白無垢とサンシェイド



アポロ邸は平和に満ちている。周辺に放たれているヘルガーやデルビルの警備があるからだ。来客は無い。ヘルガーたちが相手にしないような弱いポケモンたちならばよく顔を見せた。

が庭でチルットを育てている間、ランスは家の中を物色して回った。
一通りの部屋を覗き、引き出しを順に開け、手紙なども漁ってみたが、ロケット団の誰もが入ったことがないというのは本当のようだった。リビングスペース以外はネイサやアポロの私物で溢れかえっている。すべて無防備な状態で、だ。捨ておかれていると言っても良いくらいだ。
普通、人が訪れるような場所ならこんな風にはしておけない。盗まれる可能性が無いゆえに、放っておけるのだろう。

机上に積んであるものにいくつか目を通してみたが、どれも実際に現場に投入されれば、万歳を三唱して喜ぶであろう構想が記されていた。
専門の者から見れば、宝が転がっているのと同じ状況だ。ランスにとっても信じられない光景だった。同時に不可解な光景であった。
何故アポロはこの父の遺産を眠らせているのか。

正義を騙る人間からは隠しておくべき技術が家のなかには乱雑に放置されている。
ファイルをひとつ手に取ってみる。ランスの喉がごくりと鳴った。これをサカキが知ったら何と言うだろう。


「そこにいましたか」
「――っアポロ!」


家主が廊下の暗がりから笑っている。
嫌な汗が吹き出すのを感じつつ、ランスは速やか手に取ったファイルを置いた。


「どうしたんですか今日は。いつもはもっと遅いでしょう」
「おや。驚かせたようですみません。少し早く戻りまして。……おまえは案外仕事熱心だったんですね。奥の部屋まで気にかけたりして」
「いえ」
「ふふ」


アポロが短く漏らした笑い声でランスの滲んだ汗は冷えきった。


はどこでしょう」
「庭にいませんでしたか?」
「外ですか。珍しい。ランス、案内してください」
「はい」


しばらくは逆らえないと悟ったランスは大人しくアポロの先を歩いた。




「……お兄ちゃん!」

「お兄ちゃん、お兄ちゃん! おかえりなさい! どうしたの? 今日は早いんだね!」
「良い子にしてましたか」
「もちろん。してたよ」


太陽が微睡みかけた空で家に戻った兄。二人の再会は一見美しい絵画のようだった。


「さあ、お兄ちゃんにいつものをお願いします」
「はぁーい」


瞬間、ランスは舌の根から沸き上がるような吐き気を覚えた。
がアポロの頬にキスをしたのだ。

もちろん頬へのキスが軽いスキンシップの部類に入る。だがランスは吐き気を押さえられなかった。アポロとという組み合わせ。二人が兄妹であること。何よりアポロがにキスを教え込んでいることがランスの胸をムカつかせた。


「ランスどうしたの?」
「いいえ、少し驚いただけです」
「おまえもあからさまな顔をしますね。キスくらいでなんです」
「本当に驚いただけですよ! すみません、価値観は人それぞれだとは分かっていますが、……何でもありません」
「羨ましいのですか?」
「断じて違います」
「ランス、うらやましいの?」
「愛し合う家族だからこそできることですしね」
「違うと言っているでしょう!」


兄とランスが何やら言い合っている。アポロの方は楽しげであるが、ランスは顔から不愉快さが滲んでいる。
この場をどうしたら良いのだろう。幼いなりに考えたことを言ってみる。


「ランスにもチューしたら良いの?」


いけません!
いりません!
二つの男の声が夕暮れの庭に重なった。







「食事はまだですか」
「うるさいですね! 今やってますよ、今!」


いつも脳天気さが憎たらしいだったが、今日はその笑顔は一段と輝いていた。兄が家に早く帰ってきたとなると、は文字通りランスの周りを走りながら喜んだ。


「いい加減落ち着いてください! ナイフが刺さっても知りませんよ!」
「ランスこわーい!」


ランスにとってはが怖い。妙にひっついてきて、煩わしい。不意に蹴ってしまいたくなるが、すぐ近くにアポロがいる。
妹に危害を与えたとなったらアポロがどんな反応を示すか分からない。
またをクローゼットに仕舞うなりして利己的に振る舞いたい。けれどそれをすると自分の身が危ない。
二つの考えで揺られながら調理に取り組むのは至難のわざであった。


「ランス、もっと大盛りにして!」
「もっとですか?」
「うん。お兄ちゃんはもーっといっぱい食べるよ!」
「とてもそうは見えませんが」
「あのね、威厳のためにいっぱい食べるんだって」
「威厳?」
「サカキさまはお体も大きくて強そうでしょ? お兄ちゃんもそうなりたいんだって」


なるほど、とランスは納得した。
確かにあの男はもう少し恰幅があった方が、幹部らしくなる。


「それにお兄ちゃんは忙しいからいっぱい食べるの。だって、未来の幹部さんなんだよ?」
「言っておきますがね、私も未来の幹部ですから」
「そうだったの!?」
「……もう向こうへ行っててください。邪魔ですから」


を無事に追い払い息をつく。
アポロが自らの見た目を気にしていたのは意外であった。ふと顔を上げると夜の窓にランスの顔が映った。整っている自負のある、鏡で見慣れた顔。
しかし本当にいつか自分はロケット団という大きな組織をまとめられるのだろうか。そう問いかけると窓に映る男は不安の影を表情に見せたのだった。