしがここで喋ることはない。ぴくりとも動かないジガルデの横で、息をする。どうくつの空気に体温を奪われながら、ジガルデの横にいられる幸せに目を閉じる。
 時間に対する感覚を失いながら、いつも思う。このまま眠りたい。永遠に。









 一度も捕まえたいと思ったこと無かったジガルデにモンスターボールを投げたのは、必要に迫られてのことだった。
 わたし以外にこの部屋へたどり着きそうなトレーナーがいたのだ。今まで誰もここまで来れやしなかったのに、それはすぐ後ろに迫っている。

 この部屋、このジガルデを人に見られる。見られてここにジガルデがいることが皆に知られてしまったら。知られるだけでなく、もしジガルデが誰かのポケモンになってしまったら。それだけはいやだ。
 ごめんなさいを頭の中で何度も叫びながら、わたしはエゴを優先した。

 ジガルデは意外にもひとつめのボールにすんなりと収まってくれた。
 喜んでなんていられない。わたしはジガルデの入ったボールをしっかりと握りしめてどうくつのさらに奥へ向かった。

 どうくつのさらに奥に、ジガルデの巨体が収まる空間を見つけられたのは幸運だった。後ろを注意深く見て、確認のため来た道を戻ってみたりしたが、さきほどのトレーナーが追ってくる気配は無かった。

 ここなら……。
 ボールを投げてジガルデを出す。もしかしてジガルデは怒っているかもしれない。勝手に捕まえ、場所を変えられたのだから。
 恐る恐る見上げたジガルデはいつも通り。感情があるのか無いのかも分からない。けれど首が少しこちらへ向けられている。

「……っ」

 彼の視線の先を通り抜けたことは何度もあった。でも、今初めて、ジガルデに見られていると感じた。

「ごめんなさい……」

 何かを言わなければと思った。

「こんなことして、ごめんなさい。あなたはあなたのままが良いと思うから、解放する」

 ジガルデの目の前でわたしはモンスターボールを破壊した。モンスターボール自体が壊れることは無かったけれど、他のポケモンの技をいくつか組み合わせることで、機能を停止させることができた。

「あなたの居場所を壊してしまって、本当にごめんなさい……」

 もう、ここに来るのをやめよう。
 わたしが通うことで、きっと人を引き寄せる。野生のジガルデの横に人間がただいるという不自然さは感じていた。
 誰にも見つからず、地底の奥底で何かを見つめている。そんなジガルデがわたしは好きだ。わたしはその好きなジガルデの生き方を脅かしたくない。
 乾いた岩肌に、わたしのすん、と鼻をすする音が反響する。

「さよ、なら」

 もう機能しないモンスターボールを鞄にしまったのは、自分のためだった。最後の思い出のつもりだった。
 あなぬけのひもを握りしめた時だった。

 ずず、とゆっくり何かをひきずる音。聞いたことのない音だった。
 それもそのはずだ。今までジガルデが自ら動いたところなんて見たことも無い。だから、ジガルデが近寄ってくる音も聞いたことが無い。

「なんで……?」

 わたしが一歩後ずさると、ジガルデがまた近寄ってくる。ずず、と彼の尾がうねる。

 震える手で投げた新しいモンスターボール。やっぱりひとつめに、ジガルデはすんなりと収まってくれたのだった。




 あれから。わたしの手元にモンスターボールがひとつ増えた。中身は伝説のポケモンと言われるジガルデだ。
 捕まえたい、自分だけのものにしたい。そんなこと、考えたことも無かったのに、実際にジガルデを手に入れると嬉しくて仕方が無かった。
 一緒にいることで、わたしはジガルデの様々な面を知った。

 特に意外だったのは、ポフレが大好物で、一度に何個もポフレを食べること。ジガルデが食事する場面も水を飲む場面も見たことが無かった。そういう生きるための欲求とは縁の無さそうな顔していたくせに、わたしについてきてくれるジガルデはよく食べ、よく飲み、よく眠る。
 そんなジガルデを知ることができて良かったと思う。ジガルデの新たな表情を見ることで、わたしは自分勝手な理想の押しつけとさよならすることが出来た。そのままのジガルデに近づけたのだから。


 ジガルデを手に入れてしまったことで、ついのどうくつには行かなくなってしまった。
 わたしが好きだったのはジガルデのいるどうくつなのだから当たり前だった。

 たまに、誰もいない野原にジガルデを放してやるとジガルデは静止する。ジガルデはたまにこうして、じっと、どこかを見る。目の前の景色ではない何かを見つめるジガルデの横に、わたしもそっと座る。

「……何?」

 時々何か語りかけられるように見つめられる。

 人間の一生なんてジガルデの寿命を比べれば星の瞬きのように短いだろう。それでも。一瞬の永遠に想いを馳せる。出来る限り永く、ジガルデの横にいたい。

 心惹かれてどうしようもないものに出会えた。わたしの旅の意味は今、わたしの隣でわたしを見つめ息をしている。