盲目になれるからしんじてます


 か、買えた……!! 券売機から出てきたリニアのチケットをわたしは握りしめる。
 この紙切れが、わたしをジョウトへ連れていってくれるんだ。大吉のおみくじよりも大事にわたしはそれを掴む。

「チケット代、足りたのか?」

 ミナキに言われてお財布をひっくり返してみる。空っぽかと思いきや。

「見て! 5円残ってた! 縁起がいいね!」
「そ、そうだな」
「ミナキにあげる!」
「意味が分からん」
「ただの5円じゃありません! 素敵な縁だったで賞です。いや、ほんとはただの5円だけどね。でもわたしの感謝の気持ちの全財産だよ」
「はは。5円だけどな」
「だね」

 ミナキの手に渡った、ただ5円。それを間に挟んで駅のホームで、ふたりで笑い合う。くだらなくて、くすぐったい。

「ミナキはほんとに今回のこと、ありがとう。何回ありがとうって言っても足りないくらいだよ。いきなりどっか行きたいって言い出して、結局帰りたくなって……。わがままばっかりで、ほんとミナキにはごめんなさいでした」
「いや、私はから帰りたいって言葉が出てきて心底嬉しかったよ。待ち詫びていた」
「昨日とおんなじこと、言ってるね」

 タマムシデパートを出てから、上手く笑えなくなってきたわたしにミナキは言った。「帰りたくなってきたか?」。素直にうんとうなずいたわたしに、ミナキは指をパチンと慣らして、高らかに言った。

『その言葉を待っていた!』

 それがミナキの反応だった。

「結局何がきっかけだったんだ? いや、言わなくても良いが急に発言を変えたから驚いた。そうか、帰りたい、か」
「あ、あんまり言わないで? 子供みたいで恥ずかしいから……」
「ああ、分かった」

 分かったとか言いながら、ミナキはにやにや顔を止めてくれない。確かにわたしの「帰りたくなった」発言に触れてないけど、それじゃ恥ずかしさは一緒だ。

「素敵な縁だった……。過去形か?」
「あ、間違え。素敵な縁で、それで……」

 涙ぐんでしまう。
 わたしってばかだったなと思う。エンジュにずっといたわたしは、自分の弱さを場所のせいにしてた。それで、ここじゃない遠いところへ行けば、今までと違う自分に会えるって根拠もなく思ってた。
 どんなに遠いところまで行ったって、弱虫なわたしはそこにいる。逃げられない。

「それで……、これからも友達だったらいいなと思うで賞、かな」
「私はずっと友達だ。私はしつこいぞ。今回みたくが急に拗ねても、友達だ」
「えー、もう、なんでそこまで言えるの!?」
「泣くなよ」
「泣いてないっ!」
「そうか」
「うん。泣いてない」
「………」
「それじゃあ……、乗るね」
「ああ」

 リニアの出発時刻が迫っている。お別れの時間だ。
 気合いで自分の荷物を抱える。おみやげで行くときよりだいぶ増えて、ずっしり重い。鼻がつーんとなってて、手から力が抜けそうだ。それでもどのおみやげも落とせないから、腕に力を入れる。

 リニアの車内はハイテクの匂い。なじみの無い空間に、また不安が大きくなって、わたしの涙がぼろっと落ちて行きそうになる。

「立ち止まるな、進んでくれ」
「……え?」

 真後ろの声に驚いて振り返る。完全に両足まで乗った状態のミナキが立っている。
 なんで、ミナキがいるの?

「ミナキ、さすがに車内まで送ってくれなくて良いよ……? ほら早く降りないと、出発しちゃう」
「何を言っているんだ」
「え、何かおかしいこと、言ったかな?」
。大事なことを忘れているぞ」

 ぐるりと反転させられ、ミナキの手がわたしの肩を掴む。両手が荷物で埋まっているわたしはミナキにされるがままだ。

「私がスイクンを追う者だということだ! スイクンというのは北風のようにすぐ移動してしまうからな! 様々なルートですぐ目的地へ向かうことが肝心なんだ! ほら! そのためにもリニアパスはゲット済みだ!」
「そ、そっか……」

 急におみやげたちがずっしり、重さを増した気がした。





「そもそもリニアが着くのはコガネだぞ。分かっているのか?」
「わ、分かってるし」
「じゃあコガネからどうやってエンジュに行くつもりだったんだ?」
「どうにかなるでしょ」
「一文なしじゃないか」
「残念ミナキ。根性っていうものがあるんです! あ、ミナキ窓際行く?」
「いや、通路側で良い。……で、どうするつもりだったんだ?」
「だから根性」
「草むらまだ怖がっていたのに、か?」
「草むらは怖いよ! 何が出てくるか分からないんだよ!? ……ちょっと。笑わないでください」
「しぜんこうえんとかどうするつもりだったんだ?」
「……、根性。わたし本気だから。笑わないでください」
「ポケモンは怖くないのに、どうして草むらが怖いんだろうな」
「どうしてって飛び出てきたらびっくりするでしょ、ふつう」
「……っ」
「ミナキのばかやろう……」

 すごく楽しそうに笑いやがって。ほんと腹立つ。もうミナキの方は向いてやらない。ミナキの反対側は窓で、ちょうどリニアが発進したところだった。
 リニアは駅のホームを出て、ぐんぐんとスピードを上げた。

 風景が後ろへ、後ろへ、流れていく。
 リニアは速すぎる。速すぎて、風景が綺麗とか、あのポケモンの姿が見えただとか、そんな風にひとつひとつ感じる時間をくれない。お花の名前を思い出す時間もくれなくて、風景は、名前も感想も貰えず無意味に過ぎ去ってしまう。

 こんな風になんにも考えないでぼーっとしてたら、ほんとあっと言う間にコガネについちゃうな。リニアのスピードのぶん、エンジュが近くなってるなんで、実感無いや。
 エンジュで、マツバくん、何してるかなあ。

 マツバくんには、ただいまの次になんて言ったら良いんだろう。
 やっぱり“ごめんね”かなぁ。ごめんなさいの気持ちはある。でもマツバくんに鬼の笑顔で「何について謝ってるの?」って聞かれたら、わたしは答えられない。
 答えられなかったら「それじゃあ謝ってる意味無いよね?」ってまた笑顔で言うんだよなぁ……。

「……ん? なんだか今日のリニアは揺れるな」
「そ、そうだね……」

 やばい。マツバくんの鬼の笑顔を思い出してしまった。
 マツバくん、いったん怒ると怖いんだよなぁ。
 いつもは優しいのに。ううん、いつも人に優しいからため込むんだ。耐えられるところまで耐えて、それでも許せなかった時、マツバくんは怒るんだ。
 ため込んだものの分、引っ張りきった輪ゴムが跳ね返ったように怒るのに、その怒りが静まると、マツバくんはどこまでも沈んでいってしまう。

『あんな厳しく怒らないでも、解決する術があったかもしれない。それなのに僕は……』

 そうやって自分を無駄に責めるんだ。

『何やってるんだろう』

 良いじゃん、たまには怒ったって。怒っちゃったものはしょうがない。マツバくんの気持ち、ちゃんと伝わったんだから、良かったと思う。
 怒るくらいなんてことない。引っ張って引っ張って、輪ゴムがぷちんと切れちゃうよりはずっと良い。そう思うから、わたしはマツバくんをいつもそんな言葉で慰める。意外にわたしののんきな言葉でもマツバくんは持ち直したりするもんだ。

 マツバくんはちょっとだけ持ち直して、それでも自分が怒りに我を忘れた後悔から抜け出せない。それもいつものこと。マツバくんは困り眉で言う。

『でも、怖かっただろ?』

 そりゃ、怖いけど、そのままはさすがに言わない。
 一回「すごい怖かったー!」って言って、余計落ち込ませたことがあるからだ。

 マツバくん、怖い自分が嫌いらしい。
 優しいのがマツバくんだけど、時々怖いのも、マツバくんなのにね。


「……寝るのか?」
「寝たく……ないんだけど……」

 今寝たら、悲しい夢を見る気がする。絶対気持ちよくなんて眠れない。

「無理をするな」
「いや、寝たくは、ないん、だ、て……、………」








 ほんと、最初から最後まで、わたしはミナキがいなかったらやばかった。

「ミナキありがとう。寝過ごすところだった……」
「カントーまで帰ってきてくれても良かったのだが。まあさすがに清掃員が起こしてくれるだろ」
「ほんと、迷惑かけっぱなしでごめん……」
。私は何も迷惑とは思っていないぞ。うちに遠足に来るのはいつだって歓迎だ。嫌なことから逃げるためにうちに来るのも、時には良いだろう」

 逃げていると、改めて言葉にされると、わたしの胸はドキリと鳴る。
 わたしが抱えている何かしら。もやもやとした感情は名前を持っていなくて、結局ミナキに気持ちの全部を話すことはなかったのに、やっぱりミナキにはばれていたな。

「ありがとう。私は楽しかったよ。そう、そこは間違えてくれるなよ」

 。ミナキの落ち着いた声がわたしを呼ぶ。太陽を背にしたミナキの短い影が、わたしのつまさきにかかっていた。

「……はい。なんでしょうか」
「これから先は頑張りどころだな」

 わたしが何度も何度もうなずくと、ミナキは柔らかく息を吐いた。

「そんなに身構えることないだろ。それにマツバは、を待っているぞ。これは絶対だ」
「………」

 思い浮かんだのは、暗い瞳でなんで? とこぼしたマツバくんの顔だった。

 なんで、って。理由はあるよ、マツバくんには言えない理由が。
 ただマツバくんのことを考え過ぎてしまうおかしな自分を元通りに修理したかった。マツバくんが柔らかな声で呼んでるのははす向かいのなんでもないご近所さん。そんなだと思ったから、そんなわたしに戻りたかった。

 マツバくんに心配かけたかったわけじゃない。マツバくんと喧嘩したかったわけじゃない。だけどあの顔をさせた原因が自分なら、どうにかしなきゃな、と思う。

「マツバくん、おかえりって言ってくれるかな」
「マツバがどういう奴かはの方が知っているだろう」
「ちょっとずつ、良い方向に向かうかな」
「ああ。大丈夫だ。私はそう信じているぞ」
「ミナキが言うとほんとな気がするね。なんか、泣きそう」
「マツバがすっ飛んで来るぞ」
「そうだったら、困るね。嬉しいけど」

 マツバくんにわたしの涙を見つけられるのは困る。きっとどこまでも話を聞いてくれるマツバくんを、今のわたしは申し訳なく感じてしまうから。
 でも会いたいなぁ、とは思っている。しかも、ものすごく。

「平気か?」
「うん、平気」
「ここからの道はかなり整備が進んでいる。あとは一人で行けるよな?」
「大丈夫。ミナキも大丈夫って思うでしょ?」
「ああ、もちろんだ!」
「たくさん励ましてくれてありがとう。また、弱音吐いたら、ごめん」
「その時は頭突きしてやる」
「あはは……。……どうしよう。平気なんて、ウソ」
「そうか」
「頭突きお願いします」
「ああ」

 ミナキのおでこって堅そうだし、絶対痛いのが来ると思ったのに。

 こつん。

 わたしのおでことミナキのおでこ、間で生まれたのはそんな音だった。

 エンジュの入り口で、ミナキは大きく手を振った。これからすぐにアサギシティを通ってタンバシティを目指すらしい。
 ミナキは2、3回は振り返って、その度に大きく手を振って行ってしまった。わたしはそのミナキが見えなくなるまで、ずっと見送っていた。


 靴の底と固い地面。久しぶりの石畳だ。その感触に「ああ、これこれ」と思ってしまうわたしがいる。
 曲がり角のタイミングも分かってる。空を見ても、地面を見ても、目つぶったって平気なくらい。どこまで進めばわたしの家、そしてはす向かいにあるマツバくんの家が見えるかを、体は覚えている。
 はす向かいだから、わたしの家を目指しても、マツバくんの家を目指してるのと変わりない。

 マツバくん、元気かな。とりあえず、健康かな。結局一週間近くも会っていない。お土産けっこう買ったからちょっとくらい喜んでほしい。けれど、とりあえずただいまが言いたい。ミナキに背中を押して貰ったんだから、その勢いで仲直りがしたい。

 自分の家が見えて、ななめにマツバくんの家。迷ったけどそっと、玄関の戸を引いたのはマツバくんの家。開いている。
 それにこの家に漂う空気に、マツバくんはご在宅のようだと、幼なじみの勘が言っていた。ちょっと来てないだけでなんか緊張、する。

「あ」

 一歩入ろうとして、わたしの動きは止まった。
 玄関に並んでいるのはいつものマツバくんの靴。つっかけと、下駄と。だけど見慣れない靴。
 どうやらお客さまがいるらしい。つやつやのつま先で、リボンがついてて、高いヒールのそれを履きこなすような、女の人のお客さま。

「………」

 わたしはそっと玄関の戸を閉めた。

 な、なるほどね?