「ランス、ランス!」
「………」
「ねえってば!」
「………」
アポロからついての特別な要望も無かったので、ランスは思うままにを扱っていた。思うままというのは基本的に放置することを指す。
ランスの興味はに無い。この家が内に抱えているであろうアポロやネイサの情報こそがランスの目的であり、という少女はそのための手段でしか無い。
ランスが睨んだ通り、この家には故・ネイサの遺品に溢れていた。今一番の興味は、ネイサの個人蔵書だ。紙が赤茶に焼けている古い本ばかりだが、どれも読みごたえのあるものばかりだった。その上、ネイサによる手書きの書き込みがあちこちに残されていて、たどればネイサの思考の連なり、移り変わり、核心に迫る様子までもが読む側に流れ込んでくる。
今も生を失っていない活字の潮に味をしめ、ここ数日、アポロ邸に来てはランスは読書に励んでいた。その間もちろんは放置されている。
最低限の仕事をなるべく早く済まし、との接触は出来る限り削って捻出した時間で、ランスは何度もネイサの書庫へ手を伸ばした。
「ランス、こっち向いて?」
「………」
を最低限の面倒しか見ていないこと、蔵書に勝手に手を出したことに対する罪悪感などランスには無い。
何かを盗られたなら、油断していた方が悪い。詐欺なら、引っかかる方が悪い。後から何を言われようとも、事前に言わなかったアポロが悪いのだ。ランスに責任を被る気は一切無かった。
「ねえねえねえ! ねーえー!!」
先ほどから続いていた要求がいっそう激しくなり、読書に障りが出てきたことでようやくランスは眉をしかめを見た。
「あのね!」
「お黙りなさい」
「おなか空いたよー」
「黙りなさいと言っているんです……。私は忙しいんです」
「忙しいの?」
「ええ。仕事中ですから」
「でも、ランスのお仕事は家政夫だよ?」
「だから何だと言うんです」
「ランス、お仕事してないじゃない」
「よく見なさい、部屋は綺麗じゃないですか」
「そうだけど……」
「必要に迫ればしますよ。今は必要じゃないから働かない。それだけです。分かればあっちへ行きなさい」
よほどおなかが空いているらしい。活字の波に戻ろうとしたランスには噛みついた。
「おなか空いたって言ってるの!」
「勝手になさい。いつものように菓子でも何でも、好きなものを食べれば良いでしょう」
「ご飯が食べたいの。今日お兄ちゃんは朝ご飯を作っていってくれなかったの」
あの男が毎朝二人ぶんの食事を用意しているのかと内心驚きつつも、ランスは本を手放さない。
「知りません」
「ランスはおなか空かないの? 何か作ってよ! それがランスのお仕事でしょ?」
「今はそれどころではありませんので」
10も年が上の者が言っているとは思えない屁理屈をこね、頑なに読書を終えたがらないランスを動かしたのは、諦めようとしたの何気ない一言だった。
「そっか、ランスはお料理ができないんだね。ランスが有能だなんてお兄ちゃん、ウソばっかり」
「………」
至って普通の、納得を表した顔で放たれたそれは決して嫌みでは無かった。
またそれがランスにたまらない刺激を与えた。彼女が自分を無能であると誤解を進めている。
「黙りなさい。わたしは有能です」
「でも、お料理……」
「黙りなさい!」
「………」
やれば良いんでしょう、やれば!
開いていた本を栞を挟まぬまま閉じ、半ばヤケクソでランスはキッチンに立った。