「し、しばらくってどれくらいですか?」
「ミクリの気が済むまで、みたいだよ」
「っダイゴさん! お電話貸してください!」
「はい、どうぞ」
内ポケットから差し出されたダイゴさんのポケナビにしがみついた。
兄さん、どういうことなの。信じられない、いきなり泊まりって言い出したのは兄さんじゃない。
あんなに楽しそうに荷造りして、朝からわたしを連れ出したのはここに置いていくためだったっていうの?
わたしをしばらくダイゴさんに預けるなんて。嘘だと言って欲しい。
無我夢中でトレーナーリストから兄さんの名前を探し出してコールする。繋がった瞬間、間髪入れずにわたしは怒りをポケナビにぶつけた。
「兄さん! どういうことなの!!」
『——悪いね。少し家を空ける用事ができたんだ』
しれっとした回答が帰ってきた。兄さんの涼しげな声は時にものすごくムカつく。
「っそんなの今まで何回もあったじゃない! どうしていきなりこういうことするの? しかも説明なし! ありえない……!」
『今回は急なことがあってね』
断言できる。絶対、嘘だ。
確かに、わたしがシャワーの間に急な連絡が入った可能性はあるかもしれない。けれどそれではわたしが泊まりの用意をしてトクサネに来た理由にならない。
いつでも話すタイミングはあったはずだ。兄さんは明らかに何も言わないという選択のもと、わたしを置いていったのだ。
『いつ帰れるかはっきりしないものだから。分かってくれないか?』
「イヤ!」
『』
言い聞かせるようなミクリ兄さんの声色。わたしはガンと反発する。
こんなのはおかしい。ミクリ兄さんはそれなりに妹を可愛がる兄である。間違っても妹をいきなり初対面の男性の家に置いていくような兄ではない。不自然だ。
「……なんでダイゴさんなの」
『私の親愛なる友人だから』
「っわたしにとっては違う! 今日初めて会った人!」
『大丈夫。私はダイゴを信用しているんだ』
何が大丈夫なのか全然分からない!
「いつもだったら、わたしにルンパッパを預けてくれるじゃない。それで、じゃあ行ってくるよってしてくれれば、わたしはそれで良かったのに……」
いきなり知らない人のお宅にお世話になるくらいなら、ルネにいたかった。例えひとりでも、お留守番はちっとも怖くないのに。
「兄さん、酷い」
知らないところ、知らない人のところにいきなり置いていくそんな判断を勝手に下した兄を酷いと思う。
『の言いたいことはわかる。けれど今までだってひとりを家に置いていくのは不安だったんだ』
「………」
『を一人にさせるくらいなら、ダイゴに預けるさ』
そこから強く反論できなくなってしまったのは、わたしの内に罪悪感があったからだ。
帰れないほど忙しくなる時には必ず、兄さんは何かあった時のために、とルンパッパをわたしに預けてくれる。明るくていつも楽しげな性格で、動作もコミカルなルンパッパがいると不安や寂しさはいつも紛れた。けれど、それが兄さんの足を引っ張っているのではないかという罪悪感は、いつだって抱いていた。
ポケモンのことはよく分からない。ルンパッパの強さとかも分からない。けど、兄さんはリーグに行くときは必ずルンパッパを連れていく。それにルンパッパが兄さんが愛し育てたポケモンには間違いない。
それを、わたしが非力なために、ルネの家に縛りつけてしまうのだ。どうやっても気にしてしまう。
「……忙しいの?」
『をダイゴに預けるくらいには』
「大変、なの?」
『ほんの少し帰れないだけさ』
本当はいやでいやでたまらない。今まで通りで良かったじゃないかと憤りが止まらない。
でも兄さんがわたしを可愛がってくれるのと同じくらい、わたしは兄さんを支えたい妹なのであった。
わたしの小さなため息。その音だけで兄は了承の色を読みとった。
『心配かけて悪いね』
「……ううん。気をつけて行ってきてね」
『ありがとう、。愛してるよ』
「はいはい」
兄の方から途切れる通信。残されたノイズに唇をかみしめた。
「……ダイゴさん、ポケナビをありがとうございました」
「ミクリと話はついた?」
「はい。わたしにとっては不本意で、ダイゴさんにとっては申し訳ないんですけど……お世話になって良いですか?」
「……うん」
頷いた顔がやっぱり固まっている。
ポケナビ、受け取る手が戸惑っている。
本当にぎこちない、ダイゴさんとわたし。
何とか生活することは出来るかもしれない。けれど、ダイゴさんの一挙一動が困難を予想させる。
かくしてダイゴさんと過ごす幾日かが始まった。