友人がきっかけを持ってきます


 知っていましたか。曲がり角で人と実際にぶつかると案外衝撃が強いです。自分の体が思わぬ方向に跳ね返って、最初は何が起こったか全く分かりません。石畳にぶつけたところがとにかく痛いですが、なによりやっぱり驚きが勝ります。街角でこんなぶつかり方してしかも相手が顔の良い男の人と来れば、そりゃ相当のインパクトだろうなと。恋に落ちたりはしなくとも、少女漫画のヒロインの気持ちも分かるというものです。

「すまない! 怪我はないか!? 申し訳ない、私がよそ見をしていたばかりに……って、じゃないか」

 ぶつかったのはどうやら知り合いだったらしい。
 顔を上げて視界に飛び込んできた男にわたしは第二の衝撃を受けた。

「大丈夫か?」
「ミナキ……!」

 後ろへ綺麗に撫でつけた髪。追いかけ続けているポケモンの毛並みと同じ色のタキシードを決めたマント姿の男。それは早く会いたいと願っていた友達、ミナキだった。

「まさかこんなところでお互いぶつかるとはな。立てるか?」
「………」
「どうしたんだ、どこか痛むの――」
「っミナキいいいーーー!」
「なんだ、どうした!?」
「なんで!? すごい偶然!」
「いやマツバの家を目指してるのだから近所のには会いやすいと思うが」
「うんそうかもね! でも会いたかった! 会いたかったぁ!」
「わ、分かったから抱きつくな!」
「いや!」
「嫌だと!? 勘弁してくれ、だからあえて言うが重いぞ!」
「だって会いたかったのー!!」

 どうしたんだ、人前だぞとミナキの上擦った声が耳元で聞こえた。人前でも関係ない。心細かった想いのぶんミナキ抱きしめる。苦しい苦しいぞ首はやめてくれとミナキは空を仰いだ。

 首をしめすぎたらしい。手を離した頃にはミナキの顔は真っ赤になっていた。

がそこまで私を懐かしんでくれるとはな。思ってもなかったぞ」
「うーん、色々ありまして」
「色々、か。今日は何をしていたんだ?」
「あ、こんな感じです」

 ぶつかった時に手放したかごからは野菜やらみかんやらが転がりだしていた。それを手を広げて示すと、なるほど。買い物の帰りか、と苦笑いしてミナキはすぐに道路に転がったみかんを全てかごに戻してくれた。

「傷んでいないと良いのだが」
「傷んでてもすぐ食べるから大丈夫だよ! なんならミナキが責任を持って食べてくれても良いんだよ?」
「はは、ありがとう」

 一番の心配であったマツバ宛の醤油瓶は無事だった。今日は卵も買わなかったし、不幸中の幸いってやつだ。
 すべてを回収し終わっても、ミナキはかごを返してくれない。どうやら持ってくれるつもりらしい。悪いよ、と言ってもミナキは聞かない。

「じゃあ、こっち持ってよ」
「そっちの方が重いのか」
「うん」

 本当は軽いんだけどね。通りすがりのミナキに荷物を持たせるのはわたしの気持ちが許さないのだ。
 ミナキはわたしの持つ包みを受け取る。そのまま交代にミナキの持ってる包みが帰ってくると思ったのに。ミナキはそのまま歩きだした。

「あれ? ちょっと!」
「よし、行こう」
「うわ両方とられた!?」
が重い方を持とうとするからだ」
「なんでばれた!」
「顔が嘘をついてるときの顔だったぞ」
「ちくしょう」
「ははは。目は口ほどに物を言うのだ」
「いいの?」
「当然だ」
「……ありがとう」
「どういたしまして」

 空いた手は落ち着かなくて、仕方なくマフラーの端っこを握った。
 ミナキはずいずい先を歩く。あきらめて、わたしも歩幅を合わせてついていった。

「ミナキ、元気だった?」
「私はいつも通りだ」
「そっかぁ。愛しのスイクンはどう?」
「未だ捕まえられてはいないが少しずつ前進はしている。この前不思議なトレーナーに会ったんだ。そのトレーナーは……。いや、この話はマツバの家についてからにしよう」
「ふうん。すごいね、ミナキ。ちょっとずつ夢に近づいてる」
「努力しているからな!」

 そう言い切れるミナキの笑顔は眩しい。ミナキは出会った時から知りたがりの好奇心旺盛なヤツだったけど、夢を持ったときからいっそう輝きを増した。

「あ、そういえばこの前貸した漫画の最新巻出たんだよー。また貸すから読まない?」
「おお! あの漫画だな! 借りても良いか?」
「もちろん! あ、でもミナキに貸したのって6巻までだったよね」
「そうだが」
「この前出たのが8巻なんだけど……7巻がマツバくんの家なんだ」
「ならマツバの家で読もう。マツバは最新巻まで読んだのか?」
「1巻だけなんだって。後はまだ」
「惜しい。せめて2巻までは読んでほしいな。友情シーンが語りたいのだが」
「だよね! さすがミナキ、分かってる!」

 マツバくんがおすすめした漫画を1巻までしか読んでいないのは少しもったいなく感じる。けど、マツバくんにこれ以上読んで欲しいとはもう思えなかった。
 マツバくんのことだから精一杯読んで1巻なんだろう。空いた時間か寝る前か、読み進めてようやく1冊読み終えたところなんだと思う。ごめんと眉を下げたマツバくんの表情を思い出せばこの想像はそこまで外れていないと分かる。

 はーあ。今更だけど、漫画なんて貸さない方が良かったのかもしれない。
 自分が面白いと思うものをマツバくんにも知って欲しかった。それでマツバくんと同じ話題で盛り上がりたかった。とはいえ、マツバくんの苦労を増やしてしまったことには違いない。良かれと思ってやったんだけど結果的にマツバくんを疲れさせるなんて、わたし、気が回ってなかったな。

 マツバくんの疲れた顔を見るとわたしは本当に困ってしまう。どうしたら良いか分からなくなってしまう。
 小さい頃からたくさんの人の期待を背負ったマツバくんにわたしは何をしてあげられるのか、考えても考えても答えが出ない。
 わたしがあとちょっとでもレベルの高い人間なら、出来ることがあったかもしれないけれど、わたしは全く以て駆け出し期間の終わらない人間なのだ。

 あ、もう、ここから消えたい。
 だってわたしには、マツバくんの助け方が分からない。

「ミナキー」
「何だ?」
「後でうちにも来てよね」
「マツバの家ではだめなのか?」
「うん、ちょっとね」
「そうか」
「………」
「………」
「実はわたしさ、脱マツバくんしようと思ってるんだ」
「……、どういうことだ?」
「マツバくんにばっかり近づき過ぎたな、って思っていて。少し距離を、とりたい」

 深く考えないまま、ずっと一緒にいたマツバくん。そのマツバくんと離れること。
 それは強くなりたい気持ちに似ている。

「ほら、マツバくんとわたしって生活が全く違うじゃない。わたしは客観的に見てもふつーの一般人だけど、マツバくんは、ね。だから最近一緒にいると違和感ばっかり」
「そうか」
「それに、他にもミナキに話したいこといっぱいあるんだよ。だから、会いたかったんだあ……」

 わたしは抱えた不安を、ミナキに上手く伝えられるかな。正直自信は無いけれど、自分でこらえられる限界がもう近い。
 マツバくんに頼れなくなったわたしはとても弱いみたいだ。さっきミナキに抱きついたとき、会えた嬉しさと安心感でわたしはこっそり泣きそうになっていた。ミナキをなかなか離せなかったのも涙が落ちそうだったからだ。

「似合わない難しい顔をしているな」
「そうかも……」
「例えが何を考えていようとも、何が起ころうとも私はいつでもの味方だ!」

 思っていた通り、ミナキはわたしを正面から見つめて受け止めてくれた。

「大げさだなあ」

 でも、嬉しい。

「……ありがと、ミナキ」

 歩くわたしたちの足からは、影が長く長く伸びる。二人の踏み出す足が並んでエンジュの石畳を鳴らしているのを見ると、不安が溶けだしていく気がした。
 わたしとミナキの影。後ろから追いかけてくるもう一人の存在にミナキが気づいたのは、その足下にもうひとつの影が重なってきたからだ。

「なんだ、マツバじゃないか」
「……え?」

 ふいに聞こえてきたミナキの台詞にすごく驚いた。家にいるはずのマツバくんがそこに立っていたからだ。それ以上に驚いたのはマツバくんがわたしたちの歩いてきた後方にいたことだ。

「や、やあ」
「マツバくん、どうしたの?」
「いや、に買い物頼みすぎたかなと思って迎えに出てきたんだ」
「そう、だったんだ……」

 わたしならちょっと荷物が多いくらい平気なのに。マツバくんは一体どういうつもりなんだろう。
 マツバくんの心配や優しさを素直に喜べないのが最近のわたしの特徴だ。

「や。ミナキ。久しぶり」
「ああ、久しぶりだな。こっちに来たらすぐに二人に会いに来るつもりだったが、こんなところで揃うとはな」
「どうしたの二人とも。待ち合わせでもしてた?」
「え? そんなことしないよ」
「偶然、な。が飛び込んできたのだ」
「本当?」
「うん、さっきそこでミナキに思いっきりぶつかって……」
「ぶつかった?」

 マツバくんの顔色がさっと変わる。自分は無茶を平気でやるくせに人の怪我などには滅法弱い。それがマツバくんだ。

「怪我とかしてないよね? 大丈夫だった?」
「大丈夫、おしりがじんじんするくらいかなー。あ、お醤油の瓶は無事だったから安心してね!」
「それは、良いんだけど……」
「後ろに人がいるのは分かっていたが、まさかマツバとは思わなかった。早く声をかけてくれよ」
「いや、なんか話かけづらくて」
「えーなんで?」

 マツバくんの言い草に驚いた。だってわたしとミナキに何の遠慮をする必要があるのか全然分からない。信じられない、という顔をしていると、なんでだろうね? と言ってマツバくんも苦笑いをこぼした。

 その後は三人並んでマツバくんの家を目指した。マツバくんがミナキの荷物を半分持ってくれて、手ぶらなのはわたしだけ。とてもむずがゆかった。

 空の朱色がかなり抜けた頃、わたしたちはマツバくんの家についた。ミナキが慣れた様子で一足早く玄関を開ける。
 わたしも自分の荷物をとりあえず冷蔵庫に突っ込まねばな。マツバくんの家に置くものは置いて、我が家のものは買い物かごに詰める。そんな選別をしているとき、マツバくんはわたしを見下ろしこう言った。

、悲しいことでもあった?」
「え、なんで?」
「泣いたか、泣きそうだったか分からないんだけど、そういう顔してたよ」

 またマツバくんセンサーだ。
 わたしの涙の気配を見つけてしまうようなマツバくんの敏感さ。これをわたしはマツバくんセンサーと呼ぶ。
 マツバくんセンサーはずっとわたしを救ってきたマツバくんの凄い機能のこと。泣きそうなわたしを見つけるし、言えないことを抱えていたのも見抜かれる。
 わたしはマツバくんセンサーにたくさん救われてきて、そのありがたみは身に染みてるんだけど、でも最近は少し苦手に思っていた。
 その敏感さがわたしの心の弱いところを見抜いてしまうから、かけたくない心配までかけてしまうからだ。

「当たった?」
「それは……秘密だよ」

 なんで分かるの、とか正直に言ってはいけない。ただ秘密だよ、と言うのが正解だ。その言葉を使えば、マツバくんはそっと目を伏せわたしから離れていってくれるのだ。