シゲルといくじなし



「おい、ナマエ。起きろよ」

 あれ、アイツの声ってこんな優しい表情を出せるんだ。わたしはまどろみの中そんなこと考えた。ただ元気に突っ走るだけじゃなくて、慈しむような声が、優しく肩に降り懸かる。

「早く起きろよ」

 なんだか、ポケモンを可愛がるときより優しいじゃない。わたし、知らなかったなぁ。サトシのそういう一面。

 え? サトシ……?

「なんで!?」

 ありえない事態に飛び起きた。だってサトシはカロス地方にいるはず。信じられないまま声の方にいると確かにそこにいるのはサトシだ。同じマサラタウン出身で、でも歩む道は大きく変わってしまった幼なじみ。
 でもこんなのおかしい。昨日だってサトシは旅先から連絡をくれた。一日で帰ってこれる距離じゃないのに、なんで?

「なんでサトシがここにいるの!?」
「何がおかしいんだよ。オレ、帰ってきたんだ!」
「ほ、ほんと……?」
「第一、帰ってこなきゃオレはここにいないって」
「そう、だよね。そっか……」

 そっか、サトシ帰ってきたんだ。いつもサトシを待ってる時間はイヤに長く思えたのに、今回はなんだかあっと言う間だったなぁ。
 サトシを待ってた時間が一瞬に感じられるなんて、もう待つのに慣れすぎちゃったんだなぁ、わたし。
 目の前に本物のサトシ。意識しだした瞬間から体がちょっとずつ熱くなっていく。ちらり、と横目で見るとまぶしいくらいの笑顔を返された。

「おかえり、サトシ」
「ただいま!」
「もう次に行くところ、決めてるの?」
「ああ、決めてるぜ!」
「やっぱり」

 安心と落胆が入り交じった、変なため息をついてしまう。
 本当は、「しばらくマサラでゆっくりしていくんでしょ?」と聞きたい。でも、サトシが一つの場所にとどまっていられないヤツなのは分かりきってるもの。
 今度はどこに行くのかな、と思ったのにサトシから帰ってきた言葉は意外なものだった。

「オレの行きたいところはもう決まってるけどさ、ナマエはどこに行きたい?」
「……え?」
「やっぱり二人で旅をするんだから、行き先は二人で決めなきゃだよなー!」
「え、え!?」

 なんだって? わたしがサトシと二人旅をする? そんなのいつ決まったのよ! 第一、サトシがいつ帰ってきたのかも分かってなかったのに、いつの間にそんな話になったの?
 またも混乱状態に陥ったわたしの手首を、サトシは白衣の上から掴んだ。

「行こうぜ!」
「待ってよ、サトシ!」
「待てないよ!」
「そんな……、っきゃ……!」

 サトシが強引に引っ張るから。わたしは体勢を崩して前のめりに転ぶ。かっこわるく顔を床に打ちつける、その衝撃でわたしはようやく夢から覚めた。



 ばっちりと覚醒した。視界が随分と低いのはわたしが床に横たわっているからだ。同じく床に転がっているのはわたしが座ってたイス。なんとなく状況を理解する。わたし、寝ぼけてイスから落ちたらしい。
 視界に映るのは、あと、いじわるな顔して見下ろしてくるシゲル。

「おーい」
「……え、……寝て、た?」
「随分と器用にね。君も普段からその器用さを発揮してもらいたいものだね」
「いったぁ……」
「反応の順番がおかしい」
「おかしくないよ。びっくりしすぎて痛み忘れてたもん」

 呆然としつつ起きあがる。髪にほこりがついてしまった。この研究室は窓開けっ放しにしておくことが多いからいつの間にかほこりがたまっちゃうんだよね……。
 上半身を起こしたものの、そこから立ち上がれない。自分がいつの間にか眠っていたこともびっくりだし、突然イスから落ちて目が覚めたのもびっくりだし。それにサトシが夢に出てきて、それでわたしと旅に出るって……。

「君は分かりやすいなぁ」
「えっ何が!?」
「大方サトシの夢でも見たんだろ。顔が真っ赤だ」
「………」

 やっぱり。顔が熱くなってる自覚はあったけど、指摘されるとますます恥ずかしい。両手で顔を隠すと、自分の指先がひんやりしていて気持ちよかった。

「どんな夢を見たんだい?」
「言わない。シゲル笑うから」
「笑わないさ」
「……サトシが帰ってきて、一緒に旅に出ようって言うの」
「……っ」
「あーもう。ほら、笑う」

 ペンを持つ手で口元を押さえるシゲル。冷ややかな視線を送りながら、わたしはようやく立ち上がりイスを直す。
 時計を見ると4時を過ぎている。30分ほどタイムトリップしてしまった。
 仮眠のおかげでさっきよりもすっきりしたものの、胸のくすぶりが収まらない。まだちょっと脈がうるさい。

「それが君の願望ってわけか」
「そう、なのかなぁ……」
「今からサトシを追いかけようって思ったことはないのかい?」
「……、前はよく考えてた。でもほんと最初の方だけだよ」
「最初って?」
「旅立ちの日。最初のポケモンをオーキド博士から貰った日」

 懐かしいなぁ。
 ちょうどよく、窓の外は過去を思わせるオレンジ色だ。

「サトシだけ寝坊して来なかったでしょ。わたしあの時から、サトシを待たないで先に出発したことを後悔してるんだ」
「へぇ」
「進んだ先で、サトシがどうしてるか気になって仕方がなくて。その時からきっと好きだったんだね。次の町のポケモンセンターでサトシを待ってたんだけど、その時にはもう……」

 横に、カスミさんがいた。サトシは旅の仲間を見つけてしまったのだ。
 あの時、寝坊したサトシをもう少し待てていたなら。わたしは本当に、一番最初の選択を間違えてしまった。

「あの時からずっと言えないんだ。一緒に旅しよう、って」
「……言ってみれば?」
「今はサトシと旅したいなんて思わないし」
「へえ。意外だ」
「だってあのバカと四六時中一緒なんて耐えられない。それにね、今の距離は嫌いじゃないの。好きってわけじゃないけど……。ちゃんと自分のやりたいことが出来るし、サトシの存在はわたしに頑張る力、それに勇気までくれる。片思いがわたしを立たせてくれる。だから、それで良いかなって……」
「僕には君が臆病者にしか見えないよ」
「そうかもね。片思いって実は楽チンだから」

 わたしはあの夢の中、サトシに手をひかれて一番に抱いた感情はわくわくでは無かった。道の世界、ありえない状況に対する恐怖だった。

「両想いになったことないからそういう風にしか考えられないんだろう」

 シゲルは両手を肩まで上げてため息。やれやれってポーズだ。

「しかし君はよくもそんな堂々と自分の恋について語れるな」
「だって、どんなに叫んでも届かないもの」

 マサラタウンにいる限りサトシには届かない。その事実は時々泣きたくなるくらいわたしを悲しくさせるけど、ときどきありがとうって感謝する。サトシを好きな気持ちを隠さないでいられるか。
 オーキド博士の研究所があること以外、まっさらなマサラタウン。さよならバイバイしてサトシの元まで駆けていく。そんな勇気は、まだわたしにないようだ。