シゲルと隣のデスクの幼なじみ



 頭の良い人ってどんな人と聞かれたらわたしはこう答える。「わたしの幼なじみみたいな人」。もちろんサトシのことじゃない。もう一人の幼なじみ、シゲルのことだ。

 その頭の良い人は、さっきからずっと真剣な顔してグラフをのぞき込んでいる。ちなみに。そのファイルを持ってきたのはこのわたしだ。レポートの一文が思い浮かばなくて手が止まった、その一瞬をシゲルに見つけられ、わたしは見事にパシ……ううん、シゲルを手伝ってやったのだ。

 複数のファイルを長い指でめくり、なにか思うことがあったのかシゲルはあたりをきょろきょろと見渡した。


「何か足りないものあった?」
「いや、これの2年前のデータないかい?」
「さっき念のため10年分持ってきたって言ったじゃない。机の右に積んであるよ、……そうその青いの」
「ああこれか」

 目当てのものを見つけると、またすぐに背中を丸めて、シゲルはファイルに見入ってしまった。眉を寄せて、時々得意げに笑って、また難しい顔に戻る。
 そうやって研究に向き合ってる時のシゲルはいろんな表情をする。その単純さはとても子供っぽい。

 今、シゲルの頭の中では何が起こってるんだろう。特別優秀なわけじゃないわたしには、ちっとも分からない。

「絶対シゲルって、グラフからグラフ以上のことを読みとってるよね」
「ん?」
「わたしはグラフで百面相なんてできないよ」
「この感覚をなんというべきかな。グラフが語りかけてくるんだよ」
「……、へー……」

 折れ線や曲線が言葉を話すなんて。凡なわたしにはそれこそ理解できそうにない。わたしにとって、情報は情報でしかない。

だって、僕と同じ能力を持っているじゃないか」
「え? わたしが?」
「サトシだよ」

 その名前が急に出てきた。それだけで不意打ちをうちこまれた気分だ。

「サトシに対してのアンテナはいつもすごいじゃないか」

 名前を出されただけでもわたしは結構なダメージを受けたのに、シゲルは何を思ったか、サトシを見ているわたしのことを改めて語り始めた。

「気づかないこともあるみたいだけど、すごく些細なことにも気づくし、サトシ一人によくそこまで考えていられるなと思うよ」

 シゲル、意地悪してるの? もしかしてわたしを恥ずかしさで殺したいの?
 わたしがサトシを好きなこと。それを、こうやって改めて言葉にされるのがこんなに恥ずかしいことだとは……。

「不意に笑ったり、とも思ったら急にふてくされたり。それこそ百面相じゃないか」

 もうやめて欲しいんだけど。丸まった背中をにらみつけるも、シゲルは気づかないでファイルをのぞきこんだまま続ける。
 とにかく、猛烈に、逃げたくなるくらい恥ずかしい。

「たまにの見てるサトシは僕の見てるサトシじゃないと思うことがあるよ」
「なるほど。シゲルはグラフが恋人だったか」
「いやいやいやいや。どうしてそうなるんだよ」

 ようやく顔をあげたシゲル。わたしを見るなり鼻で笑った。

「なんだ、照れ隠しか」

 耳どころか指先まで赤くなってしまったのはシゲルのせいだ、ばかやろう。




 茶色い頭がようやく顔を上げた。きっと新たなポケモンの謎の深さにぶち当たったんだろう。眉はしかめられているけれど、その横顔は晴れやかだった。

「一応パシられたかいはあったのかな」
「ああ、感謝するよ」

 シゲルは薄く笑いながらそう言うと、自分のカレンダーを見ながら走り書きのメモをした。研究計画立ててるのかな。ただでさえ隙間の無いオーキド研究所のスケジュール。そのどこにシゲルは自分の興味をねじ込む気なんだろうか。
 遠い頭脳を持った幼なじみにわたしはひとつまみの心配を抱く。

「……レポートはどうなんだい」
「終わるか微妙」
「僕ももう少し残るから君もレポートを完成させなよ」

 そんなこと言って。わたしの頭をパンクさせたのはシゲルなんだから。サトシを使うなんて卑怯きわまりない! あれが無かったらレポートは終わってたはず。
 小さなため息が出そう、というところでシゲルの声が柔らかく響いた。

「一緒に帰ろう」
「……うん、分かった」

 オーキド研究所からわたしたちの家まで。それは通い慣れた道で別に危ない距離じゃない。でもお互いに時間を合わせて、白衣を脱いで。くだらない話で夜道の静けさを蹴散けちらして帰る。まぁそれも、良いかもね。