それは火曜日に決まってやってくると、気づいてしまった。
「ねぇ」
いつの間にか気を張りつめてテレビに見入っていた。声が聞こえたすぐ隣に顔を傾ける。頭から被ったタオルで欠ける視界に、マツバくんの少し開いた唇とのどぼとけが映った。
お隣のマツバくんは汗もかいていないのにうちわを扇いで、おざなりの風を浴びていた。
「?」
「はっハイ」
あ、だめだコレ。周りが見えなくて、マツバくんの声にすらびっくりする。
「すごい暑そうだよ?」
「暑いに決まってるじゃん……」
暑いけど、それ以上に怖いんだよ! だって今わたしたちが見ているのは、いわゆる心霊番組だ。
昨日の夜に録画しておいたそのテレビ番組は、CMだけでもお手洗いが怖くなる代物だ。それでも夜じゃなくお昼間に、マツバくんと一緒に見れば大丈夫! と思っていたけど考えが甘かった。心霊写真は不気味でどれも本物にしか思えないし、再現ドラマは薄気味悪くて幽霊が出てこなくても背筋にぞわ、と感覚が走り変に突っ張ってしてしまう。
縁側に落ちる木漏れ日の色が濃い、快晴の日なのにわたしはタオルケットを頭から被り最小音量で恐怖に耐えている。
「そういうのって一見防御できているように見えるけど、幽霊に布団とか関係無いと思うよ」
「うううううるさい」
「の足の間から、にゅっと」
「やめてー!!」
「冗談だよ」
幼なじみだからマツバくんの反応は分かっている。余裕の、あるいは冷めた表情。マツバくんは心霊番組を、どんな番組を見る時よりも淡々と見る。たまに声を出さずに、へらっと笑う。
見てるだけど精神力から水分まですり減らしているわたしとは正反対だ。
「CM飛ばして」
「はーい……」
この家でテレビのリモコン係は常にわたしだ。CM明けに心霊写真の禁断のモザイクがとれる、とれてしまう。見たいような見たくないようなだよ……。ふーっと息を吐いて、心を落ち着けようとしているのに、タオルケットからはみ出ていた足にピト、と何かが触れる感触。冷たく、濡れていて、垂れたものがわたしの足を伝う。
「何!? なになになになに!!?」
仰け反りながら何かがいた方向を見ると、うすら笑いのマツバくんと氷が溶けて汗をかいたグラス。ぽたり、とグラスから水が落ちてソファを濡らした。
「ごめんね」
あ、マツバくん謝れば良いと思ってる。笑いながら言うとか、誠意が足りていない証拠だ。
「もうやめて……。心臓つぶれちゃうからやめて、ほんとにやめて……」
脱力してタオルケットから出てしまった頭を、マツバくんが扇いでくれる。こもった熱気で吹き込まれる新鮮な風。ああ、涼しい……。
「怖いのになんで見るの?」
「えっ。……毎年恒例じゃん」
「っておもしろい生き物だよね」
「どこが?」
「だって――」
言葉を遮ったのは電子音だった。机の上のポケギアの画面が点滅し震えていた。わたしのじゃない。マツバくんのだ。ごめん、と一言断ってマツバくんがポケギアをとった。
「もしもし。どうかしたかい?」
砕けた口調。それだけでわたしは、は、と気づいて壁のカレンダーに目を走らせた。
やっぱり。今日は火曜日。わたしはまたタオルケットを頭に被り直した。この先は聞きたくない。けれどタオルケットなんて薄いもの簡単に貫いて、マツバくんの楽しげな声が耳に突き刺さる。
「今日はちょうど暇なんだよ! 楽しみにしてるね」
喋ってる相手が誰かは知らない。ただマツバくんが火曜日にポケギアを受け取ると、100パーセントの確率でそのまま出かけてしまう。
ポケギアを切ったマツバくんは早速立ち上がると、髪をかきあげて、ヘアバンドを直す。他のマツバくんの準備はシンプルだ。自分のモンスターボールを確認して、ポケギアをポケットに入れた。
「出かけるの?」
「うん」
タオルの隙間から伺えば、マツバくんは笑顔を返してくれた。金色のまつげのかかる紫色の目が、とろんと潤んでいる。
「お夕飯までに帰る!」
いってらっしゃいの言葉は、マツバくんに届いていたか怪しい。
廊下の向こうへ消えてしまって、やがてポケモンで空へ飛ぶだろうマツバくん。もう見えない背中にわたしはため息をついた。一人では絶対に見られない心霊番組はさっさと消した。安心出来る人と一緒に異世界を覗くのが好きだったけど、来年からはもう見るのをやめようと思った。だってマツバくん、つまらなそうにしてたしね。わたしが、そういう無意味なことをしたから、マツバくんは行ってしまったのかもしれないし。証拠は無いけど、そうじゃないとも言い切れない。
悪いことをした。わたしにグラスでいたずらしてきたのも、マツバくんが退屈していたからかもしれない。
心霊番組という名の非日常に、わたしほど入っていけないマツバくんは、本当は別のことをしたかったんだ。だから、ポケギアの人にあんな嬉しそうな返事をしてすぐに会いに行ってしまったんだ。どんどんそんな気がしてきてしまう。
「……、すごい可愛い子なのかな」
いや、ポケギアの人が女の子とは決まっていない。ただマツバくんが、わたしやミナキと会う時と別の嬉しそうな顔をしている。その顔を見るだけで、胸がどうしようもなくざわついた。
悪い考えが、仲間のもっと悪い考えたちを呼んでくる。
毎週火曜日に必ずあると気づいてしまった。だから見せつけられるマツバくんのとろんとした顔の原因がたったひとりの“誰か”が存在すると感づいてしまった。ささやかなルールに気づいてしまったその時から、気持ちはゆっくりと重たくなって、その人といるのがわたしといる時よりも楽しいんじゃないかって、わたしの中の不安は育っていた。
マツバくんとくだらない事をすれば一日はあっという間に溶ける。なのにマツバくんのいない数時間は何十日にも感じられる。一日とは思えない、こんな長い長い時間の中をこそマツバくんと過ごしていたいのに、当のマツバくんは不在である。誠に遺憾である。
茜色となった空に飛ぶのはヤミカラスたちだけ。マツバくんが戻ってくる前に、はす向かいのわが家に、今夜分の着替えを取りに戻る。ただ遊びに行くだけじゃなく、ほとんど毎日娘がマツバくんちに泊まるようになったというのに、お母さんもお父さんも何も言わない。わたしが事あるごとにマツバくんの家に行くのは昔っからだった。だから周りから見れば、わたし達は大して変化してないように見えるんだろう。前より断然家に帰らなくなったというのに。わたし達がただの幼なじみではなくなったことに、一番近くにいる家族さえも気づいていない。
実際周りにも指摘されたことはない。エンジュの人たちにはいつも一緒だね、相変わらず仲が良いねって言われるだけだ。
わたしたちがひっそり、一皮向けてそういう関係になったんだって、気づいている人はいない。胸につっかえる苦しさから逃れようとすれば、それはため息になった。
わたし自身は、結構変わってしまったんだけどな。マツバくんが好きだって気づいて、わたしを好きだというマツバくんを知って、わたしの心の中は変わってしまった。決して良いことばかりじゃない。どちらかといえば、わたしはどんどん情けない方向へ流れていっている。
お花を見て「わあ、綺麗!」って思うだけじゃなくて、このお花がずっと咲いていてくれるために、わたしは一体どうしたら良いんだろうかと毎日気にしてる。お水、陽のひかり、栄養、風……。他の動物を少し敵みたく思ってしまう。例えるなら、そんな感じ。
時々、そのお花のことを気にし過ぎてしまう自分に、時々疲れてしまうのだけど、そんなの綺麗なお花を見るとすぐ「まぁいいか」と元に戻る。その時だけは晴れも雨も関係なくわたしは幸せだ。わたしの毎日はそんな感じだ。
マツバくんとかいう、うっすらと細かい光の粉がかけられたような、キラキラした人。そんな人の彼女にわたしって見えないんだろうなって思う。
ちょうどよく、玄関前の姿見がいつも通りゆるい服装のわたしを映し出した。空気を読み過ぎる鏡である。
実家から一歩出る。思わずついたため息をさらうように、ざあ、と風が吹いた。それと周りの気温が急に下がる。マツバくんのゴーストタイプのポケモンたちがまとう空気の冷たさだ。
帰ってきたのだ、マツバくんが。わたしは、きっとそこにいるだろうと思って顔を傾けた。わたし達の家ははす向かい。前を向いただけでは見つめあえない。そこに立つだけでは隣にいられない。そこにいるんだよね、わたしはそこにいたいのと、願って求めて一歩行動して、初めて成立するふたり組だ。
「おかえり」
「ただいま!」
求めて首を傾げた先にマツバくんはちゃんといた。けれどものすごくハツラツとした返事で面食らってしまった。よく見ればマツバくんはうっすら汗までかいている。ヘアバンドの下の前髪がいつもよりつやめいていた。
「どこいってたの?」
「ちょっとね」
「ぐ、具体的にどこ?」
ちょっとね、ではぐらかされた事への反抗心でつい、聞いてしまった。けどすぐに後悔した。わたしに心の準備があるわけじゃ無かった。もしマツバくんに嘘とか吐かれたらどうしよう。本当のことをぶつけられて平気でいられる自信も無かった。
「とりあえず家に入ろう」
「……うん」
また話題を反らされたのかと思いきや、玄関でちゃんとマツバくんは教えてくれた。玄関の戸が閉まってから、普段と変わらない声色で、話始める。一方マツバくんの手は、着替えを抱えてるからと投げやりに脱いだわたしの靴をつかまえて、美しく、マツバくんの靴の横に並べてくれた。
「カントーに格闘道場っていうのがあるんだ。そこでちょっとバトルしてた」
「ポケモンバトル? なんでわざわざカントーまで行くの?」
マツバくんは秘密だよ、と前置きをして、家の中だというのにさらに声を落とした。
「ジムリーダーたちの手合わせの場所なんだ」
「ジムリーダーって、ジムリーダー?」
「うん。が知っている人だと、ハヤトくんとかアカネちゃんとかもたまに見るよ。でもジョウトとカントー以外の人は見たことないなぁ……」
「なんだ。秘密ってそんなこと?」
「ジムリーダーの中には人気がある人もいるからね。ジムではトレーナー達を抱えているから常に慕われる立場だし、個人個人が静かな環境で、憧れの視線も忘れてじっくり手合わせに挑める場所は貴重なんだよ」
「……すごい納得した」
「ん?」
マツバくんの楽しそうな顔の何割かは、ポケモンバトルによるものだったのだ。それもジムリーダー同士の。このエンジュでマツバくんに敵う人なんていない。普通のトレーナーとは並外れて強い人たちと戦える時間は、マツバくんにとってとても魅力的なお誘いだろう。
それに、人気があって常に慕われているのはマツバくんも同じだ。マツバくんの言葉通り“憧れの視線を忘れて”バトル出来る場所は、わたしじゃちょっと思い浮かばない。
「いつもそこ?」
「いつも?」
「……最近毎週出かけてるから」
「あ、そっか。そうだね。うん、最近よく行ってる」
「じゃあいつも電話かけてくるのは、ジムリーダーの人なんだ」
「ううん。その子はジムリーダーじゃない」
首が急に固まってしまった。そんな感じがした。
「コトネちゃんって言って。すごく良い戦い方をするから、将来に期待していたらあっと言う間にポケモンリーグ制覇してさ、今はカントーのバッジ集めをしているんだって」
なーんだ、ジムリーダーのみんなで戦ってるんだ。って安心したところでマツバくんの口から飛び出た、“コトネちゃん”。ひどい不意打ちだ。どう聞いても女の子の名前じゃないか。
「へえー、すごい子だね!」
「写真見る?」
「え……、写真……?」
「うん。この前一緒に撮ったんだ」
「写真かぁ。写真は別に見たくない、かな。あはは」
コトネちゃんがどんな顔してるかなんて、見たくない。バトルの場所でマツバくんの前に堂々と立てる女の子。しかも、一緒に映ってるマツバくんはどんな笑顔なんだろう。それをイメージしただけでわたしはもう、負けそうだ。……負けそうって。わたし一体、何と、誰と戦っているんだろう。
「コトネちゃんが、いつもマツバくんに電話かけてるんだ」
「うん、そうだね。なんだかんだで面識は広いみたい」
名前の響きだけで、胸が痛むのはなんでだろう。ここにはいない女の子なのに。今、マツバくんの近くにいるのはわたしなのに、その子の名前が、ころんと家に響くだけで、笑顔作るのが難しくなる。
「コトネちゃん、強烈な子だったから、忘れられないのは僕もなんだけどね」
わたしの知らない女の子が、マツバくんの中に存在している。その事実に体の中心からかき混ぜられたみたいにぐるぐるとめまいがした。
気持ちを隠すのは、昔から上手じゃない。急に顔が難しくなったであろうわたし。案の定マツバくんに感づかれ、なぜか背中をさすられた。
「? お腹痛い?」
どうやら急にお腹が痛くなったように見えたらしい。
「お腹は、だいじょうぶ」
痛いのはむしろ心臓だ。お腹は、何か飲み込んだように重苦しいだけ。胃が下に引っ張られてるようで、のども一緒に引き延ばされてるみたいに苦しいだけ。
「じゃあどうしたの?」
「………」
「何かあるならなんでも言ってよ」
「なんでも?」
「? うん」
「じゃあ後悔、しないでよね」
「しないよ」
「………」
なんでも言ってとか、軽々しく言いやがって。本当にわたしの思っていることを聞いて幻滅する可能性だってあるはずなのに、マツバくんは平然とわたしの言葉を待っている。そうやって何度、本音を引き出されただろう。
考えていることの、トゲがとげとげしいままぶつけたのは、子供みたいな考えから生まれた意地だった。
「なんで、コトネちゃんが良いの? バトルが強いから? わたしより、ポケモンが詳しいコトネちゃんの方が良いってこと? わたしがバトル強くなればいいの? そしたらマツバくんは……」
バトルに向かう時のマツバくんは真剣そのものだ。優しい顔が急に、戦う時の顔になる。いつもの雰囲気とガラリと変わるのに、妙に似合っていて、かっこいいなと思うことも、ある。
だからきっとマツバくんは、コトネちゃんといて満たされるんだろう。
「わたしは……」
言いかけたけど、続かない。わたしには何があるんだろう。マツバくんを満たす何か。マツバくんを喜ばせる何か。探しても探しても、あるものより無いものばかりが見つかる。
「ポケモンのことはかっこいい、強い、怖い、可愛い!くらいしか分からないけど、でもそのコトネちゃんよりはわたしの方がマツバくんのこと、っ好きだよ!」
マツバくんのこと、考え過ぎてしまう時間。これをなんと名付けて良いか分からない。よく言う恋ほど可愛くない。
けど、マツバくんとのさよならを考えすぎて、無駄に苦しんだ。その時の痛みだけはわたしの中で確かだった。傷が疼いている。わたしはわたしは絶対負けていない。まだコトネちゃんの顔すら知らなくても、そんなの関係ない。
ひんやりと冷える廊下で、わたしの体は熱い。頭から、顔から、つま先まで。
「……、ごめんなさい……。軽々しくバトル強くなったら、とか言って」
マツバくんがどれだけ修行に打ち込んできたか、マツバくんの積み重ねたものの大きさを知っているのに。わたしは、マツバくんだけを理由にバトル強くなればなんて、軽々しく言ってしまった。
「」
さすがに怒っただろうか。熱く火照る体中の中で、目がひときわ熱くなった。カッと火が点いたようで、それは涙の前兆だった。必死で顔を引き締めるわたしに降りかかったのは、場違いに軽いそれだった。
「もしかして、妬いた?」
勢いよく顔を上げて、舞い上がる自分の髪の中で見たマツバくん。なんという笑顔なんだろう。
目がとろんとしてる。まつげが優しいラインを描いている。それは今日二度目の表情だった。ポケギアを受け取って、出かける時に見せた笑顔。その時はポケギアの人に会いに行くのが楽しみなんだと思っていたけど違った。
信じられない。マツバくんはこんなことするヤツだったっけ?
でもそうだ。このとろん顔は、マツバくんが悪いこと考えてる時の顔だ。
「っ試したの……!」
「ちょっとだけだよ」
「でも確信犯だったんでしょ!?」
「今日だけ。もしかして、って思ってちょっと思わせぶりなこと言ってみたんだけど。ね、どれくらい妬いた?」
すらすらと自白するマツバくんはなんだかとっても自然体だ。わたしはひゅるひゅると力が抜けて、出来るなら冷たい廊下に寝そべりたい。
「マツバくんこういうことする人だっけ……」
「前ならしなかったよ。怖くて出来なかった」
「……なんで?」
「あの頃は、が僕をどう思ってるかなんて分からなかったから。仲は良かったけど、その先に行けるか分からなかったし、そのまま傷つくような返事されたら立ち直れないし、つまらないきっかけで離れてしまったらと思うと怖かった。でも今は、前よりずっとそういう怖さがない。が僕のこと好きだって、一応分かったから」
「一応?」
「さっきので、もっと理解できた。の気持ち。ちょっとひっかけてみて良かった」
「それが目的……?」
「うん」
あっけらかんと頷かれてしまった。さっきまでのは罠で、わたしの気持ちを理解するために仕掛けたもので。わたしは思いっきりはまってしまったらしい。
「なんでそんなこと……」
「たまには、違う顔が見たかったんだ」
確かに、わたし達の“いつも”の雰囲気ではない。今夜のマツバ家の廊下はいつもより甘く苦い。真剣に好きだなんて言ったのは、いつぶりだろう。マツバくんの中に在る恋にまつわる感情を説かれたのも、久しぶりだ。
「マツバくんの闇の側面を知ってしまった……」
「のやきもち可愛かったよ」
「え、やきもちって今の?」
「うん」
「そっか、これがやきもちかぁ……」
じゃあわたしはやきもちだらけだったな。ずっと前から。
マツバくんはわたしの知らないものばかり感じ取って、わたしの届かない世界とすぐ繋がってしまう男の子だった。大人になってもそういう所が変わらず、わたしはそういうもの全てにずっと、やきもちをやいていた。
「でもが、バトル出来ないことをあんなに気にすると思わなかった」
「実は気にしてます。……ね、マツバくんはわたしともっとポケモンの話したいって思う?」
「はのままで良いよ」
「………」
「僕が良いと思うものが全部良いものとは限らないから、はのままでいて欲しい」
「あーもう……」
わたしの全てを許す、マツバくんの言葉。言われると幸せな気持ちになるけれど、本当は毒みたいな言葉だと思う。
「マツバくんが、何もしてないわたしを好きになるから、努力の仕方が分からないんじゃん」
「生まれた時から好きだよ」
「えー? 赤ちゃんの時の記憶あるの?」
「そういうのじゃなくて、僕がそう感じているんだ」
「ちょっと意味分かんないかな」
「あはは」
マツバくんも笑って、わたしもどうにかへへへと笑えた。体温は少し高めだけど、普通の範囲におさまって、体の感覚も戻っていた。めまいも胃の重さも溶けたようになくなってしまって、涙ぐんだ名残が目尻からちょっぴり涙になって落ちた。
「コトネちゃんのこと、心配しなくて良いんだよね?」
「うん。不安なら今度みんなに紹介しようか。僕の彼女ですって」
「……彼女っぽくないって言われそう」
「え、ハヤトくんはすごく納得してくれたよ」
「ハヤトさんに言ったんだ……!」
「うん」
「なんて? 彼女っぽいって?」
「ううん」
ちょっと期待したのに。マツバくんはばっさり切り捨ててくれる。
「ハヤトくん、僕が……、ううん、やっぱり秘密」
「なんで!」
のぞき込むわたしからマツバくんは体を傾けて逃げる。逃げられると追いたくなるのが単純なわたしの性質だ。
「言いなよ!」
強くねだると、マツバくんはとても、今までに見たことのないくらい恥ずかしがった様子で白状した。
曰く、「は僕が見つめてる先に平然といた女の子だから、いつかちゃんと手に入れるだろうと思ってたんだって」だそうです。