シゲルと真夏の調査隊


 うっまぶしい。くらくらする。上からも下からも照りつける海の日差しにわたしはひるんだ。これでもカントーを旅したトレーナーだった。けれどいつの間にかこの体は、研究員にふさわしいインドア体質になってしまったようだ。
 それでも今日は、マサラの南にある海で、わたしにはすべきことがある。それは夏の海を満喫すること! ……ではない。

 オーキド研究所の数名で乗り出した21ばんすいどう。それぞれの手に握られるのは釣り竿だ。
 本日のリーダーである研究員が手を挙げて、周りの注目を集めた。

「はーい。それではこれより本年度第二回となる21ばんすいどう水中に生息するポケモンの定期調査を行います」

 説明の通りである。今日はここで、年に4回の定期調査を行うのだ。内容は簡単。とりあえず釣って釣って釣りまくって、そして釣る。ここに住むポケモンに変化がないか調べるのが目的だ。

 はーい、とやる気の薄い声。オーキド研究所の面々、もとい今回のメンバーは研究を仕事に選んだ人たちの集まりだ。そろってかんかん照りのひざしの下が苦手なのである。

「みなさん、お手元に釣り竿はありますか?」

 へーい、みたいなやる気の薄い声のもと、みんなが釣り竿を高く挙げる。

「ありがとうございます。それぞれのポイントで10回のつりを行って、配ったシートに正確な記入をお願いします。
 今回は偶数回の調査ですので、とくせいの判定は必要ありませんが、分かった場合は備考欄に入力をお願いいたします。調査中はくれぐれも水分補給を忘れずに、各自体調に気をつけながら……」

 みんなが強烈な日差しに耐えているのに、リーダーは長々と説明を続ける。早く始めて早く終えてしまいたいのに。わたしは太陽をにらみつけた。
 前回、春の定期調査は少し風の強い中で釣りをした。だけど、今や真夏。白衣の下はすでにじっとり汗をかいていた。と言っても、シャツに白衣と、室内とほぼ同じ服装をしているのはわたしだけだ。他の研究員たちは半袖、アロハシャツ、または水着に着替えて今回の調査に望んでいる。
 シゲルも、堂々と水着に着替えたひとりだ。あそこまで肌をさらせたら、涼しそうではある。

「なんだい」
「いや、水着いいなーって」
「こっちは君を見ているだけで暑苦しいよ。勘弁してもらいたいね」

 だろうな、と思う。晴天下の海に白衣って、ちょっと不審者じみている。さすがに足下はサンダルだけど、ちぐはぐな服装には変わりない。

も着替えて来なよ」
「うん、一応水着は持ってきてるんだけど……」
「けど?」
「上に白衣着て、良いかな?」
「水着に白衣かい?」
「だって恥ずかしいし……」
「何が」
「察して」

 正直自分の体に自信なんてない。めちゃくちゃ太っているわけでは無いけれど、見せられる方がかわいそうだと思うレベルである。

「仕方ないなぁ、君は」

 肩をすくめ、やれやれといった仕草をすると、シゲルはカバンの中から白シャツを取り出した。こちらを哀れむ視線でシゲルが言う。

「研究所の服は汚すわけにはいかないだろ」
「貸して、くれるの……?」
「熱中症になる前に早く行きなよ」
「あ、ありがとう」

 ちょうどよくリーダーの「それでは始めてください」の声がする。もう耐えられない! わたしは木の陰へ走った。
 水着の上に羽織った、シゲルのシャツは不思議にぴったりだった。いや、普段着られるサイズではない。ただ、今の場面にぴったりなのだ。わたしの体よりひとまわり大きいサイズのシャツは、前をとめてもたっぷりと風の入る隙間があった。
 日差しを遮ってくれて、そして風も通るコレを、すぐにわたしは気に入ってしまった。

「シゲルー、ありがと。すごい涼しい」
「そっちの方がまぁ、見た目はよくなったよ。準備ができたらさっさと始めるんだね」
「いよっし。さー、どんどん釣るぞー!」
「あっ、バカ!」

 大きく振り上げた釣り竿。釣り上げる気満々だったのに、つられたのはわたしの方だった。竿の遠心力にひっぱられ、足がふらつく。

「うっわ」
!」

 とりあえず海に投げなければと思ったんだけど、今度は海へと強く引っ張られる。あ、これはだめだと諦めた時、背中にシゲルの大きな手のひらが当たって、わたしを青い海へと押し出した。
 透き通る青と、細かい泡が視界をいっぱいに広がて全身をくすぐった。すっぽりとわたしを飲み込んだ冷たさ。目を開いて驚いた。陸にいると思っていたシゲルも一緒に落ちていたのだから。
 にじむ視界の中でもシゲルが怒っているのがわかった。やってしまったなぁ、とため息をつきたい心境で、わたしは浮上した。
 水上でシゲルはわたしを待っていた。

「シゲル、その、ありがと……」

 シゲルが突き飛ばしてくれなかったら、逆に岩肌に体中を擦っていた。あの大きな手のひらは、上手い具合に深くなっている場所に落としてくれたのだ。
 わたしの手から釣り竿を奪って、シゲルは先にあがる。振り返った顔はやっぱり怒っていた。

「……、シャツ」
「あ」

 海に落ちたのだから、わたしは全身、靴までずぶ濡れて、もちろんシゲルが貸してくれたばかりのシャツもすっかり海水を吸い込んでしまっている。
 無言で手を差し伸べられる。乱暴なくらい強い力で、引っ張られ、わたしは陸で膝をついた。

「ごめん、なさい。シゲルがせっかく、貸してくれたのに……、ほんとすみません……」
「………」

 濡れた白いシャツは透けて、水着と肌の色を打ち出していた。
 しょうがない。シゲルのシャツを乾かすため。それに濡れた体では海風が急に冷たく感じられて、わたしはシャツを脱いだ。

 結局、水着になるしかないのか。もうちょっとおやつ控えめにしておけば良かった、とか、コーヒーブラックはキツくても微糖で飲めるようにならなきゃな、と後悔がぐるぐる回る。日焼けは赤くなってしまう体質なので、きっと明日は体中、水着の跡に赤くなってしまう。赤くなると服を着るのだけでも大変なんだよなぁ。それを思うとため息が出た。
 はぁ、と幸せに逃げられつつ下を見ると、去年のと同じ水着。それを着た、去年より少し違ってきた、わたしの胸。ほんの、ほんの少しだけど、一応これでも成長したのだ。

 ばっ、と頭に乗せられたのは、着慣れたわたしの白衣だ。

「やっぱり着なよ」
「なんだよ」

 シゲルは振り返らなかった。

 結局の結局、わたしは水着に白衣を着て、生態調査を続行した。おかげで体のラインも隠しつつ、全身の日焼けは回避。
 ダイエットと微糖コーヒーに挑戦するのは、また今度、困ってからすることにした。