テラス席に吹き込む風は人から働く意欲を奪うような極上のぬるさだった。白いテーブルクロスの上。最近そこそこのお金を出して譲ってもらったという石。もうひとつ、ついさっきそこで拾ってきたという石。ふたつを並べて交互にかわいがるダイゴはリラックスした表情だ。背もたれにゆったり体重を預けて、いつもは挑発的な瞳が今は少し眠そうに細められている。

 石を手に深く腰掛けた彼は端的に表すと、わたしの婚約者だ。幼い頃から親同士の間で決められ、お互いにそれをわざわざ反故にする理由ができないまま大人になり今に至る。将来を共に過ごす予定の腐れ縁。わたしはそう思っているし、ダイゴも同じ考えを持っていることだろう。

 そうモンスターボールの投げ方を知らない時からわたしはダイゴのことを見ている。目の前の彼はその長年のつきあいでも珍しいと思うくらい楽しげに見えた。
 実際機嫌も良いようであった。
 ダイゴはテーブルクロスの上から石を拾い上げる。さっきそこら辺で運命の導きの元拾った石。楕円形で平べったい。全体は白っぽく、何か混じったような模様がある。
 ダイゴはその石を隅々まで眺め形を確かめ、手のひらでぎゅっと握りしめると、お手玉のように軽く空へ放る。

「うん、やっぱり僕、この石好きだ」
「……ごめん、どこが良いの?」
「なんとなくかな。触り心地とかがとても落ち着いて、好きだなと思うんだ。こっちの石の方が高かったのにね」

 ぱしり、ぱしり。愛しい石ころを手玉にとるダイゴを前にわたしは頭痛を覚えた。
 何が良いのか全く理解できない。出会った時からだ。変則的すぎるダイゴの美学についていけないのは。

「そんな顔しないでよ」
「だから、ちょっとしたトラウマなんだってば」

 石という趣味がなければ、わたしは今もまっすぐダイゴに憧れていたのかなぁ。

 あのツワブキ家の嫡男で、ダイゴはそれに足る雰囲気をまとっていて、物事やポケモンに対する類まれなるセンスを持っていて。彼は王子様なのかもしれない。そんなわたしの幻想をぶち壊したのが、ダイゴの石集めという趣味だった。
 幼い頃のわたしにはただただショックだった。両手に握られた石さえ無ければ完璧だったのに。憧れの存在を土まみれの石に汚されたように気にもなっていた。
 あの頃のわたしはまだダイゴに夢を見ていたのだ。

はいつまでも慣れてくれないね」
「始めて知った時の衝撃がまだ残ってるんだよね。なかなか忘れられなくて」
「それって何年前?」
「うん、10年以上は経ってるんだけど」
くらいだよ。我慢しようとしないの」
「他の人は我慢するものなの?」
「うん」

 顔と生まれとポケモンバトルの腕。三拍子揃ってれば石集めなんていう一風変わった趣味なんてなんのその。愛で乗り越えてみせるという解答を示した女性は数え切れないくらいにいたとダイゴは言う。
 自分自身で言ってしまう辺りが呆れてしまうくらい彼だ。

「ちょっと待って。その子たち、ほんとに顔と生まれとポケモンバトルの腕なんて言ったの?」
「いやもっと“ダイゴさんにはそれ以上に素敵なところを持ってます”とか柔らかい表現だったと思う。でもつまりはそういうことだろ。僕の素敵なところって言うのはさ」

 自分が持つステータスについて、それによって出くわした生々しい好意のかたちについて、涼しい顔で語れるのはダイゴが他でもない、当事者だからだろう。

「うーん」
「ん?」
「どうしてその人たちとは長く続かなかったの?」
「続かなかったっていうか」

 ダイゴの趣味を理解しないとしても、受け入れようとしてくれるなんて、パートナーとして素晴らしいことじゃないの。それくらいの愛情を持っている人が相手ならダイゴだって上手くいきそうなものなのに、その手の話をわたしは聞いたことがなかった。

「彼女たちには始まりすら無かった。君がいたからね」
「へえ、そう。別に遊んでみても良かったのに。わたしは気にしないし」
「あのさぁ……」
「何よ」
「皮肉を言うときはもっとそれっぽい顔で言ってよ」
「皮肉じゃない。本気で言ってるもの」

 顔と生まれとポケモンバトルの腕。それらがダイゴに揃っていることはまあ、ありがたいことだと思う。ないよりはあった方が良い。あった方が良いものがいくつも揃うなんてよっぽどツいていたんだなーって思う。
 ダイゴに愛を伝えた彼女たちとわたし。決定的に違うのは、わたしにダイゴの石好きを理解するつもりがさらさら無いという部分だろう。
 ダイゴの良い部分をいくら知っていても、わたしはダイゴの石好きに対する嫌悪感を未だ拭いきれない。

「自分の趣味を理解してくれる女の子、一度くらい作ってみたら良いのに」
「婚約者は君だろ」
「でもそっちの方がダイゴは幸せになれるかもよ?」

 わたしとダイゴとの関係は“ただ婚約を解消する理由が見つからなかっただけの仲”
だ。壊れる要因も、壊す理由も見つからなかっただけ。けれどもしダイゴにより良い選択肢が見つかったらわたしはさっさと解散してしまいたいと思っていた。
 理由はシンプルで、ダイゴには幸せになって欲しいからだ。そう迷いなく思えるくらいの愛情を、幼い頃からの思い出たちは作ってくれている。

「そういうは?」
「うーん。この人って思える人はいないかなぁ」
「ふうん、そう。僕以上の人はいないってわけだ」

 そう確認するなり、ダイゴは純朴な笑顔を咲かせる。全くプライドの高いやつだ。

「今のところ、だからね」
「僕も今のところが良いな。僕の趣味が苦手でもね。僕は愛嬌くらいに思ってる」
「……わたしも」

 わたしもそうだなぁ。ダイゴの石好きが理解できないままでも、ダイゴが良いと思う。石集めをやめられない部分はダイゴの一部分だから。

「ダイゴの石好きはまだトラウマ。けど石好きなダイゴとそんな趣味持ってないダイゴどっちか選べって言われたら多分、石好きなダイゴなんだよね」
「……へえ」
「石好き設定持ってるダイゴは良くも悪くも忘れられないよ」

 今まで背もたれに背中をつけていたダイゴが急に上半身を起こす。さっきまで石を弄んでいた手が
 あ、やだ。ダイゴの指先、少し汚れてる。石ばっかりいじってるからだよ。そうは思ったもののダイゴの動きを止めることができなかった。こくりとわたしののどが鳴る。
 指先がわたしに到達して、ぎゅっと目をつぶると衝撃は頬に来た。

 ……痛い。

「待って待って。なんでつねったの……」
「なんとなく。のほっぺた、触り心地とかがとても落ち着くから好きなんだ」
「その言い回し、さっきの石が好きな理由とほぼ一緒なんだけど」
「あれ、そうだった?」

 もうやだ。何が良いのか全く理解できない。変則的すぎるダイゴの美学についていけないのは出会った時からだけど。

「フィーリングは大切だよ。どうしても好きになって止められないものって、なんとなく、説明できないものばかりだ」
「それって石の話? 石の話だよね?」

 ムードを無視して可愛くないことを言ってしまった。けれど、そんなわたしにダイゴは最早慣れっこだ。さらなる可愛くない言葉を封じるように、ダイゴは言葉を放り投げて、今度こそキスをくれた。