アウトサイダーたち


 ヒトカゲ、ゼニガメ、フシギダネ。診察台に乗せた3匹のポケモンたちは、まだ手足の動作がおぼつかない様子だった。何といったって、たった数週間前に、たまごから生まれたばかり。けれどしっかり目は開いていて、人間の赤ちゃんとそう変わらない好奇心を持って、部屋を見回し、鼻をひくつかせ、気配を感じている。

「可愛いなぁ」

 思わず呟く。3匹はポケモンとしての未知なる成長の素養を閉じこめた体を、危なっかしくうずかせている。そんな3匹の様子に“わたし達の頃”を思い出して笑みが止められなかった。
 生まれたてではない。けれど成長もしていない。わたしたちも、そんなトレーナーだった日があった。わたしとシゲルは、3匹を示されてそれぞれに最初のポケモンを選んだんだった。サトシは遅刻したんだけど、まあそれは例外中の例外の話。

 この子たちも同じように、新しく生まれる少年少女トレーナーとの出会いを数日後に控えている。
 オーキド博士は、その最終調整をわたしを指名し、任せてくれたのだった。ヒトカゲ、ゼニガメ、フシギダネの3匹を、初心者トレーナーへ手渡せるように調整する。万全の状態で――しかし新しいトレーナーとなじめるようなまっさらな状態で。
 日々この研究所でポケモンの観察とチェックと記録を続けている、わたしの腕が博士に試されている、気がする。重大な仕事に、静かに息を吐きながらわたしは白衣を腕まくりした。

「じゃあ、順番に見ていくからね」

 まずは一番動きが活発なゼニガメだ。どうも落ち着きがなく、わたしの声にも敏感に反応している。瞳の濡れ具合を見たくてのぞき込むと、逆にわくわくといった表情でのぞき込まれる。「しっぽを見せて」とお願いすると、くるりと宙返りを決めてからおしりを向けてくれた。なかなかサービスの良い子だ。
 次にヒトカゲに移ると、こっちはまた別の意味で活発だった。次から次へ興味が移ってくようで、辺りを見回してわたしなんかお構いなしだ。振り返った瞬間にしっぽの火がこっちに当たりそうになる。

「っうおわ!」

 そしてひのこにもならない小さな火を吐いて隣のフシギダネにちょっかいを出す。フシギダネの冷たい視線なんて、ものともしていない。それどころか反応を喜んでいるあたり、だいぶいたずらの素養があるみたいだ。

 今度は、ヒトカゲの炎に気を立てた様子のフシギダネ。なだめながら、つぼみの様子を見る。ゴミもついていないし、その他の汚れも見あたらない。外皮も綺麗だ。フシギダネのつぶらな瞳で、首を傾げながら見上げられると、庇護欲がそそられる。

「あなたはなんだか愛嬌があるね」

 どんなに可愛いらしい見た目でも、しっかり戦うためのポテンシャルを秘めたポケモンだ。そう分かっているんだけど……。つい、顔の周りを撫でてあげる。気持ちよさそうな表情をされると胸がきゅうと締め付けられる感じがして、さらに気持ちが高まる。ふふふ、なんて気の抜けた声が出てしまう。
 どうしても、フシギダネだけは贔屓してしまうな。なぜなら、わたしが出発の日パートナーに選んだのは、……ううん、違う。あの日、駆け出しのわたしをパートナーとして選んでくれたのは、フシギダネだったからだ。懐かしいなぁ。

「……何見てんの」
「……ああ」
「ああ、じゃなくて」

 視線を感じると思ったら。顔を上げればいたのはシゲルだった。何か考えごとの最中なのか、部屋の入り口でぼけっと突っ立っている。返事がここにいる3匹よりおぼつかない。

「見るんなら入って、ちゃんとドア閉めてよ。このヒトカゲ、ちょっと元気すぎるんだ」
「あ、……すまない」

 棒立ちだったシゲルは、緩慢な動作で部屋に入り、またここの研究員とは思えない不慣れな動作でドアを閉めた。
 なんだこのシゲルは。なんだかシゲルらしくなくて、一緒にいるだけで肩が凝りそうだ。

「どーしたの、ぼーっとして。お疲れ? 今日ってなんかあったっけ?」
「ぼーっとしてるかな?」
「顔がものすごい眠そう。目とかもぼんやりしてるよ」
「いや、心配ないよ……」

 そうは言うけどシゲルの視線はどこの、何を見ているのか全くの不明だ。本当に大丈夫か、このシゲル。
 ちら、と時計を見る。休憩を入れるには微妙な時間帯だ。けど、シゲルがこの様子だ。

「シゲル。この子たちの検査、もうちょっとで終わるから待ってて。そしたら、一緒に休憩入れよう。何かおやつあったかなぁ」
「それには及ばないよ。本当に、何ともないんだ」
「そう……? なら、良いけど」

 何ともないようには全然見えないのだけれど、シゲルがそういうのならば仕方が無い。まぁ具合が悪そうならわたしが家に強制連行すれば良い話か。
 結局壁に寄りかかって心ここにあらずのシゲルは放っておいて、わたしは大切な最初の3匹たちに向き直った。

 検査の結果、全員とも健康状態は良好だった。最後にカルテに報告を書き込み、備考欄にポケモンフーズの量と種類の指定を書き込んだ。最後に少量、体と心を安定させるための投薬をした。
 薬といっても、ポケモンの強さを左右するほどのものじゃない。数週間で完全に対外へ排出されてしまう、おまじないレベルのもの。修行の旅に伴うストレスや疲れから急に体調を崩さないため、ポケモンを補助する薬だ。
 シゲルはさも当然という風に表情を変えないで、わたしが薬を扱うのを見ている。

 旅立ちの日、自分が受け取ったポケモンがこんなに注意を払って選び出されたポケモンだったなんて思ってもいなかったな。ましてや投薬まで。
 ポケモンに薬なんて、不自然な気もする。でも今の、この研究所の一員となったわたしには必要性が分かる。
 一度旅立てばトレーナーは最悪、次の休める場所までその一匹だけで切り抜けなければいけない。それに、トレーナーとの出会いはポケモンにとって大きな変化だ。良い意味でも悪い意味でも。見知らぬ人間と出会い、見知らぬ土地へと旅立つ。本人も思ってもみない気持ちの変調があったり、体にどんな影響があってもおかしくない。これはポケモン、そしてトレーナーを守るための選択だ。

 いつの日か、わたしはこの子達を与えられる側だった。ポケモンを与えられ、送り出される立場だった。けれど旅の先に夢を見つけて、わたしはいつの間にやら与える側になったのだ。そして、見送る側に。

 マサラタウンの空はあの日と変わらない薄水色。ただ少しだけ、夏の気配がしている。




 3匹をモンスターボールへ眠らせ、ひとつひとつワゴンに乗せる。調整はひとまず終了だ。書き込んだファイルを抱えながらワゴンを押した。

「シゲルー? 起きてるー?」
「ああ……」
「出るよー?」

 今度は難しい顔をしてい黙り込んでいたシゲルは、かすかな返事を漏らしてわたしの後ろをついてきた。使い終わった部屋の電気をパチパチ押してスイッチを切る。
 暗くなった部屋で見上げたからかもしれないけれど、シゲルの顔色は正直良いとは言えなかった。

「シゲル。わたし、オーキド博士のところに報告に行くけど」
「ああ」

 意志の伝わってこない返事だったけれど、シゲルはわたしの後ろをついてきた。シゲルも博士に用事があるのかもしれない。急に手の掛かるようなった幼なじみを気にしながら、わたし達は廊下を歩いた。

「失礼します。オーキド博士、3匹とも準備万端です」
「ご苦労」

 本を片手に博士が振り返った。ファイルを渡すとざっと目を通してくれる。待っていると、パソコンの裏からロトムが飛び出して、わたしに静電気の挨拶をした。ぴりっと細かな電気が頬に走る。

「うむ。よくできておる」
「あ、ありがとうございますっ」
「どうじゃった? 初心者用ポケモンの準備は」
「……すごくおもしろかったです。あの、上手く言えないんですが、トレーナーたちのためになる仕事だと思いました」

 今回のことで感じたもの。それを一生懸命言葉にすれば、オーキド博士はとても満足そうにうなづいた。

「うむ。研究員としての自覚が大切じゃ。年齢は関係ないぞ」
「はい」
「よろしい」

 博士とわたしは頷きあってから3匹を受け渡す。3匹はオーキド博士の手から新米トレーナーたちに手渡される。わたしに出来るのはここまでだ。

「確認はもう一度ワシの方で行うが、問題は無いじゃろう。は戻りなさい」
「はい、よろしくお願いします」
「うむ」
「失礼します」

 博士の研究室を出る、去り際。わたしはそっと3匹にエールを送った。あなた達の行く先に、どうかたくさんの光がありますように。





 先にデスクに戻って日誌に取り組んでいると、シゲルが戻ってきた。さっきとは比べものにならないくらいしっかりとした足取りで。
 どうかしちゃってたシゲルは、無事、将来有望な研究員シゲルを取り戻していた。とりあえず、元に戻ってくれて良かった。なぜシゲルがあんなに考え込んでいたのか、原因は不明だけれど。
 シゲルがシゲルらしくいてくれないと、調子が狂うもの。

 隣のデスクに座り、しっかりとした目の光でパソコンを操作し始めたシゲルに、わたしは耳打ちをする。

「シゲル、今日うちにおいでよ」
「……どうして」
「いーじゃん、たまには。うちのフシギバナちゃんがシゲルに会いたがってるの」
「本当かい?」
「ごめん、うそ」

 軽口たたくと、シゲルは挑発的に「へぇ?」と言った。ほんとにこいつの眉は器用に動く。見下されても怖さも嫌な気持ちも無い。さっきの異変を思うと、シゲルらしい仕草に安心を覚えるレベルだ。

「でも来るでしょ?」
「まあね」
「やったね」

 今、思い出話がしたい気分なのと言ったら、君は、……サトシは笑うだろうか。
 いや、きっとこの切なさはサトシには通じない。だって彼はまだ、旅の途中だ。旅の出来事は
彼にとってまだ思い出じゃなく、現在進行形の出来事なのだ。ますます、切なくなっちゃうね。わたしはサトシよりちょっぴりオトナになってしまったのだ。ほんと、悲しいや。