晴天。見事なまでの青一色で塗りあげられた空。こんなに広い空はルネでは見られない。ルネでは火山口からまん丸い空を見上げることしかできなかったけど、ここは違う。
ずうーっと続く空、その鏡のような浅瀬はトクサネならでは、だ。
「ねえ、すっごい晴れだね」
ミクリ兄さんが貸してくれたラブカスに体を預けながら、わたしは海水浴を楽しむ。なんて気持ちが良いんだろう。吹き抜ける空に、体までふーっと軽くなっていくようだった。
昨晩のことだった、兄さんが突然言いだしたのは。そうだ、トクサネへ行こう。キャッチコピーになりそうな、耳障りの良い言葉だった。
「トクサネに行くの?」
わたしは雑誌から目を離さないまま返事をした。
また何か、兄さんのジムリーダー業に関することだろうか。それともみずタイプのポケモンに関係することか。他人事のように考えて、雑誌のページをまた一枚めくる。
「ああ。ほら、も準備して!」
「え、わたしも行くの?」
「着替えに水着も忘れないように」
「しかも泊まり!?」
聞き捨てならない言葉に雑誌を放り投げ立ち上がる。すでに兄さんはきざったらしく揃えられた指先をするりと引き上げながら、ドアの向こうに消えていくところだった。追いかけて見つけた兄さんはそれはそれは楽しそうに旅行カバンを倉庫から持ち出している。
トクサネとは珍しいチョイスだ。
ホウエンではミナモや、カイナシティの方が華やかで観光地としては人気だ。一方のトクサネシティは宇宙開発の施設があることと、双子のジムリーダーが居ることは耳にしたことがあるけれど、それ以外はパッとしない孤島である。
「どーしていきなりトクサネ……って、ちょっと!」
いつの間に!!
兄の手にはわたしの水着、上下セット。
「なんだ、今年も同じ水着なのか」
水着をぶん取り返すが兄さんはあっけらかんと言う。
「一言くれれば買ってあげたのに」
「うっさい! もー! なんで勝手に持ってくるの!? 人のクローゼットを発掘するな!」
「ほら、早く用意しないと明日寝坊するよ。嗚呼、楽しみだ!」
「……楽しみって? トクサネが?」
「そうだよ」
「本当に行く気なのね?」
「もちろん! さあ、私も手伝うから!」
「っだからタンス勝手に開けないでってばー!」
ひょうひょうとした笑顔の兄。
そして次の早朝、わたしはやっぱり真意の見えない、けれど心底愉快そうな笑みを浮かべた兄にたたき起こされ、ムリヤリ手をひかれて、トクサネへと出発した。
波にぷかぷか浮かんでいると、眠気がまた体に満ちてくる。今朝、ムリヤリ起こされた名残だ。目をつぶると、昨日の夜突然思い立った兄さんの笑顔が浮かんできて、逆に目が覚める。
「あなたのご主人って、ヘンだよね。わたしのお兄ちゃんだけどさ」
腕の下でわたしを支えてくれるラブカスに思わず話しかける。
「ほんと一体どうしたんだろう。……未だにつかめないとこ、あるんだよね、ミクリ兄さんのこと」
体を浮かばせながら、ぽつぽつと兄さんのことを思い出す。
良くも悪くもミクリという人はミステリアスだ。家族のわたしにも読めないときがある。
顔は最初っから整っていた。昔から機転が聞いて、賢かった。仕草は無駄にキザったらしかった。海のポケモンと仲良しなお兄ちゃん、と思ってたら気づいた時にはアダンさんのところへ弟子入りを果たし、すぐさまトレーナーとしての腕をあげ、当然のようにジムリーダーになっていた。
涼やかな微笑のまま、なにもかもを為してしまう兄を持つわたしの心境は、……複雑なものだった。
兄さんと比べると、わたしはあまりにも凡才だ。あの人とわたしは本当に血がつながっているんだろうか、なんて。何度疑ったことか。美しい兄とわたしを見比べる視線を何度受けて、うつむいたことか。それでもわたしは兄が嫌いではない。
「ミクリ兄さんはすごく不思議。だけど、あんなミクリ兄さんのことを心から信頼してる自分のことも不思議……」
何度も言うように、兄さんはつかめない。
でもわたしはミクリ兄さんは大好き。経歴は誇らしいけど、それ以上に彼が家族として好きなのだ。
ミステリアスな中にも、ミクリ兄さんは人間でしかしないような仕草だってたくさんする。……たとえば、小指をタンスの角にぶつけて悶絶するとことか。
今あげた例はちょっとくだらなすぎるけど、そういうくだらなくて、痛いところは痛いというミクリを家族として知ることができている。だからこそあの人と同じ家で家族をやれているのだと思う。
主人の話題に関心を示すように、ラブカスが泡をはく。
「やっぱり。ラブカスにもこの気持ちが分かると思ったんだ」
彼女が体をうねらすと、ぬるい海水が優しくわたしをなでた。
ラブカスのはいた泡と会話したり、バシャバシャと、わたしとラブカスは海水の中でしばらくじゃれあったり。兄さんの突然な行動が気にながらも、わたしはトクサネの海を満喫中です。
「ーっ!」
不意に岸辺から呼ばれる。片手を振る兄がそこには居た。
「ラブカス、兄さんが呼んでるよ。帰ろう」
わたしの言葉に従って、ラブカスが旋回した。
岸に近づくにつれ、わたしはミクリ兄さんが一人でないことに気づいた。隣にはもう一人がたたずんでいる。誰だろう。若い男の人だ。ここからではハッキリと顔が見えない。だけど真夏で、しかもここは海岸だというのになのにしっかりとスーツを着ている。
きっと、兄さんの友達だろう。
ミクリ兄さんはあの人に会いにトクサネまで来たんだろうか。
どんどん二人に近づいていくのに、彼の顔はなかなかはっきりと見ることができなかった。その人の顔を見ようと思うのに、陽に当たり過ぎたのか、くらくらと目眩ばかりがした。
ほどなくして、浅瀬のぎりぎりの位置にたつミクリ兄さんたちの元に到着した。
「ずいぶん泳いでたね」
「なんか、楽しくて。今日すごい良い天気だからかな。浅瀬だからかな、ここの海はルネのより温かくて気持ち良い!」
「それは良かった。……、紹介するよ。彼はダイゴ。私の親友だ」
トクサネの太陽の下、かっちりとした服装の彼がようやくこちらを見る。
堅い表情が、海風に吹かれていた。