適当という言葉には二種類の側面がある。よく使う、けだるさを含んだ“テキトー”と、なんだかんだでしっかりやる“適当”。わたしはどちらかというと、とてもテキトーな人生を歩んでいると思う。

 建築、芸術、カフェの街。よっつの季節の名を冠した通りに、円形状に広がる町並み。カロスで一番の美しい都、ミアレ。そんなこのミアレに特に感動できず、テキトーに食えるだけの仕事をこなしている。それ以上の行動を起こさない。そんな私は、腐っていると言えるかもしれない。

 安定を求め、就職だけは大手企業に決めた。そこですることが、代わりの利く仕事だからだろうか。仕事ばかりの日々なのに、仕事にも会社にも大きな愛着は持てていない。
 わたしはすごくない。でも会社だけはすごいかったりする。

 デボン・コーポレーション。ポケナビをはじめとしたトレーナーをサポートする独自のアイテムで業績を上げる大手有名企業。
 少し変わりもの、だけど人格者で有名なツワブキ社長のもと、社員を大切にする企業としても名前が上がる。本社はホウエン地方、指折りの都市・カナズミシティに巨大ビルを構えている。

 わたしは、一度も行ったことないけれど。

 本社ビルが巨大なのは上司が教えてくれた。わたしはデボン・コーポレーションのカロス支社勤務。本社ビルは栄転が無い限り縁が無いだろう。
 本日も働くはミアレのオフィス。遠い本社、入社式の時に一度お顔を見た限りの社長とは、そこはかとない心の距離を持ちながら働いている。はずだった。

「君が若手の中で一番柔軟だから。よろしく頼むよ」

 上司はそう言った。

「えっと、柔軟さは何か関係あるんですか? その……、副社長のお相手をする事と」

 先ほどまで取り組んでいた作業を同僚に引き継いで、急遽わたしが命を受けた仕事。それはホウエンから突然やってきたツワブキダイゴ副社長のお相手だった。

「そもそもお相手って……。もっと接待慣れしてる人じゃなくて良いんですか?」
「君、副社長の話とか聞いたこと無いの?」

 ツワブキダイゴ副社長と言えば、社長の一人息子で、ポケモントレーナーとしても一流だということ。そして石を集めるのが趣味な一風変わった人であることは、社員じゃなくても知っていることだった。

「今回もどうやらごく個人的に石集めのためにいらしたみたいでね。だから堂々と営業部の人を向かわせる訳にもいかなくてさ」
「個人的なご旅行なんですか? ならそっとしておく方が良いんじゃないですか? だって副社長って強いんですよね? バトルの腕」
「チャンピオンだからこそ困るんだよね……。誰も止められなくて」

 急に上司は大きなため息をつくと、表情を変えて声を落とした。

「さっきは言葉を慎んだけど、ちゃんには副社長を見張って欲しいんだ。カロスで見失わないように」
「え……」
「とにかく副社長にしがみついて、見張り役、お願いね。多分振り回されると思うけれど」
「……、分かりました」
「とりあえず副社長に失踪されると本社も我々も困るから、連絡取れるようにしておいて。これは絶対」
「分かりました」
「あとなるべく副社長をミアレから出さないこと」
「分かりました……」

 上司の言葉にイヤなんて言えるわけがない。わたしは仕方なく了承して、外回りの準備をした。やけくそでカバンに荷物を投げ込んで、オフィスを出る直前。上司が見せてくれたのは本社のパンフレット。そこに載る、副社長の顔。

 ストレートに表現しよう。その顔は、イケメンだった。





『多分自前のポケモンで来るはずだから、ポケモンセンターに行けば会えるはず。あと、行く前に石屋さんも一応チェックしておいて』

 そんな上司の言葉に習って、ミアレにみっつあるポケモンセンターの道順を思い浮かべながら、ひとまず石屋に向かう。と、あっさりその人は見つかった。

「あ」

 あまりのことに思わず声が出た。石屋のショーウィンドウに少年みたいな瞳で見入る男性。シルバーの髪色と、興味深そうに顎に添えられている手に指輪が光る。
 見たことの無いデザインのスーツが派手なのに、品がある。その人は御曹司らしさをかけらも隠さずにミアレの町中に存在した。

 こみ上げる緊張を飲み込んで、わたしは石屋に入る。
 近くなったその顔は、写真で見るより遙かに整っていた。目の前で動いて、息をしていると顔立ちにすごみを感じてしまうのだ。
 男性の割に白くきめが整った肌に、ずるい、と場違いな悔しさを抱く。

「お楽しみのところ、すみません」
「ん? なんだい?」
「ご紹介が遅れまして申し訳ありません。わたくし、こういうものです」

 自分のマナーが合っているか、自分の行動が失礼ではないか。内心びくびくだ。一挙一動ごとに緊張がこもる。
 副社長はわたしの名刺、そして社員証に目を通すと、へぇ!、と声をあげた。

「カロスの」
「はい。本日は長旅、お疲れさまでした。ご無事のご到着なによりです」

 副社長がゆるやかな笑みを崩す前に、わたしはとりあえず用意していた言い訳を告げる。

「プライベートとは存じ上げておりますが、副社長がせっかくカロス地方にいらしたのでご案内するよう言われまして」
「そう。会社の命令で来たの?」
「そうなりますね。何かお力になれたらと。でも社の側も、あまり副社長がプライベートでいらしていることはもちろん存じ上げております」
「ふうん……」

 副社長の切れ長の瞳。さっき石に向けられていたものとは全く別ものの冷静な瞳は、わたしを一瞥する。そしてすぐに「分かった」と明るい声があがった。

「せっかくだからよろしく頼むよ」
「っありがとうございます」

 副社長に同行すること。上司から課せられた第一の目標をどうにかクリアできてわたしは力いっぱい頭を下げていた。

「じゃあまず、堅苦しい言葉はやめよう。あんまり敬語がすぎると、休暇の気分がなくなる」
「え、でも……」
「僕の名前は知ってるだろう?」

 知ってはいる、けれど急に名前を呼ぶわけにもいかなくて、ツワブキさん? と問いかけると、副社長は苦笑いした。

「親父もツワブキさんだよ。ダイゴって呼んで。ね、?」

 イケメンはずるい。仕事と相手の容姿は別物と思っているけれど、名前を呼ばれただけで心臓にくるものがあった。

「早速悪いんだけど、少し待っていてもらえるかな。買うものだけ買ってくるから。そしたら何か食べよう。食べたいもの考えておいて。あ、それとも僕と一緒に石見る?」

 わたしは何度もここの前を通ってますから大丈夫です、と無難に断りを入れる。アイスブルーの瞳がショーウィンドウに向き直ったのを見て、わたしは壁にもたれかかり小さなため息がつく。

 仕事だから投げ出したりはしない。けれどこの仕事はわたしには不相応だ。なぜ上司はこの人にわたしを仕向たのだろう。
 話をした数分で、もう目の前がくらくらする。





 副社長が本当に何でも良いと言うので、わたしは無難にミアレで味の評判が二番、知名度は二番、けれど雰囲気とサービスの良さが一番のお店へ案内した。
 副社長が気分を害すことなく食事を終える。それが一番、わたしにとって重要なことだった。

 下々の社員では、決して一緒に食事できないような人が、目の前に座ってパイを食べている。
 また食事をとる姿が何気ないのに上品だ。崩れやすいパイを食べているのに、まだ塵ひとつ落ちてないテーブルクロス。今日みたいな機会がなければ、一生言葉を交わすことの無いような人だと分かる。

 そんな恐れおののくわたしの気も知らず、石屋での買い物が相当楽しかったのか、満足そうな笑顔だ。
 午後1時の光が副社長の銀髪に吸い込まれ、それが食事のために揺れるだけで周りが華やぐ。カフェの店員が振り返って副社長を見ている。けれど、その中も誰も知らないんだろう。副社長の笑顔は石が元になっているなんて。


「は、はい」
「やっぱり、まだ緊張がとれないみたいだね」
「そんなことありません」

 本社の、副社長とお食事をしている。立場に加えて、その割にには自分は冷静を保てていると思う。

「でもまだ僕の名前を一度も呼んでないよ?」
「急には難しいですよ。でも、なるべく堅苦しいのは抜いていきたいと思っています。プライベートですし」
「そうだね。でも何で君が来たのかな?」
「それは……」

 その質問にはわたしも困ってしまう。上司の任命はわたしにとっても唐突で、意図を図りかねるものだったからだ。

「上司曰く、わたしが同僚の中で一番“柔軟”だからと」
「そう。じゃあその柔軟さを早く発揮してもらいたいな」
「頑張ります」
「うん。もっと、友達みたいにつきあって欲しいな。お守りの仕事なんて忘れて、さ」
「……!」

 やばい。ばれている。副社長の言葉に、びくついた肩を隠す間も無かった。特に顔色を変えずに、副社長は外の景色を見ている。

「僕を見張ってって、言われたんだろ?」
「………」
「僕もそんなに無責任な人間じゃないんだけどな。……まあ洞窟に入っている時はどうしても連絡がとれなくなるけれど。隠さないで良いよ。は、いや君の上司は僕にミアレにいて欲しいんだよね?」

 副社長が気楽にしゃべる間、どうにか言い訳を探した。うまく話が収まる方便はないものかと、無い頭をひねった。
 でも諦めはすぐにやってきた。最初から、実物を一目見た時には分かっていた。この人は人の上に立つ人間であると。御曹司であることを差し抜いても充分足り得る、逆らいがたい人種なのだと。

「す、すみません……。副社長がお気を悪くするかと思いまして」
「僕はもちろん君を振り払うことも出来るんだけど。が怒られるのは可哀想だな。憎い人選だね」
「そんな……」
「君の上司も分かっててを指名したんだろうね」

 こちらの隠し事を見通しながら、副社長は悠々とした口調で、涼しげにしゃべる。その余裕が逆に恐ろしくて、わたしはシャツの下でじんわり汗をかいていた。
 失敗したこと以上に、副社長が怖い。やばいんじゃないか、これ。

「ねえ」
「は、はいっ」

 おそるおそる返事をすると、席から少し乗り出した副社長がそこにいた。じっと見つめてくる副社長から目をそらせないでいると、わたしの手に違和感が走る。
 カップを持つわたしの手。それを上から多い被さるように、副社長の手が添えられていた。人差し指の第一関節に、あのシルバーの指輪の冷たさが当たっている。



 そう呼ばれると、カフェの喧噪が急に消えた気がした。音が全て消えて、副社長の声だけかわたしを飲み込む。

「そんな仕事やめちゃいなよ」
「……っそんな仕事って!」

 何を言っているのだろう、この人は。怒りに似た感情でなら、わたしはこの人の視線の束縛を跳ね返せた。

「わたしが働いているのはあなたの、あなたのお父様の会社です……!」
「うん。いずれ僕が継ぐ会社で働いてるのに、君はここまで一度も笑わないね。カロスの支社は本社とはだいぶ雰囲気が違うみたいで、残念だ」

 警戒とレッド、混乱のイエローとが脳内で混ざり合って明滅している。
 ただ目の前のアイスブルーだけは、落ち着いた色で凪いでいる。

「社員の笑顔が曇ってるのは副社長としてはいやだな。もちろん、僕個人としてもね」
「……失礼ですが、何が言いたいのか分かりかねます」
「こんなことやめて、僕と楽しいことしようってこと」
「副社長にとってはこんなことでも、わたしにとっては勤める会社に与えられた仕事です。それを投げ出すほど、腐っていませんっ」

 こんなこと、という言い種はわたしにも頷く部分がある。別にこんなことのためにデボン・コーポレーションに入社したわけじゃない。デボン本社に対し周りより忠誠心が薄い自覚もある。
 テキトーで、適当に仕事をこなしてきた程度のわたし。それでも、“楽しいことしよう”なんて誘いに軽々乗ってしまうほど無責任にもなれない。この人の甘い、けれど怠惰な誘惑を前にするとテキトーだったわたしも不思議と意固地になれた。

 初めて反抗の意志を見せても、副社長はぴくりとも動じない。

「仕事、やめたくないんだ。そうだ、じゃあこういうのはどう? 君はこれから会社に一本電話を入れる。それで上司に連絡しなよ。副社長は今日はホテルの部屋でゆっくりしてるって。フロントからの電話は受け付けないように言ってあるみたいだから、以後の連絡は私にくださいって言えば、バレない」
「それが何になるって言うんですか」
「君は仕事を投げ出したことにはならない。やり方を少し変えるだけだよ」
「分かりません。どうしてそこまでするんですか?」
「僕はカロス地方での時間をと楽しく過ごしたいんだよ」
「………」
、君は同僚の中で一番“柔軟”なんだよね?」

 言いながら、シルバーのリングが手の甲へ、副社長の指先が手首まで攻め入る。副社長はいっそう笑顔を深めて、ささやいた。

「僕と楽しいこと、しようよ」






 電話を切ったわたし。自分の言葉じゃなく、副社長の指示通りに伝えた言葉は、ところどころ震えていたいたと思うのだけれど、上司は怪しむことはしなかった。
 それどころか、「お前ならやると思っていた」「その調子で頼む」と褒めてきたが、こちらの状況はそんな喜べるものではない。その調子ってどの調子だ。わたしのペースは今や全て副社長のものになっているのに。

 逆らえない、勝てない、逃げ道が見つからない。予想外の状況に苛まれ、気づけばひどい汗をかきながらわたしは上司に連絡を入れていた。
 わたしよりもしっかりスーツを着込んでいるはずの副社長は、鼻歌でも歌い出しそうなくらいに上機嫌である。

「それじゃあ行こうか!」

 明るい声に、どうにもまた脱力がひどくなる。さっきわたしを責め立て、決断を迫らせた淡いブルーの瞳は、今はまた少年みたいに丸く輝いている。

「行くって、どこに……?」
「ん? セキタイタウン! 君をうまく説得出来たからね、今から自由だ。僕も、君も」

 楽しいことをしよう、と妖しい顔で囁いてきたのは何だったのか。セキタイタウンって、結局石かよ。と思うわたしの手がぐい、とひかれる。

「さあ、行くよ!」

 そう言われても。わたしが固まって歩き出せないのを見て、副社長は困ったように笑うと肩を抱いてきた。

「ほら、歩こう。じゅうなんなポケモンはまひしないんだよ」

 あのシルバーの感触が今度は肩に、と思っていると前へ押し出されてバランスを崩しそうになる。うわわ、この人の一歩は大きい。あわててわたしも足を前に出した。

 ミアレの町を出るゲートをくぐる。わたしの頭の動きは鈍い。
 副社長。ずるい人だ。初対面で敬語を崩すように言ったのも、名前を呼んだのも、きっとこの自由を手に入れるための策略だったに違いない。

 会社との折り合いをつけながら、わたしが怒られることなくミアレを脱出するために。思えば石屋で出会った最初から、この人の企みは始まっていたのかもしれない。

 上司曰く。同僚の中で一番柔軟らしいわたしは、ツワブキダイゴ副社長のかたちに習って、本日、初めて仕事をさぼります。