とおくのアーマルド




 翌日。わたしは無駄に大きいテレビの、複雑なリモコンと格闘していた。なんでこのリモコンこんなに多機能なのありえない!

 ダイゴさんのおうちは至って暇だ。泊まりと知ってたら何か暇つぶしを持ってきた。
 海には行きたいけど、わたしは一緒に泳いでくれるポケモンなんて持ってないし……。こうやってソファの端っこに座ってテレビを見るしかない。
 一応ダイゴさんという話し相手もいるが、彼は兄さんの友達なだけ。わたし自身とはついこの間までは赤の他人であり、世間話をするようなそんなフランクな仲ではない。


「なに見てるの?」
「……コンテストの情報無いかな、って」
「ああ、ミクリ?」
「あいつ、仕事って言ってたけどなんの仕事してるんでしょーね」
「気になるんだ?」
「そういうわけじゃ、ないけど……」


 気になるなんて可愛いものじゃない。わたしはまだ少し、兄さんのことを怒っていた。
 いきなり男の人の家に妹を預けたんだから説明くらい欲しいって思うのは、そうおかしいことじゃないだろう。


「今は小さいコンテストの時期だから中継はやらないんじゃないかな。夕方になったらニュースでまとめてやるよ、きっと」
「そうですね……」


 いくら回してもそれらしい画面にならない。こんなに多機能らしいのにどういうことだ。
 諦めてバトル中継をやっているところでチャンネルを止めた。


「あ、アーマルドだ」


 そうつぶやいたかと思うと、隣の彼の目は、分かりやすく明るくなった。


「アーマルド、好きなんですか?」
「うん、僕の好きなポケモンだよ」


 アーマルドにかなり興味があるらしい。彼は画面に視線を引きつけられたまま、自然な動作でソファの真ん中に座った。
 それは必然的にソファの端っこでだれていたわたしのすぐ隣に座ることになってしまう。

 急に近づいた、男のひと。そっとわたしは足をより小さく畳んだ。
 ダイゴさんの家なんだから、文句は言えない。


ちゃんはアーマルドってどう思——」


 問いかけと共に彼が振り返ったとき、意外に近い距離にピシリ、と石になった音が聞こえた。

 ダイゴさんはわたしの近くに座ったことに全く気づいていなかったようだ。どんだけアーマルドに夢中になれるんだろう。


「ごめんなさい、わたし、アーマルドは見たことないからよく分からないです」
「あ……、そっか……。結構珍しいポケモン、だもんね……」


 一気にしらけたリビング。
 座り直したと同時に、そっと距離がとられた。それはそれで、ちょっと申し訳なくなった。


「……ちゃん」
「は、はい」
「君にあげたいものが冷蔵庫の中にあるから持っておいで」


 わたしにあげたいもの?
 きょとん、としているとまたダイゴさんは唇の端を横に引っ張るだけの微笑み。
 突然のことに正直興味も、喜びすらもわいてこなかったけれど、どんなものでもここの居心地の悪さよりはマシ。わたしはソファから立ち上がった。

 この家の冷蔵庫は飲食店のキッチンに置かれていそうな銀の大きな冷蔵庫だ。なのに開けてみたら中身はごく少なかった。ほんの少しの清涼飲料と、食べかけチョコレート。なんて寂しいんだろう。
 ダイゴさんの宣言通り、目線の高さの棚にちょんと箱が乗っていた。『洋生菓子』と書かれた賞味期限入りのシールが貼ってある。

 わたしにあげたいものがあると、ダイゴさんは言っていた。箱の中身を見て、わたしはテレビの前へ走った。


「っダイゴさん!! どうしてわたしの好きな食べ物知ってるの!?」


 部屋から出ていこうとするダイゴさんを思わず引き留める。
 中身はわたしの大好きなエクレアだった。


「ミクリがよくちゃんのこと話すからだよ」
「食べて、良いんですか!?」
「うん、ちょうどおやつの時間だしね」


 喜んでもらえて良かった、とだけ言って背を向けたダイゴさんにわたしは慌てた。


「え、ちょ、ダイゴさんは食べないんですか?」
「え……?」
「もう、なんでそんなに戸惑うんですか。お皿、出して良いですよね?」
「う、うん」


 おやつ、おやつ、おやつだ! 兄さんからの不条理を受け入れた代わり、ゲットした大好きなお菓子。ダイゴさんが居なければオリジナルの鼻歌でも歌ってるところだ。

 エクレアに合わせお茶を用意し、互いにひとつずつ皿にとる。
 満を持してわたしは一口目へ、かぶりつく。
 艶めく美しいチョコレート。その下で待ちかまえてる空気を捕らえたシューととろけるクリーム。歯をたてたときにチョコがパリと柔らかく折れクリームがあふれてくるこの瞬間が至福だ。

 大好きなエクレアをほおばるわたしを見て、ダイゴさんが少し笑っている。


「クリーム、ついちゃってます?」
「え、あ、いや、そうじゃなくて……」
「じゃあなんで笑ったんですか」
「それは……ちゃんが嬉しそうに食べるからだよ」


 この人の笑顔はいままで全部、“少しだけ”。兄さんとはどつきあって笑っていたけどわたしの前でこぼすのはちょっぴりの笑顔だ。
 元からそういう人なんだろう、たぶん。兄さんが引き出したダイゴさんの笑顔のがきっとレアなんだ。

 ダイゴさんは弱くも、優しいひとのようだ。
 もちろん悪人だと思っていたわけじゃないけれど、ダイゴさんはわたしの前では感情表現が乏しくて、正直掴みにくい人だ。
 エクレアひとつもらっただけだけど、優しいひとなのは間違ってはいないだろう。


「昨日から疑問だったんですけれど、ダイゴさんって何してるひとなんですか?」
「何って、例えば?」
「お仕事は?」
「ないよ」
「……もしかしてニートってやつですか」
「ニート。うん、ニートみたいなものかな」


 まさかね、と冗談で出した言葉にダイゴさんは反論してくれなかった。
 クリームにとろけていたほっぺたがひきつる。


「やってることはニートだね。けど正式に会社からもらったお休みだよ。僕にしか出来ないことは、僕に回ってくるからね。そういうのだけは、手伝ってる」
「へ、へえー」


 なんと羨ましい立場だろう。ダイゴさんのそれは、わたしの持ってる仕事観とかけ離れている。
 その仕事に関われたことに誇りを持って臨みなさい。そんな態度が肝心だとわたしは兄さんから再三聞かされている。けれどダイゴさんのスタンスはこうだ。「どうしても僕にしかできないことがあったら言って。やるから」。偉そうな人間だ。本当に偉い立場の人なのかもしれないけど。


「それでやってけるんですか?」
「僕は一生働かなくても生きていけるくらいのお金はあるし。ポケモントレーナーもやめたつもりは無い」
「……そうですか」


 最初から貧乏そうには見えなかった。けれど一生働かなくていいなんて断言できるほど、裕福な身の上なのも予想外だ。

 ミクリ兄さんとは大違いだ。
 兄さんは身を粉にしてホウエンの様々な活動に参加している。ポケモンコンテストを盛り上げるためにミロカロスのパフォーマンスをおしげもなく披露している。その場にいる人を感動させることに尽力したりする。言ってしまえば、感動はお金にならないのに。

 ルネシティの人たちに頼られたら、喜んで自分の時間を削る兄さん。保身という言葉に一番縁遠い人で、他人のためポケモンのためコンテストのためだとか言って自分の出せるものならすぐに出してしまう。
 きっと自他ともに認める美しい容姿も、兄さんを駆り立てるひとつの原因なんだと思う。自分は恵まれているから。そういう自負が、兄さんを意外に気安い人物に押しとどめる。

 兄さんの親友だという目の前の男。
 大きな富と自分の時間を甘受する身綺麗な彼は、違う世界の人だ。大好きな甘味と同時に噛みしめたのはダイゴさんとの距離だった。