たまには一緒に食事とるように言われ、ランスはアポロ家の夕餉に参加した。
見るからに細そうな食道にアポロはパンを押し込んだ。ぐいぐいと音がしそうなほどに無理矢理で、吐き気を押し殺す様は見ているランスが食欲を失うほどの酷い形相であった。
「無理のし過ぎでは」
「おまえはっ、心配のし過ぎです……、っぐ」
「はぁ……。幹部教育の賜物なんですかね」
「いいえ、私の意地です」
「お兄ちゃん。はい、おみず」
「ありが、とう、」
「だいじょうぶ?」
「平気ですよ」
心配する妹に兄はできる限りの笑みを返した。
ランスは思わず目を見張る。その表情はランスの見知っているアポロのものではなかった。組織でいやらしいアドバンテージを握る憎たらしいアポロではない。見下すべき市民に落ちぶれた、青年アポロの笑みがそこにはあった。
彼は今、心安らいでいるのだ。妹の存在によって。寄り添った妹がこの家を帰る場所にし、アポロを人間に戻し、一家庭の兄の顔をさせる。
食欲が完全に失せたランスは食事の残りを捨て、食器を流しに出した。
「どうしたんですか?」
「アポロ。私はもう帰ります」
「いいえ。おまえには話しておきたいことがあります。もう少し待ってなさい」
「……今じゃいけませんか」
「私の部屋で話しましょう」
「分かりました。待ちますからとっとと食べてくださいね」
「どうぞ、おまえの家だと思ってくつろいでください」
アポロの発言はいつも狙いすましたようにランスのかんに触る。家族の時間はランスにとって薄ら寒いだけだ。加えて気色の悪いものも見てしまった。くつろげるはずがない。
「先に部屋で待ってます」
リビングの新聞だけを手に取り、ランスはアポロの自室へ向かった。
やがて部屋に近づく足音が聞こえてくる。新聞をたたみ、立つ。ランスにとってアポロは座したまま迎えられる人間ではない。
内密に話がしたいと言われたのだ。事前に警告を受けたに同じだ。
現れたアポロ。第一声はたっぷりと余裕をもって告げられた。
「こそどろのまねはたのしいですか?」
やはりバレていたのだ。ランスが半身引いて警戒の体勢をとる。
奥の間にいるのを見られているのだ。予想の内ではあった。ただニタつくアポロの余裕が恐ろしい。
「いえ、責めてはいませんよ。家を漁られるのは構わない。その大胆さは評価します」
「追い出されると思いましたが」
「主な利権は別の人間に頼んであります。父の遺産に、すぐお金になるものはもうありませんよ。それでも良いのであれば自由にしてください。おまえが手間暇かけて投資してくれるのならむしろ有り難いことです」
「喰えない男ですね」
「――前の家事手伝いの首を切ったのは」
嫌みに静かな歩きと共にアポロは語る。
「彼らが余計な同情をしたからです。私があまり多量の仕事を与えないからですかね。皆、次第にが可哀想になってくるようで」
「………」
「まったく。汚らわしい。なかなか腹立たしいものですよ、安い同情というやつは」
家から掃き出したかつての家事手伝いたちは思い出すだけでアポロの吐き気を煽る。めまいを押し込め深く腰掛けると、椅子に体重を吸われる感覚に陥った。
「自らがおろそかであるというのに私たちに手を出す、彼らのようなバカではないと踏んだからおまえを選んだのです。失望させないでくださいよ」
「失望させないでください? それはこっちのセリフです!」
おや、と胸の内でつぶやく。ランスから反撃の気配を感じ、アポロは組んだ手で口元を隠した。
「貴方はたかが家族さえ犠牲に出来ない。その程度の男だ」
「違いますよ」
「どこが違うというのです。あなたはをここに幽閉し、団から隠しています!」
「ランス……」
「嘆かわしい。はネイサ様の娘だ。いくらでも利用価値があるのに、それを考えないあなたが次期幹部? ロケット団の未来が嘆かわしいですよ」
「………」
「貴方はロケット団にすべてを捧げるべき身です。なのにどうして妹を捧げようとはしないのですか」
これでもかというばかりにのことをつつく。初めて今の仕事を持ち出してきた時、自分が軽くたしなめられた時の恨みをランスは忘れていなかった。
自分に従い、恩を売れ。見下しの視線でそう言われた屈辱が、ランスの腹中に怒りへ変わって根ざしている。いつか、彼が言う恩とやらでその首を絞めてやると決めていた。
「……ランス、おまえは勘違いをしています。私ももちろんの身振りはよく考えていますよ」
「そうですか。なら言ってみてください。今、ここで!」
アポロの妹への執着を暴くこと。それがこの男を苦しめることに繋がるのだランスは確信して疑わなかった。強い確信が、アポロに切り返される隙を作っていることに気づかずに。
「もう少し、段階を踏んで伝えるつもりだったんですが……」
「何です」
もったいぶった口調で言い訳を繕っていると思って急かす。
「私はおまえとを婚約させようと考えています」
「は……?」
「なってくれますね、の夫に」
「ま、待って下さい」
「おまえとを婚約させたいのです」
「いきなり、何ですか!」
何年ぶりだろう。ランスの舌がもつれたのは。
「本気で私とを?」
「私は至ってまじめですよ。特段急拵えの話というわけでは」
「それは貴方の中でだけでしょう! ……私は下っ端だ」
「おや将来は幹部なのでしょう?」
「揚げ足をとるのはやめてください!」
自分の席についたままのアポロと、扉の方へ後ずさったランス。今夜の結果はもう見えていた。
「反吐が出る。気持ちの悪いことに私を利用するな!」
狼狽えたランスのわめきはアポロ邸の庭に、デルビルの遠吠えよりもずっと情けなかった。