リビングから子供ひとり分の足音が駆け出す。
ランスも遅れて行くとアポロはを抱きかかえいつもより優しい横顔での瞳をのぞき込んでいる。
「お兄ちゃんおかえり!」
「ただいま帰りました。良い子にしていましたか」
「もちろん!」
「どうしたんです。ずいぶん早いじゃないですか」
「シルバーさまがいらっしゃるようなので」
その言葉は全くそのままの意味を持つのだろう。
今日のアポロはシルバーの存在を危惧して帰宅時間を早めたようだ。
アポロはを抱いたままリビングへ移動する。
「こんばんは、シルバーさま」
アポロの挨拶にシルバーの返事は聞こえて来なかった。かまわずアポロはに向き直る。
「、いつものキスを」
「えー?」
「どうしたんです」
「だって、シルバーくんがいるのに。恥ずかしいよ……」
「。いつもしていることでしょう」
「えー……」
「早く」
「あ、そうだ。だめなの。今ばい菌持ってるからキスはだめなの」
「大人だから大丈夫です。ください」
頑固な兄についに押し負けてはシルバーをちらりと見てから、触れる部分が見えないようにキスをした。
シルバーの存在が効いたのだろう。はすぐに耳まで赤くすると全身で兄をふりほどいて部屋を出ていってしまった。
を名残惜しく指先を伸ばしたアポロだが、すぐにシルバーに挑発的な笑みで向き直る。
「あなたさまは確かにサカキさまのご子息でいらっしゃる。しかし、私はお前がただの男であることを一時たりとも忘れませんよ」
「……アポロ!」
元々目つきの悪いもの同士の睨み合い。
両者の間に火花が散るのが見えてランスは呆れ返った。
「……に手を出したら承知しませんよ」
大まじめにそんなことを言う兄をシルバーはフン、と鼻を鳴らし退室していった。
シルバーが廊下の奥へ消えるまで、アポロが目は鋭い光を宿したままだった。
「なんですか、ランス」
「一人の男としてあなたを軽蔑してます。本当に、シルバー様がいらっしゃるから帰ってきたんですね。のために。あんな子供相手に。大人げないと思わないんですか」
「笑いたければ笑ってください」
「笑えませんよ、気持ち悪くて。もう2枚、皮を被っておいた方が良いのでは? とてもそんな面の男が幹部になれるとは思わない」
「ご忠告をどうも」
アポロは涼しい顔で廊下の明かりを点灯させる。どうやらとシルバーの行方が気になるようだ。
「随分アナログタイプの監視をされるんですね」
「自分の手で行うというのは良いことです。己の経験値になりますし、なにより確実です」
ふたりを見つけたらしい。鞄を下ろしコートを脱ぎ、手首のボタンをはずしながらもアポロは廊下の奥へ視線を流すのを止めない。
「そんなに妹が大切なら計らってやるという愛情もあるんじゃないですか」
「計らってやるというのは?」
「恋路を見守ってやるとか」
「馬鹿馬鹿しい」
アポロは疲れたような息と共に吐き捨てる。
「シルバーさまですよ。サカキさまの嫡男として生まれた以上、うちのとなど。そんな内輪向けの結婚をサカキさまがさせると思いますか。私ならさせません。部下の家族となんて結婚させていたらロケット団の体制が危ういと周りに言い触らすようなものですよ。永遠にありえない事です」
「………」
「にいたずらな期待を抱かせてどうするんです」
アポロの述べた言葉は新鮮な心地がした。個人的な嫉妬でシルバーとを監視しているのかと思えば、述べられたのは外的要因ばかりだ。
「貴方個人のエゴじゃないんですね」
そう漏らすとアポロは嘲笑を交えて付け加えた。もちろん私も許すつもりはありませんと。
そうアポロは分かりきっていることをわざわざ言う。どうせ誰とだって許すつもりは無いのだろう。呆れから来るため息がまたランスの口を突いて出た。
「この前の貴方の発言は察するに、“一生妹と結婚しないような婚約者をつけておきたい”ということで間違いありませんか」
「ええ! 物わかりが良くて助かります」
「散々単純な思考を見せつけておいて。これくらい分からなくてどうするんですか」
「そうですね。是非、堪能してください。次期幹部の妹との婚約を。周囲の貴方を見る目が変わりますよ!」
機嫌良く言葉を放つアポロはランスが断りを入れる可能性など欠片も頭に無いようだった。
「さて。コートと鞄は私の部屋に運んでおいてください。今夜は気を抜けませんので」
少し肩を回した後、アポロは監視を止め廊下に出た。
仕方なしにアポロが部屋に置いていったものを拾い上げ部屋へと運ぶ。
ランスの耳に、兄を装った男の声が響く。
そちらの部屋は寒いです。遊ぶならリビングになさい。隠れたりしないで。私の目の届くところにいてくださいよ。