ダイゴさんを送り出して、すぐ後。大変なことに気がついた。
(いつ帰ってくるのか聞いとくの忘れた……!)
や、やってしまった……。脱力のままいつものソファにもたれ掛かる。一言聞いておけば良かった。今日中に帰ってくるのかも分からない。
ダイゴさんがすぐに帰ってくるのか微妙なところだ。ダイゴさんが他人に家を何日も任せるような責任感の無い大人とは思わないけれど、この家はわたしをひとりにしておける家なのだ。
この家に預けられて結構な時間が過ぎた。
なくなった頃合いに届く食料、日用品、新品の洋服。どうしても出るゴミだって溜まってるのを見たことがない。どうやら誰かが回収しているらしいのだ。
ダイゴさんが好きな石以外のことは極力やらなくて良いように、自堕落に過ごしても住んでいられるように。そんな環境がこの家には整っているのだ。多分、お金の力を使って。
ダイゴさんがここで一人で暮らしてきたように、わたしも多分肉体的には、なんの問題もなく暮らしていける。
何日か空けるくらいなら大丈夫だろう。だから、ダイゴさんが何日か帰って来ない可能性は十分にあった。
時計は12時を過ぎ、午後の時間を刻み始めたところ。
時間が何倍にも引き延ばされる、お留守番の始まり。
それから、あっさりと24時間が経った。時計はぐるりと2周回ってまた12時過ぎ。ダイゴさんは仕事先で一日を過ごしたみたいだ。
ダイゴさんがいたってすごく話が盛り上がるわけじゃないのに、とても静かな一日だった。
ぽつ、ぽつ、と蛇口から水が垂れてシンクの底で砕ける音とか、家の外から聞こえるポケモンの鳴き声とか。そんな普段なら記憶に残らないような些細な音が、耳の奥にこびりついている。
全身には、血の流れが悪くなっちゃったような疲れがまとわりついていた。
どうしよう。こんなのが何日も続いたらどうしよう。そのうち慣れるんだろうか。というか、ダイゴさんの一日っていつもこんな感じなんだろうか。
今のわたしとダイゴさんの状況は少しだけ重なっていると思う。
何もしなくていい家で、ある人の帰りを待つ。
ダイゴさんの待ち人を想う気持ちはわたしの気持ちと一緒にしてはいけないと思うけれど、でも全く別物でも無いと思うのだ。
ただ待つためだけに息を繰り返すのは、ダイゴさんは苦しくないんだろうか。わたしは一日だけでも息苦しかった。
こういう時、ポケモンを持っていれば相手になってくれたりするのかな。ダイゴさんも何も無くてもポケモンを放っていた。
残念ながらわたしは自分のポケモンを持っていない。
ルネではポケモンがいなくても結構問題無く生きていけるし、ポケモンたちの力が必要なときは必ず、兄さんが育て上げた強いポケモンを貸してくれた。だからわたしは今までポケモンを欲しがることなく過ごしてきた。
自分のポケモンがいたら、って考えたことが無いわけじゃないけど、兄さんのポケモンたちはみんなわたしの言うことも聞いてくれるいい子ばっかりで、しかもみんなどこかしら綺麗なのだ。ラブカスの鱗の色。アズマオウのヒレ。ルンパッパの葉っぱの形。みんな内側から光っているみたいに綺麗だ。
そんなポケモンたちがずっと近くにいる。きっとわたしは兄さんほど上手にポケモンを育てられないというのも分かりきっているのだから、わたしは自分のポケモンを心から欲しいと思ったことがないのだ。
でも今は自分のポケモン、ちょっとだけ欲しいと思う。兄さんの突き放すような態度で、もう今までのようにはいかないんじゃないかという不安があるからだ。
それに、寂しいし。
今までこんな心細い気持ちになったこと無かった。寂しさとは無縁だったのはわたしが孤独に強いからじゃなくて、兄さんが必ずわたしに意識を向けていてくれたからだったんだ。兄さんの冷たい声がリフレインする今になって、分かった。
それからわたしは、とりあえずいつもの自分を取り戻そうとしてみた。
家で兄さんを待っている時のことを思い出して、家と同じようにしてみた。
軽いお掃除。ほこりを払うために窓を開けた。
「綺麗……」
開けはなった窓から見る空に、夕暮れにさしかかる頃の光が伸びている。その光の筋と空の色が思わず声が出るほど美しかった。
ルネの空とは違う、横にも縦にもずうっと広がっている空。トクサネシティの空を見上げるのは初めてじゃないのに、わたしはそのまま動けなくなってしまった。
「綺麗だなぁ……」
また呟いて、寂しさがぶり返した。美しいものを見つけたことをミクリ兄さんに、伝えたくて仕方がない。
でも、今覚えた感動をいつまで忘れられずにいるだろう。いつまで心の中に置いておけば、いいんだろう。
その時になってわたしはようやく泣いた。ぽろっと数粒だけ涙が出た。空が綺麗だったから。その光景が、強がってたわたしの隙を、弱いところをついたから。ちょっと、疲れてたから。兄さんの態度が腹立たしかったから。寂しかったから。どれもちょっとずつわたしが泣き出す理由になっていた。
「ちゃん?」
「……、ダイゴさん……」
かけられた声に驚いた。
こんな簡単に現れるはずないと思っていた人がそこに立っていたからだ。脱いだジャケットを横に抱え、首もとのボタンを開けている。ダイゴさんも少し驚いたような顔をしている。
とりあえずおかえりなさいと言うとダイゴさんは息を詰めてからただいまと言った。
「どうしたの?」
「えっと……、空が綺麗で?」
ダイゴさんが背にしている空を見やると、ダイゴさんもわたしと同じ方向の空を見上げた。それからもう一度わたしを見ながら、なんだかすっきりとした笑顔で「うん、ほんとだ。綺麗だね」と、うなずいてくれた。
ああ、ダイゴさん。帰ってきてくれた。
窓から跳ね返されたような勢いで離れ、わたしは玄関に向かう。ちっちゃい子に戻ったみたいな駆け足で。