「ちゃん、ちゃん」
「はむ?」
はい、と返事をしようとした唇に柔らかなキューブが押し当てられ変な声が出てしまった。
唇を割って、ちょっと強引に押し込まれる。食べれば良いのかな? 唇でキャッチして噛んでみるとじわりと味が染み出した。
あ、甘い。けれど砂糖から来るものじゃない素朴な甘さだ。
「なんですかこれ?」
「ポロックっていうんだ。ポケモンのコンディションを整えるのに役に立つフーズだよ」
「へー、これが!」
「ちゃんがミロカロスの写真を見てるうちに作ってみたんだ」
「全然気がつきませんでした! へーこれでポケモンのコンディションが……、ってこれ人が食べて大丈夫なんですか?」
「うん。元はと言えば木の実だからね」
そう言ってぽいっとダイゴさんもポロックをひとつ口にした。
「あ、これ渋いやつだった」
口の中で広がったであろう味に眉をしかめながらも、ダイゴさんは笑っている。
なんだか今日のダイゴさんはよく笑う。どうしてもこぼれてしまう、というように笑い声を漏らすのだ。
「ちゃん、サファリゾーンに行ってみたいと思わない?」
「サファリゾーン……?」
「ほら、これ」
ダイゴさんが示したのは大きい横長のポスターだ。
草原、青空が広がり水場にでこぼこの丘が覗くパノラマ写真。そこに踊るのは“新しい出会い”に“珍しいポケモンゲットし放題!”というキャッチコピー。
「数年前に出来た施設だからちゃん知らないんじゃないかな」
「はい、知らないです。でも、行ってみたいです!」
「よし。じゃあサファリゾーンに行く前に……」
ダイゴさんがわたしをある方向へ連れていく。
コンテスト会場の東側。そこではたくさんの子供たちな何かのマシーンに夢中になっている。
ちょうど子供たちが離れて空いた台にわたしたちはついた。
「これはきのみブレンダー。ポロックを作れる機械だよ。これでケースたっぷりのポロックを作ろう!」
ポロックを作るのは初めての経験だった。けど、わたしはすぐに周りの子供たちに負けないくらい夢中になってしまった。
きのみブレンダーの操作はボタンを押すだけで単純なのにクセになるのだ。うまくブレンダーを加速できると嬉しいし、その結果なめらかなポロックが出来たときはやった!と言いたくなる。
ポロックを作るのって楽しい!
ポケモンを持っていないわたしにはポロックなんて必要無いのに、ポロックを作ることがただただ楽しくて、ずっとやっていたいくらいだ。
楽しい時間は経つのが早い。ダイゴさんの持っていたきのみをわたしは夢中で使い込んだ。ケースがいっぱいになるまでは、あっと言う間だった。
満足感に満ちた足取りでわたしたちは次の目的地に向かった。
サファリゾーンはミナモシティから少し離れたところにあるらしい。
どうろを支配する、街のものとは違う自然のざわめきにわたしは息をのんだ。味わったことの無い辺りの気配。なるべくダイゴさんから離れないように足を早める。
「ん? どうしたの?」
「ここって、やせいのポケモン出てきますよね……?」
「そうだね。草むらもたくさんあるし。大丈夫だよ、僕がいる」
「あ、いや怖くはないんですけど、こういうところ初めてで……」
「そっか。ちゃんって本当にミクリに大事にされてるよね」
「大事に……。そうかもしれないです」
わたしがルネシティから離れたことがほとんどなかったのは、なにもかもがルネで事足りたからだ。
ルネで足りないものと言えば外からの刺激だけれど、わたしはそれが無くて不便だと思ったことはない。
兄さんと暮らすことに何の不満も無いからわたしは外の世界に無関心でいられた。
「わたし、割と本気でルネに何でもあるって思ってます。本当はそうじゃないのかもしれないけど、わたしにとっては全部揃ってる場所なんです」
「それを聞いたらミクリは泣いて喜ぶんじゃない」
「な、泣きますか?」
「僕には想像がつくよ」
サファリゾーンに着いて、わたしたちは二人分のサファリボールを受け取った。たくさんのボールを抱えながらわたしはダイゴさんに頭を下げる。
「ダイゴさん、あの、ありがとうございます! お金、今返せなくてごめんなさい」
「いいって」
「よくないです。後でミクリからちゃんと貰って来ますから」
「そんな寂しいこと言わないでよ」
「で、でも……」
「ちゃんはしっかりサファリゾーンを楽しむこと。来て。サファリゾーンの中でも特に珍しいポケモンが出るエリアに案内するよ」
園内に入るなりダイゴさんは迷うことなく歩き始める。
濃い緑をかき分け、奥へ奥へと進んでいく。さっき通ってきた121ばんどうろよりもずっとざわめきの密度が濃い気がした。葉っぱの擦れる音がよく聞こえるのだ。
「ダイゴさん、あれは?」
「ナゾノクサだ」
「かわいい……!」
「それじゃあ早速作りたてのポロックの出番だね。ちゃんポロックをナゾノクサに投げてごらん」
「はい、やってみます!」
ひとつ手にとって思いっきり投げたポロックは少しはずれたもののナゾノクサの近くに落ちる。
ナゾノクサはポロックに近寄って、何回か匂いをかいだ。そして小さな口でポロックをぱくりとかじって逃げていった。
「逃げられちゃったね」
「でも食べた……! かわいいー……」
ナゾノクサを皮切りに、わたしは次々にサファリゾーンのポケモンに遭遇した。
「ダイゴさん、ぬいぐるみみたいな子が出てきました!」
「ヒメグマだね」
「あっアレは!?」
「ネイティだ」
「大きな豆みたいでかわいい! わっ、池から何か出てきましたよ!?」
「ウパー、それにヌオーもいるね」
「わあああ……! あの子たち兄弟かな?」
「親子かもしれない」
ウパーとヌオーたち全員が食べれるようにわたしは手のひらいっぱいにポロックを握って投げた。ポケモンたちが顔を出す度に楽しくて楽しくて。ダイゴさんを待っていたときに抱いていた寂しさなんて吹き飛んでしまう。
興奮しているのはわたしだけじゃない。ダイゴさんもテンションが上がっているようだ。
「ちゃん。運が良いよ、ツボツボだ。攻撃力はとても弱いけど防御が優れたポケモンだ。あの甲羅がすごく良いさわり心地なんだよ……!」
甲羅に触れたときのダイゴさんのゆるんだ顔で、ツボツボの甲羅の感触は想像がついた。
ツボツボ。丸い甲羅の中からひょろんとした頭と足が出ている。頭に黒豆みたくついた小さな目がかわいいポケモンだ。そう記憶した。
その子にもポロックを投げてみる。ゆっくりとした動きながらもツボツボはポロックの元へ近寄って、ポロックを口に運んだ。
「……よし」
今度はちょっと近くに投げる。ツボツボは警戒することなくそのポロックに寄ってくる。
「か、かわいい……。ほら、もっと食べて良いんだよ?」
ほとんどわたしの目の前に差し出したのに、それでもツボツボは喜んで食べてくれた。
やせいのポケモンにしては限りなく近くに寄ったツボツボ。ダイゴさんがそっと耳打ちする。
「ちゃんボールは?」
「んー、捕まえるのは良いです」
「ええ?」
「こうして見てるのが好きなんです。ん、おかわり? たくさんあるよ!」
なかなか食いしん坊なツボツボのために次々にポロックを差し出していたら、周りのポケモンも引き寄せられたようだ。マリル、ピカチュウ、ゴマゾウにエイパムまで顔を見せた。
そのポケモンたちの行列は日が傾き始めるまで続いた。
残りわずかになったポロックを握って、わたしとダイゴさんは柔らかな芝生の上に座っていた。
「サファリゾーンにこんな長い時間いたのは初めてだよ……」
「そうなんですか?」
「ボールを使いきるか、歩数制限を越えて歩いたら出ることになってるんだ。だけどちゃん全然動かないし、まさかボールも使わないなんてね」
「だってポケモンの方からいっぱい来てくれましたよ?」
「それってすごく珍しいことなんだよ? まあ、この人は捕まえる気がないんだ、ってポケモンはちゃんと分かってるんだね」
どんどん赤みがかっていく空。サファリゾーンの開けた大地に黄昏が染み渡る。
「……、ダイゴさん……?」
思わず息が詰まった。ダイゴさんが目頭を押さえているのだから。
「うん、大丈夫」
そう答えた声も震えている。
「具合悪いんですか? 誰か、呼びますか?」
「ううん。ここにいて」
「わたしで良いんですか」
「うん……、君で良いんだ」
「………」
「泣かない、泣かないよ。これ以上情けないのはごめんだ……」
唱えた声は感情を押し殺すように低く響いて、わたしは何も言葉が見つからなかった。
泣かない、泣かない、泣かない。そう何度も繰り返してから、ダイゴさんは顔を上げる。
「みっともないとこ見せたね、ごめん」
「そんなこと、ないです……。なんて言ったら良いか分からなくてごめんなさい……」
「謝ることなんて何も無いよ」
ダイゴさんは少し目頭を震わせながら、笑った。
「ちゃん、ありがとう。君がいてくれて、良かった。君で良かったよ。僕はもう、充分だ」
わたしで良かった。それは魔法の言葉みたいだった。
君で良かったと、わたしを求めてくれた。わたしが求められた。
言いようのない嬉しさがこみ上げて、顔が熱くなった。
同時に胸が痛む。
君で良かった。その言葉にちらつく影の形がわたしにはハッキリと見える。そしてわたしを責める。
わたしはこれ以上ダイゴさんの近くにいてはいけない。冷水を浴びたみたく、冷たい理解が頭からつま先まで走った。
ダイゴさんの大切な人の居場所を奪っては、いけない。この人は痛みを受け入れてまで、永遠に待ちたい人がいるのだから。
サファリゾーンのポケモンに最後のポロックを投げる。
「ちゃん。ミクリならもうすぐ帰ってくるよ。すぐ、ちゃんもルネに帰れるからね」
「ダイゴさん……」
「もう少しの我慢だ」
返事は出来なかった。
わたしは既に兄さんを待たずにルネに帰ろうと決めていたのだから。