貴方ではない物であふれてます


 ミナキだって夢に落ちた時間は一緒だったはずなのに。ヤツはもうパリッとしたシャツに着替え、目も頭もすっきりと冴えた表情をしている。唇はたった今口にしていた紅茶でうるうるリップ状態だ。ついでにおでこが光ってる。まぶしい……。ダイニングに差し込む光でミナキが輝いて見えた。
 対してわたしは寝癖がついてるし、足はむくんでるし、なんか目はパリパリしてるし。ミナキとは正反対だ。

「その様子だと、あまり疲れはとれなかったようだな」
「ハイ……」
「筋肉痛は?」
「まだ。だけど明日一気に来そう」
「三日後じゃないと良いな」
「そこまでじゃないと信じたい!」

 本当に、まじめに体が重い。気が抜けるとまた寝てしまいそうだ。まだぬくいお布団に正座していたゆるゆると目の前に両手をついておでこをすり付けて、かなり自然に土下座のスタイルになった。

「おーい、一泊の約束のはずだぞ」
「そう、なん、ですけどお……」
「どうした。あまりに居心地が良すぎて帰りたくなくなったか!」
「………」
「おい、黙るなよ……」

 ふう、と一息ついてミナキはカップをソーサーに戻した。
 こっちへ来いと言われ、ダイニングのイスにつくとミナキは熱々のミルクティーを出してくれた。

「てっきりもう帰りたーいって言い出すものだと。ホームシックでも起こすんじゃないかと本気で心配していたよ」
「ホームシックは無い、かな」

 自分の住み慣れた家とは違う場所に行くのは覚悟の上だったので、家はあまり恋しくない。お母さんとかは別に大丈夫。だけど、どちらかというと、マツバという名のお母さんが頭の中をゆらゆらしている。

「帰りたいような帰りたくないような。わたしも何現象と言ったらわかんないや……」
「そうか」
「なんかまだカントーに来たって実感も無いし。でも、いいよ。大丈夫。帰るよ。ミナキもあんまり長居されたら迷惑だもんね」

 いくら才能の差があるとしてもわたしはマツバくんと同い年。だから大人と言われなくても子供に分類されない自信だけはあったのに、出発してからどうもミナキのお世話になりっぱなしだ。
 ミナキはぐいぐい引っ張ってくれるタイプだから、つい頼りにしてしまった。
 帰り、お金が足りたらリニアに乗ろう。そしたらひとりでジョウトには戻れる。


「ん?」
「私を、そういった意味で勘違いされては困るな」
「え。なんかごめん?」
「意味を理解していないだろう」
「え? え??」
「まあいい。カントーの思い出を持って帰ってもらいたいのは私も同意だ! せっかくだから私の買い物につき合えよ」

 ミナキはにやりと笑うと壁にかけていたいつものマントをひらりとまとった。

「さあ、いい加減起きた起きた!」
「いや起きてますって!」
「軽い格好で良いぞ。近所だからな」

 わたしの言うことを聞かず、次々と身なりをキメていくミナキ。ああ元々つやつやピカピカがさらにまぶしくなっていく。
 どうやら出かける準備をしているらしい。もしかしてどこか連れていってくれるのかな? 私も焦って部屋のすみっこでパジャマを脱いだ。




 ミナキがわたしを連れて、いや引っ張っていってくれたのはタマムシシティだ。
 今目の前にあるはタマムシデパート。噴水が、かかとにくっつくくらい後ろに下がっても、首をたくさん曲げて見上げなければいけないくらいの高いビル。これの中身が全部お店だなんて驚きだ。

「すごっ。おっきいねー!」
「そうだろう! 品ぞろえも多く、かつ貴重なものばかりだ!」
「しかも周りのマンションも高いし。都会って感じ! ねえあの建物って人が住んでるんだよね!?」
「もちろんだ」
「うわぁー……」

 エンジュって二階建て以上だともう塔しか無い。塔は住むものじゃなくて登るものだから、人が住んでるってだけでもうお尻がひゅんってする。

「私は旅に便利などうぐを買い足す予定だ。もいろいろ見てみると良い。ここならお土産なんかも見つかるんじゃないか?」
「お……!」

 お土産のことすっかり忘れてた!
 驚きすぎて声になっていないわたしの背中をミナキは押す。

「さあ、行こう!」




 平屋アンド二階建ての家に慣れきっていたわたしにとって、タマムシデパートは建物じゃなかった。もう、あれは洞窟だ。ダンジョンだ。
 一回目のエスカレーター前でもはや迷子になりかけたので、その後は必ずミナキのマントのはしっこを掴んで移動している。棚いっぱいの商品。エンジュでは見たことないものもたくさんある。ミナキがいつも使う旅のどうぐを買い足しているのを眺める、それだけで、わたしの頭は見たことのないものでいっぱい。埋め尽くされていった。やばい、また口開いてた。

「私の用事は終わったぞ」
「えっ、もう?」
「買うものは決まっているからな。はどうだ。何か良いものがあったか?」
「待って! もういろいろありすぎて……!」
「せっかく来たんだから、よく見ると良い」
「そうだね!」

 ぽかんと開いていた口を閉じる。ミナキの言葉に急に欲が出始めた。何か、良いもの! マツバくんに歓んで貰えるような良いもの買って、あわよくば仲直りするぞ。下心を胸にわたしはマントの裾を離し、ダンジョンへ乗り込んだ。

 結局、リニアに乗るためのお金だけを残してギリギリまで買い込んでしまった。
 マツバくん宛のものが結構良い値段したけど、痛くない。痛くないし。一目惚れだったんだから、しょうがなかったんだし。痛くない。
抱える紙袋のうちひとつはミナキがプレゼントしてくれた。「家族みなで食べてくれ」と、お菓子の詰め合わせを買ってくれたのだ。
 今度ミナキがエンジュに来たら絶対に倍返しする。そう自分と約束をした。

「疲れたか? 人混みはいつの間にか体力をとられてしまうからな」
「そうだね。もう帰る?」
「……、いや。屋上へ出よう。風が気持ち良いはずだ」

 タマムシデパートの屋上へ出ると、さっそく一迅の風がわたしたちの間を吹き抜けた。込み合っていた屋内と比べて、屋上は静かな雰囲気だった。
 熱のこもった靴の中まで屋上の風が通る。体の熱が収まると、頭の中も少しずつすっきりしていった。

 荷物をベンチの横に降ろして、二人して座り込む。歩き疲れたのはお互い一緒だったみたいだ。

「お疲れさま」
「ああ。タマムシデパートをこんなに練り歩いたのは久しぶりだ。こうやってつき合ってみるとやはりも女性なんだなと思ったよ」
「なんで! どういう意味!」
「買い物が長い辺りが」
「だって……」
「いや、良いんだ。何より楽しそうだったしな」

 うん。楽しかった。なんでもっとお財布に余裕を持たせなかったのかと自分を問いつめたいくらい楽しかった。それにお土産を選んで、帰ってそれを渡した時のことを想像して、わたしはひとり楽しくなっていた。

「マツバのそばじゃないを見るのは、私にとっても新鮮なことだったからな。こちらにも、何かもうひとつ楽しい思い出があっても良いと思ったんだ」

 確かに。ミナキとだけこんなに一緒にいたのは初めてだ。
 いつも、マツバくんを介して一緒にご飯をするのがミナキだった。
 ミナキが会うのはいつもエンジュだし、っていうかわたしはエンジュにばかりいるし。そしてエンジュにはいつもマツバくんがいる。

「道中もなかなかに楽しかったが、買い物であれこれ悩むは趣深かったよ」
「えっあんまり難しい言葉使うのやめて」
「私も楽しかったということだ」

 浮かべられたミナキの笑顔が、その言葉は嘘じゃないって言っていた。
いろいろミナキに引っ張って貰って、カントーに来て、タマムシデパート攻略とか、自分ひとりではできないことができた。だからミナキへの感謝の気持ちと、申し訳なさ、両方持っていた。
 だけどミナキもミナキなりに楽しんでくれたのだと思うと、嬉しい。今日の思い出が大切になる理由。それがまたひとつ増した。

「ミナキ、待ってて」

 わたしはお財布を握りしめ、自販機へ走った。

 また風が強く吹く。わたしの頭はぐっちゃぐちゃだ。ジュースの自動販売機へ近寄ると、屋上からの景色がよく見えた。見えるのはこれまた高いマンションとか、木造じゃない家ばかりで驚いてしまう。エンジュの景色はもっと、こう、古くて曲がった木がたくさんあるし、瓦屋根のおうちが多い、はず。

 こうやって思い返してみると、あんまりこういう高いところからエンジュを見たことないな、と気づいた。
 そういう場所はあるけれど、小さい頃に見に行ったっきりだ。その思い出も切れ切れ。
 だって、行こうと思ったらいつでも行けるからなぁ。いつでも大丈夫だからって思っていたから、あっと言う間にもう10年くらい経っちゃった。

 いつでも大丈夫。だからいつか、やれば良い。そう思って結局してないこと、いっぱいある。
 今があるから、それでいいやって。こうやってチャンスを失ったこと、今まで数え切れないくらいあったな。

 、と呼ぶ声がよみがえる。

「マツバ、くん」

 デパートの屋上で、急に自分の小ささを自覚する。

 わたし、こんなところで自分にかまってる場合なの?
 わたしが強くなることより、マツバくんがいなくなって泣かない方法を探すより、もっと重要なことがあるんじゃないの?
 マツバくんに変な心配させなかったり、マツバくんが笑っていられるようにしたりする方が大事なんじゃないの?
 マツバくんがいなくなったら、本当にできなくなってしまうことはそっちじゃないの?

 大人に近づいて、永遠なんて無いこと、それがわたしとマツバくんの関係にも当てはまることに気がついた。
 逃げることのできないお別れが絶対に来る。いずれ来てしまう別れが変えられないのなら、わたしがしなくちゃいけないことは、自分が傷つかないようにすることじゃない。

 マツバくんがすぐ近くにいるからってしてこなかったこと。
 いつも一緒だからいつでもいいやって思ってたこと。
 マツバくんがいる時間を大切に過ごすこと。

 マツバくんにとってどんなちっぽけな存在でも、わたし、探さないと。マツバくんに、ありがとうって伝える方法を。

 さよならが来たら、マツバくんと一緒にいた時間のぶん、きっとわたしは泣くだろう。これからも一緒の時間を過ごしたらきっとマツバくんを良いな、と思う気持ちはすくすく育って、さよならの後の悲しみも大きくなるだろう。
 それでも良い。自分がどれだけ痛い思いをして、泣き続けることになるとしても。

 だって、わたしの中でマツバくんはわたしより大事な存在。何よりも大切な存在。

 早く、帰りたい。
 帰って、マツバくんと仲直りできたら、あなたに会えて良かったって、伝えても良いかなぁ。



 潤む視界でお財布の中身を見た。リニアに乗るお金、ちゃんと残しておかなきゃ。お土産を買い込んだので、ほとんど余裕が無い。でもジュース、ミナキの分なら一本買える。ミナキのがあればいいや。わたしのはいらない。のどの渇きくらいどうってことないよ。
 すん、と鼻をすすりながら小銭を自販機に入れてボタンを押した。

 ガコン。という音に続いて、なぜかもう一度、ガコン、という音がした。もう一本、ジュースが出てきていた。
 あたり。それがなぜか、マツバくんの声で再生された。