自宅の床の上でオレはいつの間にか意識を飛ばし、行つの間にやらそれはオレの顔面を押しつぶしていた。顔全体に押しつけられるなま暖かいふさふさと、息苦しさと、重量感。ぽんぽんと柔らかいもので頭を叩かれる。

「デンジー? もう夕方だよー?」

 合わせて聞こえるのは幼い頃から聞き慣れた女の声。

「そろそろ起きないと夜眠れなくなるでチュウ」
「………、……んだよ」

 顔にのっかるものを両手でつかむとやっぱりそれはヂュウと鳴いた。視界いっぱいの山吹色を少しずらすと、こちらを見下ろす。と、に脇を抱かれたライチュウだった。
 ずっとのしかかって来てたのはライチュウだったわけか。そりゃなま暖かいわけだ。

「起きた?」
「何ばかなこと言ってんだ」
「ライチュウの言葉を代弁したの」

 ようやく顔の上のライチュウが引き上げられる。部屋の中は見事な茜色に染めあげられていた。使って起きっぱなしにしていた工具。の膝。飲み干した缶コーヒーまで。
 床で寝てたせいで起きあがるだけで背骨がばきばき鳴る。

「あー……」
「よく寝てたね」
「結構重いんだぞ、こいつ」
「知ってる。頼りになるってことじゃない」
「ってかなんで勝手にボールから出してるんだよ」
「ばか、あんたが寝てるからライチュウからお出迎えしてくれたの。ね、ライチュウ?」

 そういうとはライチュウをしっかりと抱きかかえ、耳の後ろ、首の付け根、鼻の頭。順番に爪で掻いて、ライチュウをあやした。はライチュウの気持ち良いところを知り尽くしている。
 床に座り込んだオレの目線の高さにあるのは、短パンからすらりと延びたの生足だ。

「……その格好で来たのかよ。それ部屋着だろ」
「うん」
「ペラ過ぎ丈短すぎ。外出歩く格好じゃない」
「これが楽なの。良いでしょ? デンジの部屋はわたしの部屋みたいなもんだし」
「すげえ寒そう」
「暑いからこの格好なんだけど」

 オレはふい、と肌色から視線を外す。どんなに凝視しても本人はライチュウに夢中だから気づかないだろうけど。

「で。何の用だよ」
「ちょうどバターが切れたから、拝借しに」
「買えよ」
「明日買う! ちょっとしか必要じゃないし、料理が冷めるから」

 という割には丁寧にライチュウを可愛がっている。もっともっととねだるようにライチュウは足を突っぱねてにすり寄るし、一人と一匹はオレを置いて良い雰囲気だ。
 ああでも、良いタイミングで起こしてくれた。時計を見ると今から準備をして出かければ、約束の時間に丁度だ。
 準備っつってもな。ひとまずイスにかけっぱなしにしてあった上着を羽織る。

「ん? どっか出かけるの? もしかしてオーバ? 二人で行くんならわたしも行きたいなぁ。あ、でももうご飯作ったんだった」
「違う」
「なんだ。じゃあ一人飯? デンジって外食ばっかりだよね。わたしだったらまずお財布が持たないけど、バトルで稼いでる人は違うね」

 なんでこいつは、こんなに食いついてくるんだか。オレがどこでどうしてようと、ほんとはどうでも良いくせに。

 今日これからの約束相手は言ってしまえば女だ。以前にも何度か飯を食べに行っている。二人きりだったり、複数人だったり、人数はその時に寄る。会う名目は“でんきタイプポケモンが好きな者同士、意見を交わそう”だが、彼女の側に下心があるのはオレの自惚れでは無いだろう。

 しかしわざわざに報告する気になれず、オレはただ「別に一人でもない」と答えた。それ以上答えるつもりはオレになく、話を切り上げようとしたのに、はその一言だけで察したようだ。これからオレが誰を会いに行くかを。
 目を泳がせて、ライチュウを抱きしめる腕に力がこもっていく。

「あ、あー……、分かった。あの人か。結局続いてるんだ。デンジのこと本当に気に入ってるんだね」
「まぁな」

 なんでこういう時だけ勘がいいんだか。オレは冷めた目で、肩より下にあるつむじを見下ろす。

「ね。また一緒にご飯に行くってことは、デンジもその人のこと結構好きだったり、する?」
「違う。そういうんじゃない。けど、なんていうか、断る理由無いだろ」

 あくまで食事をする理由は“でんきタイプポケモンが好きな者同士、意見を交わそう”だ。ポケモンの可能性に対する探求はジムリーダー、いやポケモントレーナーとしての使命だと思っている。
 予定の無い日にポケモントレーナー同士として頼まれれば、断ること事の方が面倒になると思えた。
 お前、オレの事が好きらしいから誘いには乗れない。なんて、言える訳が無い。

「そんな顔すんなよ」
「ごめん。前にも言ったと思うけど、わたし多分苦手なタイプなんだよね。あの人に会ったこと無いし、わたしにとやかく言う権利は無いの分かってるけどさ」

 勝手な嫌悪感を示し、は中途半端な牽制をする。この時点でオレは苛立っていた。
 からの束縛がオレは嫌いだ。こうして関わってくるくせにオレを捕まえるには至らない。オレがを諦めようと、ただの幼なじみとして割り切ろうとしても、希望を捨てさせない。そんな束縛が大嫌いだ。
 だから、続けられたそれは、オレの最も嫌悪するを含んでいた。

「デンジもさ、あんまり気が無いんだったら、期待させちゃだめだと思う」

 無自覚にオレを追いつめるが、心の底から大嫌いだ。

「その言葉、そっくりそのままお前に返す」
「は?」
「期待させないって? どうやって? どうすればお前は満足なんだ?」
「わ、わたしは、デンジに気持ちが無いならそうした方が良いんじゃないって言っただけ」
「そんなことオレも分かってる」

 怒気のこもった声色にがひるんでいく。耳を垂らしたライチュウと同じような顔をして、オレに気圧され幼なじみが小さくなっている。だがオレの口は止まらなかった。

「言っとくけどな、オレから期待させたことなんて一度も無い。お前にだって別に好きでも嫌いでもないやつなんて山ほどいるだろ。そんなやつらにお前はすぐ嫌な顔向けるのか?」
「……、ごめん」
「愛想笑いくらいするだろ? 何かされれば礼くらい言うだろ? 好きじゃなくたって、相手の気分をわざわざ悪くしようだなんて思わないだろ?」
「ごめんなさい、わたしそんなに深く考えないで言った」
「人に好かれて気分悪くするほどオレはひねくれてない。オレに好かれたい、オレと話がしたいっていうやつが現れて嬉しくなったらいけないのか?」

 想いを伏せている彼女を気遣って、見ないふりをするのは悪いことなのか? トレーナーとして近づいてくる彼女を、トレーナーとして付き合って、何が悪いんだ?

 可哀想ぶるつもりはない。だが、身動きとれなくなっているのはオレだって同じだ。

「デンジ、ごめん……。許して」

 懇願するの声が震えている。怖がらせたいわけじゃないのにな。
 オレはこいつが好きなんだと気づいてから、との距離が上手く計れない。お前が楽しそうにしてるのは、オレが願うより随分離れた距離感だ。それぐらいの距離が丁度良いんだと思ったから、それを必死に保ってきたんじゃないか。

 お前にも悪いところあるんだぞ。オレは無言でを責める。

 オレの気持ちを生かさず殺さず、今日まで繋いだのは半分はオレの意志。半分は、のせいだ。

 オレを男として見ないくせに離れていくのを嫌がる。期待はさせてくれないのに、手放しもしてくれないで、そばにいる。だからオレをいつか男として見てくれるんじゃないかと微かな希望を捨てきれずこんな大人になってしまった。

 本人に、オレを緩く絡めとり縛っている自覚など無いのがまた、憎たらしかった。

「別に今日行かなくたって良い。けど、おまえ責任とれるのかよ」
「責任って? お金ってこと……?」
「違う」

 期待をさせるなと言うのなら、お前自身があの子かオレか、どちらかの期待を打ち砕いてくれよ。もう二度と、起きあがることの無いように。

「こういうこと」

 暑くなってきたからってむき出しにされた二の腕を両方掴んで押しつけた唇。その感触に驚いたのはオレも同じだった。柔らかく、おぼろげで、ついに幼なじみとキスをしたという衝撃的な事実にそぐわない。唇で感じた唇に少なからず感動したが、堅く閉じて開きそうもないのがもの悲しかった。

 さあ、。これからどうするんだ?

 強ばったの腕からぴりりと微弱ながら厳しい電気を放ち、ライチュウは逃げていった。