※微妙にエロというか生々しい表現があるので、苦手な方は読まないでください。
ミアレの町のショーウィンドウをのぞき込んでいたわたしへ、そっと触れてきた冷たい手。あれがなければ、わたしはズミと話さないまま、シュールリッシュホテルのしがない料理人として、死を迎えていたことだろう。
冷たい温度は何の前触れもなく、手に手を重ねてきたのだ。
「わっ」
まず温度に驚き、次に知らない間に横に立っていたのが懐かしのエリート様、ズミであったことに驚いたのだった。
「ズミ?」
それは下積み時代を共にした、憎き兄弟弟子の名である。
触れられた手を庇いながら、わたしはちらりとズミを見上げる。
数年ぶりに会った彼はやはり時間の経過にふさわしい成長をしていた。男性ではあるが、美しくなったと言っても良いかもしれない。元々の造形の良さならわたしも嫌というほど知っているが、若さ故にハネることもあったブロンドが落ち着きを見せ、彼をぐっと大人の男性に見せているようだった。灰色のロングコートはキザったらしい雰囲気であるが、それがまた今のズミに良く似合い、言いたくないけど、しゃれていた。
「忘れられてはいなかったようですね」
「ま、まあね」
ズミは記憶から消し去りたいほど、愛せない男であるが、彼がわたしの頭から出ていったことなどない。
長く厳しい下積み時代を共にした。そこで天才のズミと私が、何度比べられたことか。センスが有るとか無いとか、物覚えが良い悪いとか、女だからとか男だからとか。とにかく。ズミは常に私を焦らせ、そして惨めさを加速させる存在であった。
ズミの存在が私の人生を追い立てる。それは今も変わらない。
彼が自分のお店を持ったのだというのは知っていた。仲間内には評判であったし、ズミから直々にプレオープンへの招待状を貰った。そのレストランが今や一流に名を連ねることだって聞き及んでいる。
そして私といえば、修行場所をシュールリッシュホテルに変えたきり。自分の店を持つなんていう目標は夢のまた夢である。
そう私の人生はまだ料理という側面でも夢を叶え切れていないのに、ズミと来たら一流の料理人として身を立てながら、優秀なポケモントレーナーでもあるのだ。それもポケモンリーグの四天王にまでなってしまったのだから、とびきりの優秀である。
そしてこの顔。性格のせいもあって少々強面だが、美形を言って差し支えないだろう。
こんな嫌みったらしい人間と出会ったがために私の人生は一層ハードモードを極めたのだ。あれから数年が経った今でも彼と対峙するとどうしても、嫌悪感の方が先立つのであった。
「びっくりした。そんな幽霊みたいなことしないで、普通に話しかけてよ」
「……、すまない」
あの鼻持ちならない彼が素直に謝った。多少は驚いたものの、わたしは胸を張った姿勢を崩さない。
「たまには私の店にも来てください」
「そうね。わたしじゃポケモンリーグにはとてもじゃないけどお邪魔できないから、お金を払って貴方に会いに行くべきね」
反射的に皮肉を返す。相手はズミだ、別に構うことない。お互い健康でいたことを喜ぶような、それぞれの行く先を分かち合うような仲でもない。
「貴女ならお金は要りません。ウェイターに名前を言ってくれれば」
「本気?」
「ええ」
「ああでも貴方のお店に着ていく服がないんだった。それじゃあ、お元気で」
大変にあっさりした別れであるが、私とズミの関係などこんなものだ。懐かしんで互いの今を讃えあう。そんな仲ではない。無かったはずだ。
なのに。
記憶が飛んでいる。覚醒後一番にそう思った。瞬きの間に私は、早朝へと飛んだようだった。
シーツの感覚が背中から尾てい骨へと走っていて、瞬時にわたしな自分が何も身につけていないことを悟る。だめ押しのようにシーツの先に誰のものかも知れないぬくい体温を見つけ、わたしの体温はさっと冷えた。
遊ぶのがへたくそな私では大して使うことのない部分に、裂けるような痛みが走る。散乱する服。男物の上下一式と、女物のもの。恐らく私が着ていたもののはずなのに、見覚えがない。上質のワンピース。持ち上げてみるとワンピースは冷たさを覚えるてろっとした素材でできていて、切り替えしから下はすとんと落ちる悩ましい曲線。
まだ朝日も見えない早朝に起きられたのは、料理人としての生活習慣のおかげだった。習慣とは素晴らしい。何ものにも代え難い人類が唯一持ち得ることのできる秩序だわ。そんなどうでも良いことに思考を逃がすので私は精一杯だ。だって、見てしまったのだ。枕の端に覗く、もうハネないブロンド。顔まで見なくとも分かる。なぜ私はズミなんかとベッドに。
そろそろとベッドから這いだして、私はベッドの自分の鞄とモンスターボールを見つける。それと、紙袋に畳んで詰められた正真正銘の私服。混乱で涙目になりながら、洋服を被る。それこそ混乱した頭で財布からお札を抜き出すとドアの間に挟んだ。靴は履いていたけれど、裸足で逃げ出す心境であった。
眠ったままのズミから逃げだし外に出れば見たことも無い住宅街。ボールからたたき起こした、私のヒノヤコマを頼りに、霧の立ちこめる未明の住宅街を歩く。
朝の冷気が頭を冷やしていくが、ふと浮かんだ。避妊はしただろうか? 待ったその先を見てはいけないと思いながら考える手は止まってくれなかった。暗がりの中で性急にそれを扱うズミの手と、余裕を無くした表情を掘り起こしてしまい、私は無事、羞恥で死の淵を見たのだった。