チャラターヌ博士と恋するマサラの研究員


 やっぱり夏が近づいている。研究所までの道のりで浴びる朝日がだんだんと強くなっている気がした。そして研究所の中に入ると冷たい空気にほっと一息をつく。明日からもう完全に半袖のシャツに切り替えてよさそうだ。

 白衣を整えながら自分の机に向かうと、そこにオーキド博士がコーヒー片手にたたずんでいた。

「博士、おはようございます」
「おお、来たか。おはよう」
「何かご用ですか?」
「うむ。今日は特別に頼みたいことがあってな」
「頼みたいこと?」

 オーキド博士から、直々の頼みごと。急に緊張してきてしまい、わたしは揺れてしまう手で白衣を整えた。

「何でしょうか?」
「昨日、君に3匹のポケモンを検査してもらったじゃろう」
「はい。ヒトカゲ、ゼニガメ、フシギダネのことですよね?」
「そうじゃ。その3匹を誰に手渡すか覚えておるか?」
「えっと……」

 あの3匹の、最初の面倒を見たのはわたしだ。ちゃんと引継の書類だって書いた。あの3匹のもらい手となるトレーナーはまだ決まっていなかったはず。
 けれど、受け渡し先についてはしっかりと書類に書いてあった。

「カロス地方にあるプラターヌ研究所ですよね?」
「よしよし。その通りじゃ」

 そう、あの初心者用ポケモンはこのマサラタウン、オーキド研究所から受け渡すポケモンではない。今回は特例で、はるか遠く、カロス地方のプラターヌ研究所の依頼で取りそろえたポケモンたちだった。

「本日10時から、そのプラターヌ研究所とポケモンの交換を行うのじゃが、やりとりをに任せようと思ってな!」
「へー、そうなんですか」

 カロス地方といえば、サトシが今、旅をしている地方だ。胸のうずきをこらえながらオーキド博士に相づちをうつ。……ん?

「って、今博士なんて言いました……?」
「受け渡しはに任せる」
「……、え?」

 急な話すぎて、上手く反応出来ない。けれど直感で大きなことを言われているのが分かる。白衣の下がびっしょりだ。

「わ、わたし、ですか?」
「そうじゃ! 何、心配はいらない。あの3匹について一番知っているのはじゃからな。それじゃ、頼んだぞ」

 わたしに出来るんでしょうか、と問いただす前に博士はぽんっとわたしの肩を叩いて、笑って出ていってしまった。
 本日10時から、プラターヌ研究所とのやりとり……。時計を見ると50分後にそれはやってくる、らしい。

 ポケモン図鑑の更新・監修したり、ポケモンの種類を記録したり。ポケモンを種族というとても大きなくくりで見て総合的な研究を進めている。それがわたしがお世話になっているオーキド研究所だ。
 対してプラターヌ研究所は、ポケモンの進化にまつわる研究に特化している。特にメガシンカの分野における第一人者で権威だ。
 従来の進化と全く異なる、新しい進化・メガシンカ。そのメガシンカの謎にかかんに切り込んで、鋭い研究を続けているプラターヌ研究所。わたしがプラターヌチームに抱いているイメージ。それは“大胆不敵”である。

 つまり。今日のやりとりがすごく怖い。

「はぁ……」

 別に悪人とやりとりするわけじゃないのに、用意を進める間もわたしの体はガチガチに固まっていた。
 深呼吸、深呼吸。やっぱりだめだ、緊張する……!
 しっかりしなくちゃ。わたしはオーキド研究所の代表者として。あ、だめだこれの路線はもっと緊張する。

 そうじゃ、なくて。わたしは、わたしは……。目を閉じて、オーキド博士の言葉を思い出して三回となえる。

「あの3匹について一番知っているのはわたし、あの3匹について一番知っているのはわたし、あの3匹について一番知っているのは、わたし……」

 まだじんわりと汗はかいている。けれど、やらなくちゃという気持ちは自分の中に見いだすことができた。
 みっつのモンスターボールを用意して書類を確認していれば、10時ぴったりにコールが入る。びくりと大げさに肩をはねさせてしまった。
 大丈夫。電話をとるのと同じだ。ひとつ大きな深呼吸をして、わたしはコールを受け取った。

「え……」

 パッと画面に映ったのは、見慣れた男性の顔だった。けど実際に会ったことはない。新聞やニュースの中で幾度となく見た、整った顔が笑顔を浮かべた。

「やぁ!」
「え、え……」
「私はプラターヌ」

 存じ上げております。メガシンカについて浅い知識しかないわたしでも、プラターヌ博士の顔は知っていた。
 カロス地方を代表する研究者であることもそうだけど、プラターヌ博士自身が研究者として、ううんふつうの男性の中でも珍しいくらい、色香を放つ大人の男性の風貌をしているからだ。一言でいうととてもモテそうである。

 しかし。まさかご本人が出てくるとは思わなかった。笑顔のプラターヌ博士にすでに圧倒されつつ、わたしは背筋を伸ばした。

「あの、おはようございます。わたしはオーキド研究所のです」
ちゃんだねー! 今日はよろしく!」
「はい、よ、よろしくお願いします……!」
「じゃあ君のペースでどうぞ。初めてよー」
「えと。やっぱり、プラターヌ博士が直々に、なんですか?」
「ん? いけないかい?」
「い、いえ……。あの、やっぱりオーキド博士を呼んできましょうか?」
「どうして? 君が出てきたということは、君が適任だからだよね?」

 でも、と口ごもる。オーキド博士はやりとりをするのがプラターヌ博士本人だと知っていたら、通信役にわたしを指名しなかったと思うのだ。

「否定しないなら、君がふさわしいんじゃないのかな。君は今回の3匹について、何の責任も持たない人間なのかい?」
「いえ、そんなことは……」
「じゃあ何かをしたんだよね。じゃあ報告してよー」
「この3匹の調整をしました。けど……」
「もしかして私が立ち会うには事が小さいとでも思っているのかい。私はこのやりとりはとても意義のあるものだと思っているんだよー! 君もそうだよね? 責任は持っているんだよね?」
「それは、もちろん」
「ならば君と直接やりとりするのは素晴らしいことだ。だって3匹の面倒を見たのは君なんだろう? さあ、続けなよ。ちゃん」

 画面の向こうで、プラターヌ博士が足を組み直したのが分かった。

「どんな子たちと出会えるのか、とっても楽しみだよ!」

 穏やかに笑っているのに、なぜか逃げられないと思った。わたしはひとつ大きな深呼吸をして、同じ呪文をとなえる。
 あの3匹について一番知っているのはわたし。現時点では。

「じゃあまず、3匹の個体について説明をしますね。スキャンしたものを送ります」





 資料を読み上げて、博士からの質問に答えて、3匹を受け渡す。そして代わりにカロス地方の初心者用ポケモンを3匹。ハリマロン、ケロマツ、フォッコを受け取って、説明を受ける。
 そんな、ほんの十分前後のやりとりだったのに、話し終わるとのどはからからに乾いていた。熱中症寸前みたいに体に熱がたまっている。

「ありがとう」

 また体が熱くなる。ほぼ限界のわたしに、プラターヌ博士のその言葉は追い打ちのようだった。

「3匹を扱ったのは短期間だったろうに。こんなに丁寧な診断書をつけて貰えて助かるよー!すぐに手放す予定のポケモンだと思っていたらこの仕事はできないね。基本の能力値の他に、体温、癖、技、大まかな身体能力までありがとう。それに好きな食べ物まで報告があるとは思わなかった!」
「あ、いえ……」
「ありがとう、ちゃん。君はオーキド研究所で他には何を?」

 体が熱いのに、頭だけはさっと冷えていくようだった。プラターヌ博士ほどすごい人に聞かれて、それにふさわしい答え、それほどの実力はわたしは持っていない。

「えっと……、みなさんのお手伝いが多いです。あとは、オーキド研究所でお預かりしているポケモンたちのお世話を」
「なるほど。その中にこういったポケモンの記録が含まれているわけだ。それでこの書類もここまで細かく書けるんだね。良いものを見せて貰ったなー。それに、君の字はとってもキュートだね」

 ん? キュート、わたしの字がキュート?

「もちろん君自身もキュートだ。ものすごく」

 キュートとか。そんなこと言われ慣れていないわたしだけど、あまりにプラターヌ博士がよく言ってそうな慣れた口ぶりだ。だからからかわたし、思ったより平気だ。

「あ、ありがとうございます?」
「君もポケモンと旅をしたことがあるのかい?」
「あります。カントー地方だけですが、一応」
「そうか! じゃあカロス地方に来たことは無いんだね! そうだ一度こちらにおいでよ! トレーナーとしてではなく、そちらの研究所の代表として」
「えええ……?まず、わたしは代表になれるものじゃ……。それにオーキド博士に聞かないと」
「まあ話を聞きなさい」

 とにかくすらすらと喋って、口達者なプラターヌ博士。対して、頭を回しながらそれについていくだけで必死なわたし。
 頭脳の差だってものすごくあるのに、この状況でプラターヌ博士の話を聞いてしまった。それが、後から思えばそもそもの間違いだった。

「私たち、お互いの研究所はポケモンの謎を解き明かすために今まで以上に協力し合うことが必要不可欠だ。それはちゃんも賛成してくれるよね?」
「そう、ですね」

 プラターヌ博士は間違ったことは言っていない。ぎこちなくうなずく。

「じゃあ、僕からオーキド博士に話しをさせてもらうよ! ちゃん、今日はありがとう。3匹は大切にするよ。カロスの初心者用ポケモンたちもよろしく頼むよ! それじゃあね! カロスで会えるのを楽しみにしてるよ!」

 うなずいたが最後だった。プラターヌ博士は甘い笑顔を浮かべたて、またもすらすらすらーっと言葉を並べた。わたしがその言葉の全部を飲み込む前に、博士の笑顔は甘さを深めて、そしてぷっつりと通信は途絶えてしまった。

 通信機の前で、わたしはぽかんと口を開けている。
 あれ……。プラターヌ博士、なんて言った? カロスで、会えるのを?

 廊下からすたすたと早足で近づく音がして、すぐにシゲルの声がまっすぐにわたしの背中に当たる。

! さっきそこで聞いたんだけど、カロス地方に行くって」

 シゲルの声はそこで途切れた。ぎこちなく振り返ったわたしのいっぱいいっぱいな顔を見て、なんだ、本当なのか、と吐き捨てられた。

 プラターヌ博士もオーキド博士もシゲルも。待ってよ話が早すぎる。