シルバーに会った翌日のは分かりやすく上機嫌だった。意味無く踊ったり体を揺さぶったり、クッションを抱き抱えたまま笑ったりランスを大いに気味悪がらせた。
いつもはにひっついて回るチルットも今日は主人の異変を感じて少し距離を取っている。
「随分なテンションですね」
「もどうしてか分からない! けど、うれしいんだもんっ」
シルバーくん、と熱に浮かされた声で呟いたかと思うと両足をじたばたさせソファからホコリを叩き上げる。
そんな様子のにランスは冷めた視線をやる。
彼女は兄の思惑をいつ知るのだろう。
幸せな恋に浮ついているを見ていると、今日ばかりは煩わしいという感情が起きてこなかった。作戦決行の今日ばかりは。
「」
なんとなしに呼んでみる。思ったより優しい声が出た。
「なに?」
クッションに擦られて赤くなった顔がランスを見上げる。わざわざ言うこともないのだが、ランスは薄笑いと共に告げた。
「私はこれから貴女を誘拐します」
「ゆうかい?」
「ピクニックに連れていってあげます」
「ぴ、ぴくにっく……!」
誘拐の言葉を知らなかったのか、ピクニックという言葉の輝きがの記憶を吹き飛ばしたのか。は瞳を輝かせる。ソファの上をのたのたと移動しランスに詰め寄る。
「ほんと? うそじゃない?」
「本当です」
「それって、今から?」
「明日からです」
「今からじゃないの?」
「準備が必要ですから。それにピクニックの時間は長い方が良いですよね?」
「うん」
「だったら明日の朝一番に出れば良い」
甘い響きに小さなのどがこくりと鳴った。
の目はとろんとピクニックを夢見ていた。が、大事な事を思い出してに顔を暗くする。
「ねぇ、ほんとうのほんとう?」
「何度も言わせないでください」
「でもお兄ちゃんはきっとだめって言うよ……?」
「だからアポロに内緒で行きましょう。私が協力しますからバレませんよ」
「そ、っかぁ……!」
単純なはランスの言葉を信じきったようだった。
明日着る服、カバンの準備を見守る。
初歩的な準備くらいは勝手にやらせるつもりだった。けれど放っておくとはなんでもかんでもリュックに詰め込み、荷物は無限に大きくなっていきそうになったので今はランスが横で目を光らせている。
「どこに行きますか? 貴方の好きなところで良いですよ」
「い、いいの?」
「どうでもいいです」
「じゃあね、、ミミロルがほしいの! ミミロルがいるところが良い!」
「シンオウですか。分かりました。寒いでしょうから暖かい服を入れておいてください」
「うんっ」
そうして出来上がったカバンをは早速背負った。
楽しみで仕方がない故の行動だろう。そう思ってランスも最初は見逃したが、背中の荷物が事あるごとにランスに当たってくる。
「邪魔です降ろしてください」
「はーい……」
荷造りは無事に終えた。他に何か、しておくべきことを思案する。
せっかくを連れ去るのだから、出来る限りのことを尽くしてアポロをあざ笑ってやりたいものだ。
ランスが悪いことを考える時、天はアイデアをもたらす。
「……、。来てください。二階です」
「はーい!」
「チルットも連れて来てください」
以前この家を漁った時、ランスが見つけたものがあった。倉庫と化した部屋でホコリを被った見慣れないマシン。
その時は全く関心を持てなかったが、別室で見つけた資料でランスはマシンの正体を知った。
ポケモンの情報を急速に書き換えて、反応を起こすまで成長を促す。それは開発途中で運用を断念されたポケモン強制進化マシンだ。
「ランス?」
「こっちです。チルットは?」
「今はボールにいるよ」
「渡してください」
ポケモン育成の手間を省くこのマシンが結局実用化されなかった理由は多岐に渡る。
個体によって成功率が安定しなかったこと。特にポケモンの肉体細部をすべて均一に成長させるのは困難を極めたこと。急激に体だけを成長させたポケモンは決して戦闘で役に立つわけじゃなかったこと。むしろ自分の体の動かし方が分からず、弱体化するポケモンの方が多かったこと。
そんなデメリットの為にホコリを被っていたこのマシンへ、ランスはモンスターボールをセットした。
「ランス? 何、するの?」
「さあ?」
実際チルットがこれからどうなるか、ランスには知る由も無い。
成功しようと失敗しようとどちらもでも構わなかった。万が一の確率でもチルットがチルタリスになったなら、に空飛ぶポケモンを与えたく無いと考えるアポロへの当てつけになるだろうと思ったまでだ。
電源へ繋ぎ、仕様書きを思い出しながら数値を入力する。
足下にすり寄ったが、不安げにランスの服の裾を握った。特に気持ちを溜ることも無く、ランスはマシンを作動させる。
マシンが音を立てていたのは数分のことだった。耳鳴りのような機動音が止む。
ボールの見た目に大した変化は無いが、終わったということだろう。
「どうぞ」
「何したの?」
「さあ?」
はランスの手の中のボールを恐る恐る手に取る。
不安げにボールを見つめ、恐怖を振り切るようにボールを投げた。
ボールが割れ、出てきたのはチルットだった。なんだ失敗したのか、つまらない。ランスは眉をしかめる。
無事な姿を見て不安がほどけたの目は潤む。
「チルット、よかった!」
が抱きつこうとした時、チルットの体が光を帯びる。青い首が伸び、白い羽が膨らむ。の腕でも抱くことの出来たチルットが、今度はの背丈を越えて大きく成長する。
口を開けて驚くの目の前で、チルットは美しいチルタリスに進化した。