白無垢とサンシェイド



ランスが指示された時間よりほんの少し早くアポロ邸を出るの理由のほとんどは、アポロへの嫌悪感からだった。
重要な仕事なのだと大げさなことをのたまった。が、結局は自宅の家事を押しつけられただけ。あの男の話に乗っかってはみたが、少女の世話に未だ意味を見い出せないでいた。


「バイバイ、ランス。またあした」
「……はい」


を一人残し帰路につく。寒さが忍び寄ってきたこの季節は陽が落ちるのが早い。このごろは仕事を終える時間が必ず日没の時間と重なる。価値の分からない仕事に疲れ、暗くなった目の奥に茜色が刺さると、ランスは劣情を煽られる。私は貴重な日々を何に捧げているのだろう、と。夕焼けの色に感化され、ランスの感情はふつふつとあぶくをあげて煮えたぎる。
自分が身を捧げているのはアポロでは決して無い、サカキ様の在るロケット団だというのに。
怒りや苛立ち。強烈な飢え、のどの渇き。このままずっと水を与えられなければ、頭ごともげて憎しみの種を地面に落としそうな……。

ランスを正気に戻したのはポケットから鳴った着信音だった。


「……はい」
「私です」


先ほど苛立ちの的となっていたアポロだ。


「何のようですか」
「いえいえ、いつもの仕事のお礼を伝えようと。本当は直接伝えたかったのですが、おまえがなかなか捕まらないので」


自分がアポロを避けて行動しているのを見越しての言葉だと、ランスには分かった。
柔和だか狡猾な声色。アポロの顔は見えないが、彼が蛇のような笑みを浮かべているのは明らかだ。


「手間をかけてしまって。すみません」
「良いのですよ。おまえはよくやってくれています。しかし……、ヘルガーとデルビルのブラシ掛けを怠ってはいませんか?」
「確かにやっていませんが、そんなところまで手は回りませんよ。あなたのポケモンでしょう。自分で面倒を見てください」
「おや、私がおまえに与えたのはの相手と家の周りについての仕事ですよ。ヘルガーたちのことも最初からおまえの仕事です」
「……分かりました、分かりましたよ」
「それと、にチルットを与えたようですね」


今更その連絡か。チルットを知るのが遅すぎやしないか?
眉根を押さえながら会話を続ける。


「それが何か?」
「いいえ、責めているわけではないんですよ。ただあなたの口から事の次第を聞いておきたいのです」
「……大した理由は。遊び相手が必要だと思ったんです」
「ヘルガーやデルビルがいるじゃありませんか」
「アポロ、言いたくは無いのですがあれはの趣味ではありません」
「ふむ」


実際に彼女がほしがったのはチルタリスやミミロップだった。ふわふわと、優しげな見た目のポケモンだ。実際チルタリスもミミロップもその可愛いらしさとは裏腹に高い戦闘力を持っているポケモンなのだが、は完全に見た目で選んでいるだろう。少女らしい趣向だ。


「彼女が欲しがったもので。何か、不都合でも?」
「いいえ。ただ――、チルタリスに進化したら私に連絡をください」
「なぜ?」
「面倒なようなら連絡はいりません。その代わり、チルタリスになったら片方の羽の先に刃を入れてやりなさい」
「刃、ですか」
「ええ。ハサミで少し切るだけで良いですよ」
「………」


鳥が片方の羽の先を切られたら。どうなるかをランスは知っていた。
動物園の鳥と同じだ。羽が左右対称でなくなった鳥は飛べなくなる。チルタリスも同じく、見せ物の鳥となるだろう。

チルタリスに乗って空を飛びたいの。それでは虹を見つけるの。の無邪気な声が狙ったように顔を出す。
チルタリスに乗って空を飛びたいの。それでは虹を見つけるの……。


「では、よろしくお願いします」


絶句したランスを気にもとめず、切られた着信。
あなたがどう思うのかは関係無いのですよと、アポロにそう囁かれた気がした。