何も、本当に何も考えずにアマルスのことを見ている時がある。観察するためでもなく、興味を満たすためでもなく。義務でもなく、かと言って意志も無く。目の置き場として、私はアマルスを見ることがあるのだ。
外は極寒のフロストケイブ。アマルスの過ごしやすい空間を守るために、私は家に最低限の暖房しか入れない。着込んで、湯たんぽをおなかに抱え、遠赤外線ヒーターで足下を暖めればなんとか過ごせている。熱い飲み物も肝心だ。
つつーっと流れる水っぽい鼻水が止まらないけれど、私の仕事に大した影響は無いので良しとする。
私はその日も、アマルスを目の置き場にしていた。アマルスの研究者としての意地で、ペンとメモは用意してある。が、頭がぐったりと重く、アマルスの観察に集中する力は無かった。
卓上に頭を預けながら見ていたアマルスは、不意に頭を上げた。ドアの向こうを見ている。アマルスのために完全には閉まらないが、保温のため二重になった扉をアマルスは体で開けて、外へ出てしまった。
散歩に行ったのかな。一人散歩だとしたら珍しい。アマルスは仲間意識の強いポケモンなのか、私を置いて勝手に遠くに行くことがない。案の定、アマルスは数分で短い足で精一杯跳ねさせながら帰ってきた。
アマルスを追いかけるように扉の向こうにのぞいた、新しい色にわたしは目を剥いた。赤い体に白い羽毛、黄色いくちばし。わたしは目を離さないまま、ペンを握ると、今日の日付と時刻に続いて、メモに書き込む。
『アマルスが初めて野生のポケモンを連れてきた。この辺りに生息するデリバードだ。体長は、平均サイズの0.9mほどと思われる』
アマルスの初めての友達。私は思わず息を殺した。アマルスは私によく慣れているが、デリバードはおそらく野生のポケモンだ。人間を前に、逃げていってしまう可能性もある。
アマルスが他のポケモンと交流を持った。これはたった一度のチャンスかもしれない。わたしはそうっとカメラを取り寄せ、机の上に固定するとムービー撮影を開始した。
そっと慎重にメモをめくり、私は必死でペンを走らせた。今日はすごい日だ。アマルスの記録に全く新しい記録が追加される。
『アマルスに対してあまり警戒心は無いらしい。むしろ機嫌よくアマルスに近寄って、アマルスの背中に乗った。アマルスも気を許しているらしい』
『アマルスの歩調と、デリバードの歩調は同じくらいだ。よりすばやいのはデリバードだが、アマルスの一歩が大きいのでうまく兼ねあっている』
『デリバードが袋から何か取り出した。木の実だ。アマルスはそれを受け取り食べた。アマルスにプレゼントのつも――』
思わず、ペンが止まった。
アマルスに木の実を渡したデリバードはもうひとつ取り出すと、それを私の居る方へ向けたのだ。
気づかれていた。当たり前だ。相手は自然に生きる野生のポケモンだ。人間よりも何倍も鋭い感覚を持っている。
急な緊張と後悔が私を襲う。邪魔するつもりは無かったのに。どうしよう。私はどうしたらこの場を丸く治めることが出来るのだろう。
デリバードが木の実を掲げたまま、一歩、また一歩とこちらに近づく。その度にたっぷりとした皮が足を包むように垂れた。
そして手渡しが可能な距離まで近づいて、
「デリ!」
無邪気の瞳に見上げられそこまで言われてしまえば、もう降伏するしかない。
「あ、ありがとう」
指先のふるえる手で受け取ると、またデリバードは満足げに「デリ!」と鳴いた。
雪のかけらがついたままの、デリバードからのプレゼントを見つめ、私の心は震えていた。
今日はすごい日だ。アマルスだけじゃない。私にも、フロストケイブで初めての友達が出来たのだ。
その夜、私は出会ったデリバードの事を思い出していた。木の実を分けてもらったデリバードの優しさに胸がくすぐられる想いだ。
そしてなの気も無しにデリバードの図鑑を見てしまう。
『しっぽで えさを つつんで はこぶ。』
この一文は、まだ大丈夫。問題は次だ。
『やまで そうなんした ひとに えさを わけあたえる しゅうせい。』
屋外ほどでは無いといえど寒い部屋。
外にいるかのような格好をして動かなかった私。
表情の覇気の無さは親兄弟、友人から散々指摘された。
そして、デリバードが分けてくれた木の実。
『やまで そうなんした ひとに えさを わけあたえる しゅうせい。』……。
まさか。まさか、ね。
ああ、デリバード。優しいポケモンだった。私は胸を綻ばせ、図鑑を閉じた。