丸く切り取られた空を見上げる。強い光が前髪を通り抜け僕の目を刺した。火山口の中にあるルネシティは、やっぱり僕からしてみると窮屈な気がしてしまう。こんなことを口にしたら、洞窟に通い詰めるおまえはどうなんだと言われてしまいそうだけど。
 苦笑いしながら、目的の家のドアを開けた。

「ミクリー」

 すぐに奥から男の声がする。僕がなんの戸惑いもなく友人と呼べる男、ミクリの声だ。

「ああ、待っていたよ。入ってくれ」
「うん」

 彼に届くよう、少し強い調子で返事をした。
 家主の許可があったので僕は踏み入れ、リビングのイスに座った。やっぱり強い光が、リビングには刺している。僕がそれをぼうっと見つめていると、しっかりと衣服を整えたミクリが現れた。

「やあ、最近ダイゴによく会ってる気がするな」
「そうだね。この前は一昨日? いや、三日前か」

 彼は自分がどう動けばマントがどんな表情を見せられるのか。それすらも知り尽くしている。
 少し大げさに手を動かしながら、ミクリは向かいに座った。

「まあ、良いよ。ミクリの家に居ると言えば会社も少し空気を読んでくれるし」
「そうだったのか。まあ周りからしてみれば洞窟でふらふらしてるよりは良いってことか」
「うん。それに僕自身もリーグにいるよりは落ち着く」
「それだけか?」

 意地悪な質問をしてくるな。僕が少し眉をしかめるて、はぐらかそうとすると、ミクリは席を立ってしまう。

「お湯が沸いたから紅茶を入れるよ。何かリクエストはあるかな」
「……、君に任せる」

 またマントを波のように動かしてミクリが行ってしまう。その背中を見て、思わず短いため息を吐いてしまった。否定の言葉を、うまくミクリに交わされてしまった。

「それだけか? って……。よく言うよ」

 どうせミクリは僕の魂胆を見透かしている。僕の言葉が嘘じゃないこと、けれどそれだけじゃないことを分かって言ってるんだ。
 意識しないようにしてたのに、ミクリが意識させるようなことを言うから。彼女のことを思い出してしまったじゃないか。

「あー……」

 知らないうちに顔が赤くなってたり、変な顔をしてやしないか心配になって、僕は自分の顔を擦った。

 恋をしている自分が好きかと言われれば、少し嫌いだという答えになる。
 僕はこの気持ちを飼い慣らせない。

 まるで何も無かったかのように涼しい顔で、ミクリが戻ってくる。
 ひとつのポットにふたつのカップ。砂糖とミルク。紅茶について僕から口を出せることは無いので、大人しく注ぎ時になるのを待つ。ベストなタイミングはミクリが知っている。
 僕は彼の振る舞いに応えられるよう、丁寧にカップに口をつけた。

「うん、美味しい。いつもの味だ」
「安心した。ダイゴは舌が肥えてるから気が抜けない」
「気を使うこと無いのに」
「……、で、どうだったんだ」
「何が?」
「この前の石の話」
「………」
「どうした」
「……いつも石のばかりしてるから、どれをミクリに話したかちょっと思い出せなくて。ごめんごめん」

 大急ぎで記憶を漁る。えーと、ミクリに話した石の話……。三日前だよな。三日前というと、僕がカロスの石屋と連絡を取った日だ。

「あ、思い出した」

 そうだ。珍しい石があると連絡をもらったんだけど、僕自身はその石をすでに持っていて、購入を迷っていたんだった。さんざん悩んで結果僕は購入を決めたのだけど、ミクリに報告していなかったんだった。

「それがね――」

 話そうとした僕を、遮るようにドアが開いた。

「ミクリさん、戻りました!」
「っ!」

 カップを置いておいて良かったと心底思った。驚きすぎて、紅茶どころかカップまで落としていたかもしれない。
 振り返れない僕の背後で、ミクリと彼女――ちゃんは軽くやりとりしている。あ、ちゃんが僕のすぐ後ろにいる。そう思うだけで僕の背中が思わず丸くなる。

「ああなんだ、お客さんってダイゴさんだったんですね。あ、これ頼まれたものです」
「ご苦労さま」
「いえ、お安いご用です」
「ちょうど良かった。ダイゴも来てるし、も座りなよ。今カップを取ってくるから」
「あ、ありがとうございます」

 話の流れにぎくりと肩が震えてしまう。あー、やだな。この大げさな反応も、ミクリからはばっちり見えてるんだろうな。
 僕はまだ心の準備が出来てないのに、彼女は気楽な様子で隣に座る。そして僕に、警戒心の無い笑顔が送られる。

「ダイゴさん、こんにちは!」
「や、やあ」
「いらしてたんですね」
「ま、まあね」

 こんなの耐えられない。僕は「ちょっと」と言葉を濁してミクリを追った。

 ちゃんは数ヶ月前からミクリに付く年下の女の子だ。他の地方からやってきたなかなか腕の立つポケモントレーナーで、特に水タイプのポケモンの育成に力を入れている。その関係で今はミクリとともにルネに滞在しているらしい。
 ある日ミクリを訪ねた僕は、そこでちゃんを紹介された。

 第一印象は目の輝きが印象的な女の子、だったのに、彼女の発言に意表を突かれて、突かれて、いつの間にか心の中に入り込まれて……。まだ自分でも信じられないけど、つまり、好きになっていた。

 テーブルからミクリを追う。たった数メートルの距離じゃ、僕の顔の熱はどうしようもない。表情を繕えないまま僕はミクリに詰め寄った。

「ミクリ!」

 ちゃんに聞こえては困るから、あくまで小声でミクリを責め立てる。

「なんだダイゴ」
「どうして言ってくれなかったんだ。ちゃんが来るって。どうせ分かってたんだろ。せめて先にカップを出しておいてよ!」
「言おうと思ってたんだが、思ったより早く到着してしまったんだ。すまない」

 すまないなんて軽く言ってくれる。僕には重大な問題だと言うのに。

「それより早く戻りたまえ。を退屈させるつもりかい?」
「……っ」
「私もすぐ行くから」

 ミクリに正論で追い払われ、仕方なくテーブルへと戻る。ざくざくと音を刻む首の脈をどうにか落ち着けたくて、僕はスカーフと直した。

 テーブルに一人のちゃんは、とても落ち着いた様子で窓の外を見ていた。本当に僕とは対照的だ。悔しくなるくらいに。

「あ、ダイゴさん。大丈夫でしたか?」
「う、うん」
「良かったぁ」

 あ、さっきのスカーフきつく締めすぎた。息が苦しい。再度襟を直して、僕は呼吸を整えた。

「相変わらずミクリと一緒にいるんだね」
「水ポケモンについての勉強をするなら、ミクリさんに付いていくのが一番ですから。ダイゴさんも。ミクリさんとやっぱり仲が良いんですね」
「まあね。今日もミクリが呼んでくれて」
「そうなんですか! ミクリさん、ほんとすごい人ですよね! ホウエンでミクリさんと出会えて、わたしは自分の未熟さを知りましたし」
「うん」

 頷きながらも、僕は落ち着かない気持ちでちゃんの横顔を見ている。
 夢中でミクリを語るちゃんの目は輝いていて、僕は期待を抱いてしまう。
 ああ、この子は優しくて、汚い世界を知らなくて、人の悪口を言ったりしないんだろうな。

 まだ彼女のことをほんの少ししか知らないのに、とにかく尊い人のように思えてしまう。やっぱりこれは、好きということなんだろう。

「とにかく勉強することが多くて、毎日世界の新しい一面で出会うようで……」
「うん」
「わたし、本当に尊敬しているんです!」

 君の尊敬するそのミクリは、今僕の気持ちを知りながら弄んでいるのにな。ふう、と今度はミクリに対するため息が漏れた。

「それにミクリさんは色んな知り合いが居て、こうやってダイゴさんとご縁もありましたしね!」
「う、うん。ありがとう。僕も君と会えて良かったと思ってるよ」

 心奪われるような女の子に出会えて、僕はずいぶん変わってしまった。
 毎日世界の新しい一面で出会うようで。それは僕のセリフでもある。ちゃんと出会っただけで、僕は毎日世界と、僕自身の新しい一面を見せつけられている。

「盛り上がってるじゃないか」

 カップとソーサーとティースプーンを揃えるには長すぎる時間をとって、ミクリが戻ってきた。の前に全てを揃えると、ポットの中身を注ぐ。
 彼女のカップを満たすとポットはちょうど空になってしまったのだから、やっぱりミクリは確信犯だったんだろう。

「はい、待たせたね」
「いえいえっ。ありがとうございますっ」
「で、何の話をしていたんだい?」
「君の話をしてただけだよ」
「なんだ、ダイゴが聞き手か」
「すみません、なんかわたしがつい熱くなっちゃって」
「私の話でかい?」
「はい!」
「どちらかというと、いつもは私が聞き手なんだ」
「そうなんですか」
「ダイゴが夢中になって話すんだよ。ね、ダイゴ?」
「う、うん」

 ミクリが僕の気持ちで遊びつつも、応援してくれているのは分かっている。僕と彼女が自然に会えるように仕組んでくれているのも気づいている。

「で、ダイゴ。石の話は? 続けてくれ」

 こうやって彼女の前でも僕が僕で在れるように誘導してくれているのも分かっている。けれど、もうちょっと余裕が持てるまで時間が欲しい。
 まだどうしても、僕は僕についていけない。単純な恋心にこんなにも胸を跳ねさせている僕自身に。

 ちゃんの前で石の話をするのが恥ずかしいなんて、ほんと、僕が一番信じられない。

「今度にするよ」
「遠慮しなくて良いのに」

 うるさいな。物事には順序があるんだよ。
 いきなり僕が夢中で石について語ってみなよ、ちゃんが引かない可能性はゼロじゃないだろ!

「おっと」
「?」
「いや、なんでもないよ」
「………」

 テーブルの下、蹴り出したつま先はミクリに上手く交わされた。