うたたねキルリア


 前回の一件で、わたしが覚えたこと。出かける前はダイゴさんに一声かけること。


「ダイゴさーん?」


 彼を呼ぶ声は家の中でむなしく響く。広い家だから余計にもの悲しい。


「ダイゴさん?」


 やはり空振り。この家はどこかに家主がいるとは思えない静けさに包まれている。もしかしたら知らない間に出かけたのかもしれない。

 別にダイゴさんがいないからって寂しくはない。わたしはとっくのとうにポケモンを持って良い年齢をすぎて、世間で言えば一人前だ。

 寂しくなんてない。けれど不便さを感じるくらいにはわたしはほっとかれている。
 途方に暮れてふう、と息が出た。


ちゃん。こっちだよ」
「っきゃ!」


 誰もいないはずのリビングで、確かに聞こえたダイゴさんの声。しかも結構近くから聞こえた、と思うのだけどダイゴさんの姿が見あたらない。
 からくりが分からずわたしは恐怖を覚えながら辺りを見回した。


「えっ、ど、どこですか!?」
「ここだよ」


 だから! どこ!
 近い、それも絶対同じ空間にいるはずなのに、ダイゴさんの姿はまだ見えない。


「待って、今開ける」
「え、え……?」


 そう聞こえたかと思うと、わたしのやや後ろで床が動いた。ぱっくりと冗談のように床がはがされて、薄水色の頭が何の気もなしに顔を出した。

 ダイゴさんがいた場所。それはまさかまさかの地下だった。




「うわぁ……この家、地下室なんてあったんですね」
「うん、僕、地下が好きだから」
「へ、へえー。もしかしてダイゴさんっていつもこの部屋にいたりします?」
「うん」
「な、なんだぁ……」


 そうか。そういうことだったのか。毎日姿が見えないと探し回っていたけれどなんてことない、ダイゴさんはこの階段の先、地下室にこもっていたのだ。


「中、見てみる?」


 脱力した頭を思いっきり上げたのを、興味があると見なしたらしい。ダイゴさんはクスリと笑って、階段が急だから気をつけてねと言った。

 地下へと続く階段はひんやりとしていた。鼻の先が冷える感覚がある。ルネにあるほこらへの道を覗いた時と似た感覚だ。

 中は広いひとつの部屋になっていた。陰って見える白い壁。狭くはないのに、いかにも地下室らしい閉息感に満ちている。
 天井まで展開された棚には息苦しいくらいに物が詰まっている。大きな机の上にスタンドの明かり。そしてルーペなどの道具が散らかっていた。
 地上の整えられたままの部屋たちと比べれば雑然としていて、そして何故か土の匂いがした。


「はい、どうぞ」


 イスを後ろから引き出して、ダイゴさんの定位置と思われる場所の横に並べて置いてくれた。

 とんでもない量の箱が積み重なっている。その横を、恐る恐る通る。今にも崩れそうだ、と思っていたら案の定、積み荷はバランスを崩した。


「うわわっ……」


 ひとつぽろりと落ちてきた箱をぎりぎりでキャッチした。
 思わず受け止めたそれは蓋がはずれてしまって、包みの紙も突き破って中身が出てしまっていた。

 これは、石……?

 予想外の中身に見入っていると、その次にわたしは自分の耳を疑った。


「どう、可愛いでしょ」


 か、かわ……可愛い?
 それはわたしが手に握っているもののことだろうか。


「これ、全部僕の石だよ」
「ダイゴさんの……?」
「僕の趣味。石がたまらなく好きなんだ」
「じゃあ、もしかしてここに積んであるのも……」
「いろんなところに行って探した石だよ。見つけるのは得意なんだけど、今は整理が追いつかなくてこうなってる」
「見つけたって、全部道ばたに落ちてたってことですか?」
「道ばたとは言えない場所の方が多いけど、そうだよ」


 半分圧倒されながら、半分呆気にとられながらわたしは再び棚を見上げた。ダイゴさんの言うとおりなら数十の箱、うず高く積まれた全て拾ってきた石ということになる。
 集められた石。突然、ラジオの周波線が合ったように部屋の中が石だらけなことに気づく。大小、色、形、様々な石の情報がぶわっと頭の中に流れ込んでくるようだった。


「本当は全部並べて、大切に扱いたいんだけどね。一人じゃとっくに追いつかないって分かってるのに、大切すぎてあんまり人に触らせられないんだ」
「え」


 今度はわたしが石になった。
 わたし今その大切な石握ってますが……。わたしの固まった顔を察したのだろう。ダイゴさんは緩やかに続ける。


ちゃんは、いいよ」
「基準が分かりません……」
「少なくとも、誰かの大切なものは粗末にしないだろ」
「誰だって人の宝物は大切にすると思いますけど」
「さあ、ね」


 その反応から察するにこの石を粗末に扱われたことがあるのだろうか。確かに一般的な趣味とは言いがたいけれど……。
 全ての石に何かダイゴさんが感じるところがあって、集めたというのなら、石も、石集めというダイゴさんの趣味も尊重されるべき個性だとわたしは思う。


ちゃんの当たり前が、みんなの当たり前とは限らないだろ」
「それは、そうですけど……」
「……優しい人ばっかりに出会ってきたのはちゃんの良いところだよね。うーん。どれがいいかな」
「な、何のことですか?」
ちゃんにどの子を自慢しようかと思って」


 何のことと聞いたのは、ダイゴさんが目を細めて言ってくれた「優しい人ばっかりに出会ってきた」という部分だった。なのに帰ってきたのは見当違いの言葉。

 石自慢ですか。しかも“子”呼びですか。
 オタクは語らすと怖い。そう教えてくれたのは兄さんの師匠、アダンさんのファンたちでした。


「はい、これは?」


 握りっぱなしだった箱をとられ、新しく目の前に出されたのはつるりと丸い石だった。ダイゴさんの手の中に思わず見入る。それは不思議な、12色セットの色鉛筆しか持ってないわたしには絶対言い表せないような色をしていた。


「えっと、石ですね」
「石だよ」


 月並みの感想を意に介さず、ダイゴさんは楽しそうだ。


「通称めざめいしだ」
「あ、聞いたことあります」
「珍しい方だけどやっぱり知名度はそこそこあるみたいだね」
「実物は初めて見ました……」
「この石の凄さは少し暗い場所になると分かる」


 パチリと手元のライトを消された。部屋全体の明かりを消すらしい。
壁のスイッチへと歩み寄るダイゴさんは、手でつくった囲いの中の石をのぞき見てニヤニヤしている。

 明かりが落ちた。暗室となった部屋。突然の闇に目が慣れない。
 ダイゴさんが隣に座ったらしいことが音で分かった。

 最初に見えたのはダイゴさんの指の隙間から漏れた光だ。ダイゴさんの血の色を透過したオレンジ色。真っ黒な闇の中で、わたしはその色をすがるように見つめた。

 ゆっくりと開かれた指。中では先ほどのめざめいしが柔らかなグリーンの輝きを放っていた。


「ね、すごいだろ?」


 漏らしたため息にダイゴさんも同調した。
 やっぱりわたしには何の色と言えば良いか分からない。青のような緑。けれど海の色とも空の色とも草木の色とも違う。
 頑張って言葉にするなら、夢に消えていきそうな新芽の色。

 不思議。不思議だ。この石がなぜこんな色をしているのか、どうして内側から光るのか、全く意味が分からない。
 石のことを知らないわたしでも、今、自然の神秘に触れているのだと分かった。


「見て。こうやって細かくライトを当てるとね、さらに光るんだ」


 取り出したペンライトで、ダイゴさんが石に光を差し向けるとめざめいしは内側からさらに光った。


「わっ……」


 思わず、息を飲んだ。めざめいしにではなく、思ったより近い場所にあるダイゴさんの顔にだ。
 増した光量と慣れてきた目に入ってきたのは、ダイゴさんの真剣な横顔だった。


「純度が高く円らなめざめいしはわずかな光を中心に集め、こんなにも光る。そう、ポケモンの眠っていた能力を最大限に引き出すようにね。割ったら最後光らないこの石は未だに分からないことが多い。模造もしづらいからすごく貴重なんだ……」


 ダイゴさんの熱を帯びた声はわたしにはあまり届いていない。
 ダイゴさんの瞳の中に星が落ちている。めざめいしに注がれ、めざめいしから光を注がれたダイゴさんの瞳を、わたしは見ていた。






(注:めざめ石の詳細設定は完全ねつ造です。)